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【舞台感想文】キングダム

熱が、届く。

2023/02/17、帝国劇場で上演された舞台「キングダム」を鑑賞してきました。

帝国劇場で舞台を鑑賞するのは2回目です。ちなみに1回目は堂本光一さんが主演を務める「Endless SHOCK」でした。

伝統ある劇場で作品を観るというだけでも興奮するのですが、なによりあの劇場で上演される作品は迫力が凄まじい。まるで舞台上から客席に向かって強い風が吹いているかのようで、それに乗って伝わる出演者が命を燃やす熱は格別の感動を生み出します。

極上の経験価値を得ました。人生の大切な宝物を感想にして書き起こしておこうと思います。

なお、この舞台感想文は若干のネタバレを含みます。3月以降の地方公演を鑑賞しようと考えている方はこれ以上読まないことをおすすめします。










前提

作品の感想を述べる前に、鑑賞において僕がどのような状況だったのかを記しておきます。

この作品は、アニメ化や実写映画化もされている大人気の漫画が原作です。

僕は漫画の存在やそれが人気であることは知っていました。しかし、実際に読んだ経験が全くなく、その内容は支那大陸における春秋戦国時代の物語ということくらいしか知りませんでした。

この程度の情報量であれば、わざわざ高価なチケットを購入して劇場に足を運ぶほどの鑑賞意欲は湧かなかったと思います。しかし、この作品はどうしても劇場で観たかった。

というのも、もはや運命的とも言えるような繋がりを多く感じたからです。

まず、僕にとって出演者がとても魅力的でした。

以前から僕がnoteにアウトプットしている通り、僕は乃木坂46が大好きです。故に、乃木坂46に関する情報は自然と耳に入ってきます。

2022/09/05、乃木坂46の公式サイトやTwitterで梅澤美波さんがこの作品にWキャストの一人として出演することが決定したという情報が解禁されました。

この時点ですでに、出演する作品に関わらず、梅澤美波さんのお芝居を生で観てみたいという意欲が湧いていました。

そして梅澤美波さんの他にも、Wキャストの中には梶裕貴さんや朴璐美さんや石川由依さん等、僕がこれまでに観てきたアニメに出演していた役者が名を連ねていたのです。

以前から知っていたあの人やこの人のお芝居を生で観れる絶好の機会だと感じた時にはすでに、この舞台を観たいという意欲は、是が非でも観るという決心に変わっていました。

そして、僕が知っている役者の組み合わせが最も多い上演日を事前に探り出し、先行抽選予約が解禁されたと同時に応募しました。そして、第一希望日程のチケットに当選したのです。

僕が鑑賞した公演のWキャストは以下の通りです。

   信 : 高野 洸
嬴政・漂 : 小関 裕太
 河了貂 : 川島 海荷
 楊端和 : 梅澤 美波(乃木坂46)
   壁 : 梶 裕貴
  成蟜 : 鈴木 大河
  紫夏 : 朴 璐美

2023/02/17 夜の部 Wキャスト出演者一覧

出演者以外に、この作品の脚本を務めている藤沢文翁さんにも繋がりを感じました。

以前、彼が原作・脚本・作詞・演出を務めたミュージカル「CROSS ROAD ~悪魔のヴァイオリニスト パガニーニ~」を観ていたのです。言うまでもなく、その作品は本当に素晴らしかった。

彼が手掛ける舞台をいずれまた観たいと思っていた矢先の情報解禁でした。出演者に加えて脚本家にも馴染みを感じ、やはり「キングダム」の舞台は是が非でも観なければならないと再認識しました。

また、キングダムという作品が舞台化されること自体にも興味がありました。

原作のことをあまり知らなかったとはいえ、この作品には「軍」が登場するということは容易に想像できます。とんでもない人数で表現されるべき「軍」というものを、舞台上で一体どのように表現するのか、強い興味が湧いたのです。

