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【舞台感想文】乃木坂46 5期生版 ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」

運命の貴女へ。

2024/04/12~2024/04/29、IMM THEATERにて乃木坂46の5期生全員が出演するミュージカル「美少女戦士セーラームーン」が上演されていました。

乃木坂46の5期生10人が5人ずつTeam MOONとTeam STARに分かれ、同じ作品を上演していました。編成は以下の通りです。

・Team MOON
セーラームーン/月野うさぎ → 井上和
セーラーマーキュリー/水野亜美 → 小川彩
セーラーマーズ/火野レイ → 岡本姫奈
セーラージュピター/木野まこと → 五百城茉央
セーラーヴィーナス/愛野美奈子 → 池田瑛紗

・Team STAR
セーラームーン/月野うさぎ → 菅原咲月
セーラーマーキュリー/水野亜美 → 中西アルノ
セーラーマーズ/火野レイ → 一ノ瀬美空
セーラージュピター/木野まこと → 冨里奈央
セーラーヴィーナス/愛野美奈子 → 川﨑桜

ちなみに、5期生の1人である奥田いろはさんは映像で両チームの公演に出演していました。彼女は近日中に上演される別作品への出演が控えており、その都合を考慮してこのような形での出演になったと考えられます。

千秋楽公演はLIVE配信が行われ、僕は両チームの公演をそれによって観ることが出来ました。以下、これを5期生版と称します。

諸事情により観劇してから時間が経ってしまいましたが、今回のnoteではこの作品を観劇した感想文をアウトプットします。

なお、この感想文はネタバレを含みます。この作品はBlu-ray Discの発売やTBSチャンネル1での放送が控えており、それが初めての観劇になる方はこれ以降読まないことをおすすめします。





















前提

感想文を述べる前に、僕がこの舞台を観る上でどのような状況だったのかを記しておきます。

僕は乃木坂46が大好きであり、その情報は自然と耳に入ってきます。ある日、YouTubeに目をやると実に興味深い題名の動画が公開されていました。

動画の最後で乃木坂46の5期生がミュージカル「美少女戦士セーラームーン」に出演する情報が解禁されました。この情報に触れた時、2つの衝撃を受けたことは忘れられません。

まず第一に、5期生全員が舞台に出演することに対して衝撃を受けました。

コロナ禍によって途絶えてしまった感がありますが、乃木坂46には加入して間もない新期生がミュージカルに挑戦する伝統があります。いわゆる「プリンシパル」ですね。これは1~4期生のほぼ全員が経験している行事です。

伝統であるが故に、僕は5期生の「プリンシパル」が開催されることを今か今かと期待していました。

しかし、この動画が公開された当時は5期生が乃木坂46に加入して約2年が経過していて、しかも6期生の募集が始まっています。5期生を加入して間もない新期生と呼ぶのは不自然な状態でした。

ここにきて「プリンシパル」を開催するのはむしろ伝統に反します。それ故に、残念ながら5期生の「プリンシパル」は開催されないだろうと諦めていたのです。

そんな時にまさか5期生全員でミュージカルをやるという情報が飛び込んできて、僕の諦めは一瞬にして歓喜に変わりました。感情を大きく揺さぶられたあまり、しばらく呆然としてしまいました。

しかも長年に渡って多くの人に愛され続けている「美少女戦士セーラームーン」を上演するとなると、もはや「プリンシパル」を開催する期待を上回って余りあるほどの願いが成就しました。

第二に、乃木坂46が美少女戦士セーラームーンのミュージカルを改めて公演することが衝撃でした。

これまでに乃木坂46は美少女戦士セーラームーンのミュージカルを2回公演しています。最後の公演は2019年後半でした。以下、これを2019年版と称します。

それから約4年以上経過したことで、さすがにもう再演されることはないと確信していました。だからこそ、その反動で自分の目を疑うほどの衝撃を受けたのです。

これら2つの衝撃を同時に受けて、僕は驚きと高揚の絶頂にいました。これは何が何でも観なければならないと強く決心しました。

しかし、実はそれと同時に躊躇いも懐きました。

僕は舞台が好きで、よく劇場に足を運んで観ています。とはいえ、観ていてどうにも小っ恥ずかしくなってしまうため、出演者に関わらずヒーローショーめいた舞台の観劇はとても苦手です。

僕にとっては美少女戦士セーラームーンのミュージカルもこれに該当していました。

そんな僕は、勇気を振り絞ってようやく映像で2019年版を所々こまめに休憩を挟みながら観れたというくらいであり、5期生版の観劇にも同程度の抵抗があったのです。

劇場という空間は、上演中は閉ざされた小宇宙と化します。どんなに小っ恥ずかしくなろうとも、それが理由で上演中に席を離れたり自分独自の休憩を挟んだりすることは出来ません。

そんなことは出演者や製作者に失礼ですし、周りの観客にも迷惑です。

このように、自分に無理のない方法での観劇は出来なくなることを想像した時、僕は5期生版を劇場で観るのが億劫になりました。

それに加えて、自分の場違い感を拭えません。

美少女戦士セーラームーンという作品は基本的に女性を主な集客対象としていることは明らかです。もはや女性だけと言っても良いかもしれない。それを男性である僕が観ると思うと、観劇により強い抵抗を覚えました。

