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レッスン12.秋の日の、外と、家と、内と。

数週間前、知人が金木犀のアロマオイルをプレゼントしてくれた。贈ってくれた理由は「あげたかったから」という素直すぎるもので、私は反応に困ってしまった。

自分でアロマオイルを選ぶときは、寝つきをよくしたいからラベンダー、ホルモンバランスを整えるためにバラ、頭をしゃっきりさせたいからレモンなど、実用的な効能を重視していた。金木犀の香りは、そういう観点からすると選択肢に入ってさえいなかったから、そういうアロマオイルがあることにまず驚いた。

眠りやすくするでもない、しゃっきりさせるでもないのなら、「何に使うんだろう」と戸惑ったものの、プレゼントしようとしてくれた気持ちは嬉しいし、人からいただいたものは大事に使いたい。こうなったら部屋に香らせるしかないのだ。金木犀と私の日々は、こうして突然始まった。


秋になると漂ってくる甘い香りが「金木犀」という植物に由来すると知ったのは、たぶん高校生くらいだ。知ったきっかけがなんだったかは思い出せないが、今まで「良い香り」としか認識していなかったものに個別の名前があると分かり、世の中には名前のないものはないのかもしれないな、と、静かに納得した記憶がある。

人によっては、お手洗いの芳香剤のようで嫌だという人もいるらしいが、幸い私はこの香りが好きだ。アロマオイルをもらってから、これまで無臭だった部屋が、毎日、甘い香りで満たされるようになった。

甘さは、部屋に長くいると気づかなくなってしまうが、部屋を一度出て再び扉を開けたときや、椅子から立ち上がったとき、瞬間、ふわり、と香ってくる。1秒にも満たないほんのわずかな時間だけは、嫌なことも楽しいことも忘れて、頭は香りでいっぱいになる。

夜になって窓を開ければ、冷たい空気と共に外からも同じ甘さが入ってくる。ベッドに横たわって目をつむり、鼻から息を吸うと、家の中と外の境界がゆるやかにほどかれる。6畳の部屋が、どこまでも広がっていくかのような錯覚と安らぎに、私は身をゆだねる。


私のアロマオイルを選ぶ基準って、「仕事のために」眠りやすくしたい、「仕事のために」ホルモンバランスを整えたい、「仕事のために」頭をしゃっきりさせたいとか、ぜんぶ、仕事のためだったな。金木犀の香りは、ただただ良い香りで、ただただ幸せだ。


ふと、生活のあらゆるところに、仕事への意識が張り巡らされ過ぎていたことに気づく。加えて、好きなものに囲まれリラックスすることの価値を低く見積もり過ぎてもいたようだ。香りは目に見えないけれど、心の中まで入ってきて、人の考え方をも進めてくれるものでもあるらしい。

ゆっくり目を開いて思う。こんなに緩やかな時間の過ごし方があったなんて。寝る前にはカモミールティーを淹れよう。仕事に備えるためではなく、私自身の楽しみのために。

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