そして、ワクワクした気持ちを抱いて劇場に足を運び、恥ずかしながらそこでようやく気づきました。

僕が購入したチケットの席は最前列だったのです。舞台を最前列で観たことがなかった僕にとっては、それだけでも興奮の絶頂でした。しかもそれが帝国劇場の最前列となると、とてつもない経験価値が得られるのは必然だったのです。


舞台そのものについて

これまでいくつか舞台感想文のnoteを投稿してきました。やはり一貫して思うのは、舞台こそが芝居の真骨頂であるということです。

このことを多くの人に気づいてほしい。多くの人に舞台の価値を認識して、実際に劇場に足を運んでほしい。故にこのnoteにも書き記しておきます。

舞台は、出演者と観客が同じ時間の流れに身を置いています。その原理上、やり直しが効きません。

映像作品の撮影のように、NGテイクを出したが故にもう一回なんてことはできないのです。やり直すこともできなければ途中で止めることもできない。失敗したら失敗したなりに続ける他ありません。

役者の気が緩むということを言うつもりはありませんが、映像作品等のやり直しが効く芝居形式では、どうしても役者は「たとえ失敗してしまっても最悪は再撮影すれば良い」という安堵を抱いてしまっても不自然ではないでしょう。

それに対して舞台という芝居形式では、役者はそのような安堵を絶対に抱けません。やり直しは効かないという緊張を常に抱きながら芝居をし続けています。

また、そのお芝居が観れるのはその1公演の一瞬だけです。ついつい忘れがちになってしまうことですが、この世に全く同じお芝居は存在しません。

例えば、手を挙げるという芝居があるとします。これほど想像しやすい簡単な動きであっても、手を挙げるX軸・Y軸・Z軸の角度、手を挙げる速度、ひじの曲がり具合、手の高さ等は二度と再現できない動きです。

一見すると同じような動きに見えても、ミリ・ミクロ単位の世界に目を向ければ、前回の動きを完全に再現することはできません。

この世に全く同じお芝居は存在しないというのはこういうことです。例を挙げるとキリがないのですが、セリフを喋る速度・音量・音程・滑舌、その時の体の動きや速度や角度等も二度と再現できません。

舞台とは、このような二度と再現できない動きの塊です。このように考えると、その1公演が如何に貴重なものなのか理解できると思います。

やり直しが効かないという認識と、同じ芝居は二度と再現できない貴重なものという認識によって、役者の緊張は極限に達します。

観客である僕がこれほど理解しているのだから、当の役者は尚更この認識を強くもっているはずです。しかもその道のプロとして報酬をもらう立場にいるのですから、最高の品質を提供する義務があります。

だからこそ役者は、絶対に失敗しないように各公演の一瞬一瞬に全身全霊で挑むのです。その姿はまるで体中からオーラがにじみ出ているようで、命が燃えている熱を感じさせます。

前述した通り、僕は今回の作品を最前列で鑑賞しました。立ち上がって手を伸ばせば役者に手が届くくらいの距離であり、眼の前で役者が命を燃やす姿は本当に鬼気迫るものがありました。

それに加えて、前方の列だからこそ垣間見れるものがありました。

熱演故に唾が飛び散ったり、汗が滴り落ちたりする様子が見え、たとえ休憩の姿勢をしている芝居であっても壇上の役者が息切れしている音が聞こえました。

激しい動きによって埃が舞い、その動きによって生じた風は僕まで届き、どこか熱を帯びているようでした。この熱は劇場という小宇宙でなければ感じられないと思います。配信のように電子化された映像では無理なのです。

最前列に座ったことでいつも以上に作品に没入し、まるで五感で作品を観ているような経験を得られました。やはり舞台は劇場で観るものです。劇場で身をもって体感するものなのだと思います。

役者が命を燃やす熱を体感する。これこそが劇場で舞台を観る価値です。


「キングダム」について

僕が「キングダム」に触れたのは舞台が初めてであり、原作には目を通していません。

この舞台の原作である漫画は、2023年3月時点で67巻まで出版されています。聞くところによると、この舞台の物語は1巻~67巻のうちのかなり前半をもとにしているそうです。それが前編、休憩を挟んでからの後編で約3時間にまとめられています。