例えば、男性の僕が自ら女性の下着売り場へ足を踏み入れるような、大人の僕が公園に設置されている小児用の遊具で遊ぶような、ふと我に返った時に集客対象と自分がかけ離れすぎていて居心地が悪くなってしまう感覚です。

確かに、乃木坂46の5期生が出演することによって乃木坂46のファンが今作の主な集客対象となります。つまり男性ですね。であればそのような場違い感は無用になるはずです。

また、必ずしも悪いことをしているわけではないですし、どんな舞台を観ようとも僕の自由です。

何より、作品の届け手はそんな無用なことを考えず素直に観劇を楽しんでほしいという思いでいることは理解しています。

しかし、僕は苦手意識と場違い感をどうにも振り払うことが出来ず、チケットを購入できずにいました。

そして昨今の乃木坂46の活動状況、作品や5期生の注目度の高さを考慮すれば恐らく配信が行われると予想しました。たとえ配信されずとも、2019年版が映像化されたのであれば5期生版も将来的に映像化されると考えました。

いずれにせよ、劇場での観劇は控えて映像で観劇することにしたのです。

幸いにも予想が的中し、千秋楽公演のLIVE配信が決定されました。劇場ではないものの、5期生が舞台上で命を燃やしている瞬間に立ち会うことが出来て嬉しかったです。

さて、上述したように僕は2019年版を映像で観劇しました。

その経験により、5期生版のTeam MOONとTeam STARにはどのような差異があるかという観点と、2019年版と5期生版にはどのような差異があるのかという観点を持ち合わせていました。

詳細は後述しますが、後者の観点で観劇すると5期生版には進化が至るところに見受けられました。


あらすじ

分かりやすい舞台感想文をアウトプットするためにも、作品のあらすじを記しておきます。ちなみに僕は原作の漫画に目を通していないため、この舞台の物語がどれほど原作に忠実なのかは分かりません。

この作品は休憩を挟んで前編と後編に分かれています。前編は5期生演じる登場人物達が一人ずつセーラー戦士として目覚めて仲間になっていく様子が主に描かれています。

後編は5人のセーラー戦士と、敵方であるダーク・キングダムの四天王やクイン・ベリル、暗黒の支配者であるクイン・メタリアとの最終決戦が主に描かれています。

ある日、中学2年生の月野うさぎは言葉を話す黒猫ルナと出会います。

彼女はルナから不思議なブローチを託されます。その力によって彼女は友人達が危機に陥っていることを察知し、兎にも角にも救助に向かいます。

友人達がダーク・キングダムの下僕に襲われる間一髪、月野うさぎはセーラームーンに変身します。そして突如現れたタキシード仮面と名乗る謎の男の協力を受けながら友人達を救出します。

ダーク・キングダムとの戦いを重ねていく中で、セーラーマーキュリー/水野亜美、セーラーマーズ/火野レイ、セーラージュピター/木野まこと、セーラーヴィーナス/愛野美奈子が仲間として徐々に結集していきます。

セーラー戦士達は彼らやタキシード仮面が幻の銀水晶なる秘宝を探し求めていることを知ります。そしてルナから、自分達の使命もまたプリンセス・セレニティと幻の銀水晶を見つけ出し守ることだと諭されます。

セーラー戦士とダーク・キングダムの戦いが佳境を迎えた時、タキシード仮面がクイン・ベリルの攻撃からセーラームーンを庇い瀕死の重傷を負います。その既視感が起因してセーラー戦士達は前世の記憶を思い出します。

タキシード仮面が自らの盾となって倒れた悲しみで、セーラームーンは慟哭します。こぼれ落ちた彼女の涙、それこそが幻の銀水晶であり、彼女こそがプリンセス・セレニティでした。

幻の銀水晶の光はその外殻だけを残してタキシード仮面の身体に吸い込まれていきます。ダーク・キングダムはタキシード仮面もろとも幻の銀水晶の光を奪い去っていきました。ここで前編が終了します。

後編、セーラー戦士達とダーク・キングダムの両陣営は、幻の銀水晶は外殻とその光が一体でなければ能力を発揮しないことを推理します。

セーラー戦士達は幻の銀水晶の何たるかを知る手がかりが得られると考え、かつて前世で過ごした故郷の月へ転移します。

彼女達は廃墟と化した月の王国シルバー・ミレニアムで前女王クイーン・セレニティの魂と出会い、前世での悲劇を語り聞かされます。

かつて月の王女プリンセス・セレニティと地球国の王子エンディミオンは互いに恋に落ちました。禁忌の関係ではあったものの彼らは幸せに過ごし、両国は友好関係にありました。

その関係に太陽が嫉妬し、地球へ災いをもたらします。そして月の聖石であり無限の力をもつ幻の銀水晶を求めて月まで攻め込んできました。

クイン・ベリルの攻撃からプリンセス・セレニティを庇い、エンディミオンは命を落とします。その悲しみによってプリンセス・セレニティも自害してしまいました。

クイーン・セレニティは幻の銀水晶の力でクイン・メタリアを封印し、事態はどうにか収束します。そしてプリンセス・セレニティは月野うさぎ、エンディミオンはタキシード仮面/地場衛として現代に生まれ変わりました。

また、封印の不完全さによってあろうことかクイン・メタリアまでもが現代に蘇ったのでした。

真実を知ったセーラー戦士達は、プリンセス・セレニティを守るための聖剣を得て地球へ帰還します。

ダーク・キングダムは幻の銀水晶の外殻を奪うためにタキシード仮面を操り、月野うさぎをおびき寄せて罠に嵌めます。

なんとか罠を回避し、セーラー戦士達はダーク・キングダムの四天王の洗脳を解きます。そして彼らが犠牲となってしまうものの、なんとかクイン・ベリルを倒しました。

しかし、タキシード仮面は依然としてクイン・メタリアに操られています。

セーラームーンはタキシード仮面と戦わなければならない運命の残酷さに耐えられず、解放を求めて聖剣で彼を刺し、自らもまた自害してしまいます。前世の悲劇が繰り返されてしまいました。

タキシード仮面が果てたことで、彼が身体に秘めていた幻の銀水晶の光が解き放たれます。

しかし、それと同時にクイン・メタリアを抑えつけていた最後の楔も外れ、ついに封印が完全に解けてしまいます。そして全世界に災いが起き始めました。

クイン・メタリアを封印するための幻の銀水晶の力を行使できるのはプリンセス・セレニティ、セーラームーンだけです。4人のセーラー戦士は自らの命を代償にして、セーラームーンを蘇らせます。

幸い、タキシード仮面は四天王の魂が宝石となって聖剣を止めたことで深手を負わずにいました。

仲間達の思いやタキシード仮面の激励を胸に、セーラームーンはついにクイン・メタリアを封印します。そして彼女は幻の銀水晶の力で仲間を蘇らせ、仲間と共に平和で幸せな日常へ戻っていくのでした。


作品そのものについて

いよいよ感想を述べていきます。

乃木坂46が美少女戦士セーラームーンのミュージカルを上演するのは、今回で3回目です。それら全ての演出を務めてきたのはウォーリー木下さんです。

5期生版を観て、僕はウォーリー木下さんの「是が非でも過去公演を超えてやる」という意気込みを感じました。そしてその思いは見事に実を結んだと思います。どういうことなのか、詳しく述べていきましょう。

演出家は変わっていませんが、上演される劇場は3回とも異なります。2018年は天王洲銀河劇場とTBS赤坂ACTシアター、2019年はTOKYO DOME CITY HALL、そして2024年はIMM THEATERです。

これらの中でIMM THEATERは最新の劇場であり、2023年11月に開業しています。そして2024年版は開業から約半年後に公演されました。

ちなみに、それ以外の劇場は公演時点で開業からすでに10年以上が経過していました。

この事実から、IMM THEATERには過去公演の劇場に比べて最新の舞台装置が備えられている、もしくは最新の舞台装置に対応できる構造があると僕は考えています。

それに加えて、2019年版が公演されてから5期生版が公演されるまでの間に舞台装置自体も進化していたでしょう。

一見すると、劇場なんてどこも同じに見えるかもしれません。

しかし、世の中にはその演目のための専用劇場が存在しています。僕は舞台装置や劇場機構については全く明るくないのですが、各劇場によって出来ることや出来ないこと、得意なことや苦手なことは確かにあると思います。

考察のために2019年版が公演されたTOKYO DOME CITY HALLの施設情報と、5期生版が公演されたIMM THEATERの施設情報を参照してみました。

TOKYO DOME CITY HALLの舞台開口面積は横に広いです。それに比べてIMM THEATERの舞台開口面積はTOKYO DOME CITY HALLよりも横幅が狭いものの、1m以上の高さを有していることが分かります。

TOKYO DOME CITY HALL → 幅:18m 高さ:7.8m 奥行き:12.55m
IMM THEATER → 幅:約13m 高さ:9m 奥行き:約12m

なるほど、2019年版は横長の長方形、5期生版は正方形に近い印象があったのは当然ながら劇場の構造故だったんですね。

また、TOKYO DOME CITY HALLの設備に比べてIMM THEATERは巨大スクリーンが付帯設備として利用可能です。さらに、配信のための設備が常備されていることが大きな特徴です。

このようなIMM THEATERの構造や設備、そして舞台装置の進化こそが2019年版よりも豊かな表現を作り出すことを可能にしていたと僕は考えています。採用できる演出案が増えたのでしょう。

しかも、配信設備が常設されている劇場を選定したということは、この作品の配信は計画的なものだったと考えて良いはずです。そして配信をするのであれば、2019年版以上に多くの観客が観劇すると想定できます。

このような状況で、敢えて過去公演と同じ演出案をそのまま採用し続けるのは演出家の怠慢です。最新の劇場だからこそ実現できる最高の表現を追求すべきであり、ウォーリー木下さんはそれに取り組んだのだと思います。

実際に2019年版と5期生版を比較してみると、明らかに後者の表現が豊かであり、彼の追求が垣間見れます。

第一に、冒頭の場面でそれが顕著でした。

この作品は月野うさぎが東京タワーから落ちていく夢を見ている場面から始まります。2019年版は月野うさぎ役の久保史緒里さんが階段台に立ち、階段台をX・Y軸上で平面的に動かすことでそれを表現していました。

観客は、実際に落ちていない表現を観ながら月野うさぎが落ちていく様子を想像する必要があります。

それに対して5期生版はフライングを採用していました。冒頭から2019年版の演出と全然違っていて驚かされたことを覚えています。

月野うさぎ役の井上和さん・菅原咲月さんをフライング装置で空中に設置し、座標をそのままにX・Y軸・Z軸上で回転させることでそれを表現していました。そして最後にはZ軸上で床まで降下させています。