その物語をざっくりまとめると、主人公である信とそのパートナーである嬴政(えいせい)が各地を回り、徐々に仲間を集めて大軍を編成し、嬴政の祖国を奪還すべく戦乱に身を投じていくという内容です。

特に前編は仲間を集めていく過程を描いており、軍という、大人数で表現すべき存在があまり登場しません。一つの場面に登場するキャラクターは数人程度で、それに応じて舞台セットは比較的こじんまりとしたものが多かったように思います。

特に前編で用いられていた舞台セットは工夫が凝らしてあり、観ていてとても面白かったです。まるでしかけ絵本のようにセットが回転したり展開したりして、登場人物の移動を立体的に表現していました。

なるほど、屋内・屋外をこうやって表現するのかと関心させられました。出演者以外にも、舞台に精通した方々がアイディアを出し合ってこの作品を作り上げていることが如実に伝わってきました。

そして、前編の終盤に梅澤美波さんが演じる楊端和(ようたんわ)が登場します。このキャラクターは「山界の死王」と呼ばれる山民族の長であり、普段は仮面を被っています。

恐らく、通称から想像する性別は男性でしょう。しかし、その正体は女性です。仮面を被っているのは、楊端和というキャラクターにこのような意外性をもたせる意図があるのだと思います。

舞台上でも初登場時は仮面を被っており、そのまましばらく信や嬴政と会話を繰り広げます。その時の声はボイスチェンジャーで加工されており、仮面を被ったままの容姿では性別の判断が出来ない状態でした。

この場面、僕には最前列ならではの発見がありました。

上述した通り、仮面を被っている時の楊端和の声では性別の判断が出来ません。劇場全体には加工された声が響いています。

しかし、僕には梅澤美波さんが実際に声を発しているのが微かに聞こえていました。僕にとってはこの芝居の仕方が実に興味深かったです。

仮面を被っているため、彼女の口の動きは観客に見えません。そのため、わざわざ声を発しなくても事前に収録した音声を会場に流せば作品としては成立します。

それにも関わらず、毎回の公演で実際に声を発していたのは役に成りきることが目的なのだと思います。流れる音声に合わせて芝居をするよりは、自ら声を発した方が芝居しやすいはずです。

そのため、梅澤美波さんがたとえ仮面を被っていても声を発していたのは、当然と言えば当然のことです。

とはいえ、僕には決して芝居を怠らずに良い作品を観客に届けようとしてくれている姿勢に思えて、作品を鑑賞していることの有り難みと出演者への尊敬を覚えていました。

さて、この作品が戦乱を描いているからには殺陣の場面が度々あります。

上述した通り、前編は軍を描く場面がそれほど多くなく、殺陣と言っても武人同士が一対一や数人程度で戦う描写が多かったように思います。

しかし、後編になっていくほど信の一行は仲間を増やしていきます。それに伴い、戦乱に参加する人数が多くなっていくため、殺陣の場面も大規模になっていきます。

そして物語の終盤、信一行が編成した軍は二手に分かれて城へ攻め入ります。その描写は、正面から大人数で攻め込む部隊と裏手から少人数で攻め込む部隊の活躍を順番に切り替えていました。

特に前者は殺陣の迫力が凄まじかったです。僕が興味をもっていた軍の表現はここに集約されていました。セットが次々と入れ替わり、それに応じて役者も縦横無尽に動き回って剣戟を繰り広げます。軍による戦乱というものを実直に表現していたと思います。

途中、殺陣に失敗したような部分が見受けられました。

恐らく、当初予定していた動きは剣戟の激しさ故に空中に放たれた剣を掴み取って敵を斬るというものだったと思います。それが、僕が観た公演では空中で剣を掴み取れず床に落としており、それを拾って敵を斬っていました。