実際にゆっくりと落ちているので、観客は月野うさぎが落ちていく様子を想像する必要がありません。観たものをそのまま受け取れば良いだけです。

これはIMM THEATERがフライングという比較的新しい舞台設備に対応できる、つまり役者を吊るしても安全を確保できる堅牢な構造で、なおかつ舞台開口面積に十分な高さをもつが故に作り出せた表現ではないでしょうか。

そして、表現が豊かとはこういうことです。

特に舞台上で幻想的あるいは超現実的な様子を描写するには、少なからず観客の想像力を頼って補完してもらざるを得ません。実感は湧かないものの、観客はこれによって負担を強いられている状態です。

しかし、表現が豊かであればあるほど現実感が高くなり、観客が行使する想像力の量が低くなって負担が減るのです。

例えば、出演者が「エクスペクト・パトローナム!」という台詞を言って守護霊が出現する場面を観るとしましょう。

守護霊の存在を想像しながらお芝居を観るのと、視覚効果や舞台装置等で実際に守護霊を舞台上に出現させたお芝居を観るのとでは、後者の方が精神的に楽ですよね。

5期生版に見受けられる2019年版からの進化とは、このような表現の豊かさを指しています。それを念頭において5期生版を観ると、2019年版よりも観客の負担が大きく減っていることが実感できます。

第二に、巨大スクリーンを利用することによって表現がさらに豊かになり、これが観客の負担減に力強く寄与していました。

この作品は観客席から観ると上段・中段・下段で階段式の構造になっており、出演者はそれらの至る所から登場します。巨大スクリーンは上段の奥に設置され、上段から登場した出演者の背景になる位置取りです。

過去公演には巨大スクリーンがなく、場面転換や心の中の様子をプロジェクションマッピングや照明や音声だけで表現していました。

それに対して5期生版は随時スクリーンを利用できるため、それらに映像を加えることでより臨場感を高めていました。

セーラージュピター/木野まことが登場するD国大使館での舞踏会の場面が強く印象に残っています。

2019年版は音楽と暗めの照明で舞踏会を表現していました。5期生版はそれらに加えて巨大スクリーンに舞踏場の内装を映し出しています。これによって舞踏場にいる臨場感が格段に上がっていました。

また、なにより僕が感心したのはセーラームーンがクイン・メタリアを封印する場面です。

クイン・メタリアの強大な力の前にセーラームーンは敗北しそうになります。しかし、仲間のセーラー戦士やクイーン・セレニティの心の声を支えとしてついにクイン・メタリアに打ち勝ちます。

2019年版ではそれを主にセーラー戦士の影と音声で表現していました。心の声ですから、実像を見せなくても成立する場面です。

しかし、5期生版は巨大スクリーンにセーラー戦士やクイーン・セレニティを映し出すことでそれを表現していました。

彼女達が、セーラームーンこそが最後の希望であり全てを託すという必死の表情を浮かべている映像が心の情景として巨大スクリーンに映し出され、臨場感が非常に高くなっていました。

観客である僕も知らず知らずのうちにセーラームーンの勝利を願い、セーラームーン頑張れと応援してしまうほどでした。臨場感が絶頂したが故の没入ですね。

このように考えると、まずIMM THEATERの性能や時代の進歩によって採用できる演出案が増えていたのは事実だと思います。

ウォーリー木下さんはそれらを駆使し、過去公演の演出案を土台にしながらより的確で新しい表現を模索し作り上げていったのではないでしょうか。

その痕跡が至る所から垣間見えるが故に、僕は彼の「是が非でも過去公演を超えてやる」という意気込みを感じ取ったのです。

彼のXに下記のような投稿があることからも、今の自分が作り出せる最高の「乃木坂46版 美少女戦士セーラームーン」を具現化するための追求があったのだと思います。

さて、ここまでは2019年版と5期生版を比較してその進化を中心に感想や考察を述べてきました。

しかし、よく観てみると2019年版と5期生版で実はそれほど変わっていないと考えられる場面があります。

月野うさぎ達がセーラー戦士に変身する場面です。この場面、5期生版は2019年版の演出をほとんどそのまま継承しているように思いました。

これは、乃木坂46がこれまでに公演してきた美少女戦士セーラームーンの魅力を保全するための施策なのではないかと僕は考えています。どういうことなのか、詳しく述べていきましょう。

2019年版や5期生版を観て改めて強く感じたことがあります。

やはり美少女戦士セーラームーンは、女の子の女の子による女の子のためのヒーローです。

今も昔も女の子の憧れあり、女の子が思わず真似したくなるようなカッコよさを纏っていなければなりません。

どんなに観客の大半が乃木坂46のファンである男性だとしても、これは欠かすことの出来ない要素です。そしてそれが最も顕著に表れるのは変身の場面ですね。

上述してきたIMM THEATERの性能や舞台装置の進化を駆使すれば、恐らく技術的には5期生版の変身を過去公演よりも豪華に出来たはずです。

しかし、もしもそれを実行したら過去公演の変身が相対的に質素になって色褪せてしまうでしょう。

上位の存在に変身するのであればそれに比例して演出が豪華になることは理解できますが、2019年版と5期生版は同じセーラー戦士に変身しているのです。であれば、どちらも等しくカッコよくなければいけません。

変身が色褪せてはならない。

たとえ技術的に豪華に出来ても敢えてそれをしなかったのは、この矜持を守ろうとするウォーリー木下さんの意思が働いていたからではないでしょうか。

だからこそ彼は、変身の場面において過去公演の演出をほとんど改変することなく採用したのだと思います。

このように原作へ帰属する魅力を損なわないよう丁寧に取り扱う施策からは、原作や原作者の武内直子さんに対するウォーリー木下さんの尊敬の意思を感じます。

彼の誠実さや作品製作への直向きさによって、武内直子さんは全幅の信頼で作品を任せられると思った様子が想像できます。


Team MOON について

ここからは各チームに焦点を当てて感想や考察を述べていきます。まずはTeam MOONからです。

セーラームーン/月野うさぎを演じたのは井上和さんです。

僕が感心したのは、彼女が台詞を言う時の抑揚です。それによって月野うさぎが懐いている感情を非常に分かりやすく表現していたと思います。

5期生のほとんどは今回の作品が初の舞台出演です。恐らくはその経験値の乏しさ故に、意図せず台詞を棒読みしてしまっていた場面が少なからず見受けられました。

しかし、井上和さんは台詞にずっと意識的な抑揚をつけてお芝居をしていたように感じました。

月野うさぎは主人公であり、舞台上にいる時間が最も長い役です。それでもあの抑揚を絶やすことなく持続させていたのですから、相当な集中力を要したと思います。

ちなみに、僕は一度だけ舞台に出演した経験があります。それに基づいて述べると、抑揚とは大袈裟なくらいに実行しないと観客には棒読みに聞こえてしまうものです。

我々は日常生活でそれほど抑揚を意識して会話しておらず、想像以上に平坦な発声をしています。自分の会話を客観的に聞いてみると、それが良く分かるでしょう。

意識的な抑揚をつけてそれを持続するのは簡単なことではありません。集中が途切れるとすぐに棒読みに戻ってしまいます。上演中それを絶やさずに実行していた井上和さんのお芝居は非常に高い品質だったと思います。

そして、もしもそれを無意識にやっていたのだとしたら、舞台女優としての才能が感じられますね。

セーラーマーキュリー/水野亜美を演じたのは小川彩さんです。

セーラーマーキュリーは水と知性のセーラー戦士であり、彼女の真っ直ぐでハリと透明感のある歌声がこの人物像と非常に良く適合していました。

また、Team MOONで歌唱が最も安定していたのは小川彩さんだと僕は思います。

どうしても乃木坂46が公演する美少女戦士セーラームーンのミュージカルでは歌唱力の低さが目立ちがちです。5期生版でもそのような場面はちらほら見受けられました。

しかし、小川彩さんの歌唱は比較的安定していたと思います。聴いていて辛くなる瞬間は少なく、まさに知性を感じさせる歌声は耳に心地よかったです。

小川彩さんは5期生そして2024年6月現在の乃木坂46で最年少17歳です。若いうちにこのような注目度の高い作品へ出演し、とても貴重で良質な経験値を得られたでしょう。これからの更なる成長が期待されます。

セーラーマーズ/火野レイを演じたのは岡本姫奈さんです。

舞台上での実に堂々とした佇まいが印象的でした。彼女は乃木坂46に加入する前は長年に渡りバレエを習っており、その実力は本場のロシアバレエ団への留学権を得るほどです。

あの佇まいは、このような幼いころから人前でバレエを披露してきたという経験値の高さが起因していると思います。

特に月と地球の舞踏会の場面では、バレエの実力を存分に発揮していたと思います。ほんの数秒の場面ではあったものの、その靭やかさや技工の高さが一際目を引きました。

また、これはあくまで僕の感想・見解ですが、セーラーマーズ/火野レイを演じるのは相当な重圧があると思います。というのも、2019年版のセーラーマーズ/火野レイがあまりにも完成されていたからです。

5期生は所々で参考のために過去公演の映像を観たと証言しています。恐らくは2019年版のセーラーマーズ/火野レイの完成度の高さを実感したのではないでしょうか。

どうしたらあの完成度に匹敵するようなセーラーマーズ/火野レイを作り出せるのか、努力や試行錯誤の連続だったと思います。

岡本姫奈さんは自身に備わっている実力や経験値を糧にして、彼女ならではのセーラーマーズ/火野レイを作り出していたと思います。その苦労を労いたい。

ちなみに、千秋楽公演のカーテンコールで彼女は熱い涙を流していました。

これまた僕の感想・見解・もはや妄想ですが、あの涙には赦しの実感が込められていたと思います。

岡本姫奈さんの乃木坂46としてのデビューは非常に荒々しく、お世辞にも良いとは言えませんでした。デビュー前に重大な過ちを犯してしまい、当時は多くの批判が相次いでいました。

はっきり言って僕の彼女に対する第一印象は最悪であり、僕はずっと彼女の出演する作品を観ることが億劫になりがちでした。

岡本姫奈さんはそのような経験を経て今回の作品に出演しています。

千秋楽で起立を伴う拍手喝采を浴び、ようやく自分に対して同調圧力や嘘偽りのない純粋な評価と称賛をもらえた、ようやく私は乃木坂46のファンから赦してもらえたと実感していたように僕には見えました。