当初予定していた動きにならなかったということであれば、なるほどこれは失敗と言えるかもしれません。

しかし、このような場面を観て僕には高い満足感がありました。実際の戦乱を描こうものなら、このような動きの方がむしろ現実感があります。

敵との殺し合いに身を置く人間の気持ちを想像してみましょう。

僕だったら、迫りくる死の恐怖と緊張が交わる極限状態から一刻も早く解放されたい一心で、何よりも敵を殺すことを優先すると思います。

そんな状況下では、空中で剣を掴み取るなんて芸当はむしろ馴染まないと思います。

空中で剣を掴み取れずに地面に落としてしまい、それを手にとって敵を斬る動作は、命のやり取りの真っ只中で手当たり次第に相手を殺傷できる武器を手に取ろうとする人間の必死さを描いているようで、非常に良質で現実味のある芝居でした。

そして、そのような場面に立ち会えたことは僕にとって幸運であり、この舞台を観れて本当に良かったと感じました。


まとめ

帝国劇場で上演される舞台はなぜあんなにも迫力に満ちたものになるのか。

それは、帝国劇場が舞台セットを大々的に動かすことを前提とした構造になっているからだと思います。

キングダム」にせよ「Endless SHOCK」にせよ、巨大な舞台セットが舞台上方や舞台奥から登場してくることで、作品がとてつもない迫力を纏います。

ただでさえ舞台という場所はがらんどうであり、舞台セットや役者を自由に動かせる空間です。自由度が高く、アナログとはいえ多種多様な場面を描けます。

それに帝国劇場のような性能が加われば、あらゆる場面を描くことが出来るでしょう。

さて、自由度が高いと言えば一見良いことのように聞こえますが、必ずしもそうとは限りません。こと演出家や舞台監督にとっては悩みの種にもなり得る要素です。

考えてみると当然のことなのですが、一つの場面を表現する演出案はいくらでも創造できます。いくらでも創造できる演出案から、たった一つの最適なものを採用する必要があるのです。舞台を作るとはそういうことです。

そして、たとえ今日採用した演出案が明日には色褪せて見えてしまうことや、後日思いついた演出案の方が優れていると感じてしまうことは少なくないでしょう。

「もっと良くしたい」という情熱故の思想は、確定した演出案に対して不足感を生み続けるものです。そして人の感性はその時々によって変化するものであり、確定した演出案に対して妙な違和感を抱く瞬間が多かれ少なかれあるはずです。

しかし、だからといって確定した演出案を変更するのは、作品に携わる誰にとっても簡単なことではありません。故に、惜しくも断念した演出案や悩んだ末に代替された演出案が存在してきます。

このように、演出家や舞台監督は脚本に沿って演出案の取捨選択を繰り返すことで作品を作り上げていきます。溢れ出てくる演出案を取捨選択するのは苦悩の連続だと思います。

それが帝国劇場のように、あらゆる演出案に対応できる劇場であれば尚更ではないでしょうか。

このような視点で「キングダム」を振り返ってみると、苦悩の果てに作り上げた作品であることが伝わってきます。

特に軍が戦う殺陣の場面はそれが顕著だと思います。

戦乱を描くからには、混沌な様子でなければいけません。しかしそれは役者それぞれに異なった確固たる演出案を与えた上で成り立ちます。

秩序をもとに混沌を生み出すような試みです。相反する事象を見事に一つの演出案に纏め上げていて、圧巻の一言でした。

出演者然り、全てを放り出して逃げ出したくなってしまうような苦悩や苦難を乗り越えて作品を届けてくださった制作陣の方々にも感謝を伝えたい。素晴らしい作品と大きな感動を届けていただき、本当にありがとうございました。

ちなみに、後で知ったことですが、僕が観た公演は乃木坂46の山下美月さんも観劇していたとのことです。彼女は梅澤美波さんの同期です。お互いの芝居を観て切磋琢磨し合える仲間というのは貴重ですね。

以上、【舞台感想文】キングダムでした!!

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