もちろん、あの涙には達成感や緊張からの解放や全公演が終了してしまった喪失感が込められていたでしょう。

しかし、それら以外に彼女の中で背負い続けてきた十字架が一気に軽くなった感覚があったのではないでしょうか。

なお、これについて本人の言及は一切ありません。故にあくまで僕の妄想です。少なくとも僕にはそう見えました。

そして僕も素直に彼女のお芝居を称賛することで、第一印象が和らいで心が軽くなったような気がします。

セーラージュピター/木野まことを演じたのは五百城茉央さんです。

恐らく台詞回しが最も大変だったのは彼女ではないでしょうか。彼女は兵庫県出身で、普段は関西弁で話しています。

しかし、木野まことは標準語を話す役です。それを演じるからには標準語や標準語の発音で台詞を言う必要があります。きっと関西弁の発音にならないように意識を向けながらお芝居をする努力が要求されたと思います。

それに加えて、木野まことの口調や仕草は硬派です。しかもアニメの一場面を観る限り、声質も低音気味です。

五百城茉央さんは特にこの声質に気を遣ってお芝居をしているように見えました。どんなに大きな声を出しても、高音になりすぎて木野まことらしい声質を失わないよう意識的に取り組んでいたと思います。

ただでさえ慣れない台詞回しで、声質にまで気を配らなければならない状況だったためか、時折滑舌が悪くなっていました。

初舞台がこれだけ大きい負担があるものだったということで、後には良い経験として蓄積されていくでしょう。

さらに経験を積んで行けば、関西弁と標準語を両方駆使できる役者としての道を進んでいけるかもしれませんね。そして、彼女が関西弁を話す役を演じる姿を観てみたい。

セーラーヴィーナス/愛野美奈子を演じたのは池田瑛紗さんです。

現在の乃木坂46の鉄人と言えば彼女です。東京藝術大学に通いながら乃木坂46や個人の仕事をこなし、忙しない日々を送っていることが想像されます。

実際に彼女のブログへ目を通してみると、恐らくは多忙ゆえ稽古に参加できない日があったらしいです。

池田瑛紗さんが舞台に出演するのはこれが人生初とのことです。であれば、少しでも稽古場に身を置いて不安を払拭するための個人練習に取り組みたいと思うのが普通ではないでしょうか。

しかも、池田瑛紗さんは公演初日前に足を負傷しています。初の舞台出演でそのような状況では、常に大きな不安を感じていたと思います。

セーラー戦士達がクイーン・セレニティの魂と出会った時、Team MOONはお辞儀をしてましたがTeam STARは跪いていました。この演出の相違は池田瑛紗さんの怪我を考慮したものだったのかもしれませんね。

それでも彼女は全公演に出演し役を演じ切りました。自分に与えられた一つ一つの仕事へどこまでも実直に取り組む態度は本当に尊敬に値します。そして彼女の勇気を称賛したい。

確かに、滑舌や歌唱はまだまだ成長途中だったと思います。とはいえ、初めての舞台出演であれほど堂々としたお芝居を披露していたことも事実です。

だからこそ、悔やまれる。

もっともっと時間をかけて芸を磨いた上で、全快の池田瑛紗さんのお芝居を観てみたいと思いました。彼女が役作りや稽古に全集中できて、なおかつ全快の状態であればさらに高い品質のお芝居が出来上がったと思います。

もしも2025年版が公演されるのであれば、僕は池田瑛紗さんのセーラーヴィーナス/愛野美奈子役続投を希望します。

それにしても、初登場の場面で彼女が放った「ヴィーナスラブミーチェーン!」は本当に凛々しくカッコよかったです。


Team STAR について

次にTeam STARの感想や考察を述べていきましょう。

セーラームーン/月野うさぎを演じたのは菅原咲月さんです。

2024/02/27に5期生版の配役が発表され、菅原咲月さんがセーラームーン/月野うさぎを演じることが判明しました。

その情報に触れた時の納得感は強烈でした。彼女の顔つきでセーラームーン/月野うさぎの役が似合わないはずがない。

そして僕は「絶対この子セーラームーン好きでしょ!」と思いました。彼女の顔つきからは、幼い頃にセーラームーンごっこに興じていた姿が容易に想像できます。

案の定、彼女はブログで作品への愛やそれに出演できる嬉しさを語っていました。

作品への愛ゆえでしょう、彼女が一つ一つの台詞や仕草を丁寧に大切に作り出しているのが感じ取れました。

特にセーラームーンに初めて変身して「彼女から離れなさい!か弱い女の子をいじめるなんて許せない!」という台詞を放った時が強く印象に残っています。

あの口調や仕草、首の角度から腕を振り下ろす速さまで全てが計算し尽くされているようで、菅原咲月さんが幼い頃から憧れ愛してきたカッコいいセーラームーンを作り出すための研究成果を見せつけられたようでした。

また、月野うさぎの調子づいてルナや水野亜美に諭される様子や誰にでも分け隔てなく接する様子は、先輩や同期メンバーと積極的に交流する普段の菅原咲月さんが表れているようでした。

登場人物が役者に似ている。

適役とはこういうことであり、改めて彼女がセーラームーン/月野うさぎを演じることに納得感を覚えました。

人生初の舞台ということで、台詞の抑揚や歌唱にはまだまだ成長の余地があったと思います。

しかし、何よりも彼女がセーラームーン/月野うさぎを演じる幸せを噛み締めていることが伝わってきました。観ているこちらまで思わず微笑んでしまうような、観客に幸せを分け与えるお芝居は温もりに満ちていました。

セーラーマーキュリー/水野亜美を演じたのは中西アルノさんです。

5期生の中でも歌唱力に定評がある彼女です。中西アルノさんがどのような歌唱を披露するのか、Team STARの注目点として僕は楽しみにしていました。

中西アルノさんの瑞々しく清涼感のある歌声は、水の戦士を演じる上でとても良く映えていて期待通りの歌唱を披露してくれました。

特にセーラーマーキュリーに初めて変身した時の歌唱は、自信に溢れていたと思います。自らの歌唱力を見せつけてやると言わんばかりの佇まいは、まさに舞台人のそれでした。

また、どちらかというとセーラーマーキュリー/水野亜美の人物像は優しいとか冷静とか、落ち着きの感情を伴うものでしょう。

中西アルノさんのお芝居はそれに躍動感や力強さを加えており、カッコいい水の戦士を観せてくれたと思います。

ちなみに、2019年版でーラーマーキュリー/水野亜美を演じたのは3期生の向井葉月さんです。中西アルノさんのお芝居からは、お世話になった先輩の役を引き継いだ光栄が感じ取れました。

セーラーマーズ/火野レイを演じたのは一ノ瀬美空さんです。

乃木坂46として活動する彼女は常にニコニコしていて可愛らしいです。そんな彼女が真面目で凛とした印象が強いセーラーマーズ/火野レイを演じると知った時、どんなお芝居になるのか想像できませんでした。

これまでの印象と全く違う一ノ瀬美空さんのお芝居を観た時、その反動がなかなかどうして悪くなかったです。Team STARで最も僕の印象に残っているのは彼女のお芝居です。

また、一ノ瀬美空さんは特に歌唱時に敢えてざらついた声を出そうと意識していたように思います。

セーラーマーズ/火野レイがもつ正義感や硬派な印象を作り上げるために、彼女なりの工夫を取り入れたのではないでしょうか。

だとしたらそれは役作り実直に取り組む舞台人の態度です。乃木坂46として見せている可愛らしい姿の裏に秘める真面目さや直向きさを垣間見れたようで感心しました。

彼女のブログに目を通してみると、セーラーマーズ/火野レイと自身との隔たりに不安を感じていたことやそれ故の努力があったことが読み取れますね。

一ノ瀬美空さんが自分とかけ離れた役に真正面から挑戦したことで、僕は最終的に彼女こそセーラーマーズ/火野レイを演じて然るべきだと思わされました。彼女のお芝居、そして彼女自身とてもカッコ良かったです。

セーラージュピター/木野まことを演じたのは冨里奈央さんです。

これまで聴いてきた彼女の声と全然違っていて驚きました。それまでに聞いてきた冨里奈央さんの声は、実に女の子らしいさらさらとした印象があります。

それに対してこの作品では、特に歌唱時に太くて低い声を出していました。

いつもの歌声と違い過ぎて、本当に冨里奈央さんが歌っているのか混乱してしまうほどでした。声質の遣い分けが徹底されていたと思います。

その声で安定感のある歌唱が行われたことで、特にセーラージュピターに初めて変身する場面のカッコよさが際立っていました。

ドスの利いた力強い歌声によって、セーラージュピター/木野まことらしさが見事に表現されていたと思います。

また、僕が冨里奈央さんのお芝居で他に注目したのは表情です。

特に4人のセーラー戦士がセーラームーンを蘇らせる場面、セーラージュピターの「ありがとうな、私の友達になってくれて!」という台詞を放った時の表情は忘れられません。

あの表情はもはやお芝居を超えたもので、菅原咲月さんに対する素直な感謝がそのまま表れていたと思います。

感情が爆発して泣き出しそうな表情で放ったあの言葉は、台詞であると同時に菅原咲月さんへ向けた冨里奈央さんの思いそのものだったのではないでしょうか。

その姿で「運命の貴女へ」という楽曲が披露され、僕は本当に感動して目頭が熱くなりました。

セーラーヴィーナス/愛野美奈子を演じたのは川﨑桜さんです。

与えられた役を心底気に入って楽しみながらお芝居をしている彼女の様子は、とても微笑ましかったです。

実際に川﨑桜さんは千秋楽後に放送された「乃木坂工事中」で、この作品への出演がめちゃくちゃ楽しかったと語っています。

川﨑桜さんも舞台に出演するのは人生初とのことです。普通なら緊張で打ちのめされそうですが、それを楽しめるとはなかなかの度胸です。

ちなみに、彼女は長年フィギュアスケートをやってきた経験があります。岡本姫奈さん然り、やはりあの度胸は幼いころから人前で何かを披露してきた経験値故なのだと思います。

さて、調べてみたところ、セーラーヴィーナスはセーラー戦士達のリーダーらしいです。思い返してみると、川﨑桜さんのお芝居からは確かに毅然とした統率者らしい雰囲気が醸し出されていました。

乃木坂46として活動している川﨑桜さんは、いつもおっとりとした柔和な雰囲気です。しかし、上演中はそのような雰囲気がほとんどなく、彼女がしっかりと役を作って自分に刷り込んできたことが感じ取れました。

川﨑桜さん自身が「のぎおび!」で語っていましたが、初舞台故に何から頑張れば良いのかすら分からなかったとのことです。

そのような状態から、普段の自分を捨てて登場人物らしさを醸し出すまでのお芝居に高めていったからには、相当な努力があったのではないでしょうか。

あるいは、自分の役を気に入ったことで努力をしている感覚すらないまま役作りに取り組むことが出来たのかもしれませんね。初舞台でそのような役を得られたことは非常に幸運だと思います。

これを機に彼女がお芝居の楽しさや舞台作品を作ることの面白さに目覚め、積極的にその方向へ進出していくことを期待します。


余談:ムーンライト伝説

この作品は本編が終了した後にスペシャルLIVEショーがあり、各チームのメンバーがセーラームーンの楽曲を披露します。その終盤には「ムーンライト伝説」が披露されました。

いやはや、本編を観た後で聴く「ムーンライト伝説」は鳥肌モノであり、この楽曲の力強さに感動しました。

独特なイントロが流れた瞬間、美少女戦士セーラームーンと言えばこの楽曲は絶対に欠かせないと思わされました。改めてこの楽曲を聴いてみると、とてもカッコ良かったです。

そして、何より僕が凄いと感じたのはこの楽曲の歌詞です。

よくよく聴いてみると、男性に恋い焦がれる女の子の心情を綴ったものでしかないことに気づきます。

美少女戦士セーラームーンと直接紐づくような歌詞が見受けられず、強いて言えば「同じ地球(くに)に生まれたの」くらいではないでしょうか。それにしても「地球」を「くに」と読ませるのは実に心憎い演出ですね。

仮面ライダー然り、ウルトラマン然り、プリキュア然り、ヒーローが登場する作品の楽曲の歌詞にはヒーローの名前が入っているものです。美少女戦士セーラームーンのアニメが放送されていた時代であれば尚更でしょう。

そうすることで、視聴者にヒーローの存在をより強く印象付ける狙いがあるように思います。

しかし「ムーンライト伝説」にはそのような手法が取り入れられていません。それにも関わらず、この楽曲は美少女戦士セーラームーンを象徴する代名詞的な楽曲になっています。

これこそ、僕が感じた「ムーンライト伝説」という楽曲の力強さです。

たとえ時代が変わってもこの楽曲が色褪せないのは、美少女戦士セーラームーンと直接紐づく歌詞を最小限にしたことが大きく起因しているのではないでしょうか。

イントロの独特なメロディと音色で興味をもたせた後、いつの時代にも女の子が抱えるであろう恋心故の悩みや葛藤を歌い上げています。この普遍性は時代の影響を受けにくいです。

それによって、長年に渡り多くの女の子の共感を生み続けてきたように思います。

ただでさえ独特で印象的な楽曲です。それが「美少女戦士セーラームーン」という人気作品と交わり、唯一無二の楽曲へと昇華したのだと思います。その名に恥じぬ伝説的な楽曲ですね。


まとめ

「Team MOONについて」や「Team STARについて」の章で各メンバーへの感想や考察を述べてきました。ここで僕は、あと2人取り上げたい出演者がいます。

ルナ役の松本美里さんと若狭博子さんです。

僕が観たLIVE配信では若狭博子さんだけでしたが、ルナ役を務めた2人を労い称賛したい。

彼女達は舞台に登場している間、ほぼ常時中腰や膝を折り曲げた状態でお芝居をしていました。負担の大きい姿勢が求められる役であり、これだけでも相当な体力を消耗するでしょう。

また、どうしても照明が彼女達に当たってしまう時には、自分の顔を見せないように顔を観客席とは反対の方へ背けていました。

ルナを演じること、人間である自分の姿を消すこと、そしてルナを観客へ印象付けることに徹底していました。その心意気とルナを操る職人芸は本当に素晴らしいと思います。

舞台で躍動するルナは本当に生きているようで、作品の幻想的な世界観を支える支柱になっていたと思います。本当におつかれさまでした。

さて、今回の記事では2019年版と5期生版を比較しながら執筆を進めてきましたが、同じ作品を公演時期で区切って比較することがこれほど面白いとは思いませんでした。

今作と同じように何年にも渡って進化を続けながら引き継がれている作品は他にもたくさんあるでしょう。そのような作品を観る時には、今回の記事のような観点を意識して鑑賞に臨んでいきたいと思います。

それにしても、2025年版、公演してくれないでしょうか。

2018年が初演で、翌年2019年にも公演をしています。この流れに則れば、2025年版が公演されても良いように思います。

もし計画があるなら、少しでも早く稽古や役作りや舞台セット製作等に着手して、2024年版をさらに進化させた作品を作り上げてほしいです。

そしてクイーン・セレニティ役をかつてセーラームーンを演じた久保史緒里さんが務めるなんてことになったら、それだけでも感動してしまいますね。

乃木坂46のセーラー戦士達よ、運命の貴女達へいつかまた出会えるよう願っています。次こそは劇場へ足を運びたい。

以上、【舞台感想文】乃木坂46 5期生版 ミュージカル「美少女戦士セーラームーン」 でした!!

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