【新装版『愛』『ロマン』重版記念大公開!】『ロマン』新装版訳者あとがき
国書刊行会創業50周年記念として新装復刊した、ウラジーミル・ソローキン『ロマン』(望月哲男訳)が、『愛』(亀山郁夫訳)に続き重版となりました。
弊社のTwitterでの重版告知文や、『文藝』誌上での川名潤さんによる「装幀評」をご覧になった方はご存じかもしれませんが、本書と『愛』の突飛な装画は、なんとAIによって描かれています(装幀=松本久木)。
この異常装幀の秘密は、いずれどこかで詳しく語りたいと思いますが、まずはこのたびの重版に感謝を申し上げ、訳者望月さんによる、『ロマン』の「新装版 訳者あとがき」を大公開いたします。
初刊『ロマン』の衝撃から20年。
ソローキン文学の「その後」と「現在」について概観できる内容となっておりますので、ぜひお読み下さい。
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新装版訳者あとがき 望月哲男
本書『ロマン』の原作の出版が1994年、「文学の冒険」シリーズでの翻訳の出版が1998年、それからちょうど4半世紀の時を経て、21世紀版の新装『ロマン』が出版されるというのは、実に感慨深いことです。この間に世界が大きく変わり、ロシアがさらに大きく変わり、そして作者ソローキンも変わりました。
本作やその姉妹編の『ノルマ』などを書いていたソ連末期から社会主義体制崩壊後にかけてのソローキンは、いかにもソ連アンダーグラウンド文学の末裔といった存在。文芸の主流が激変を続ける現実の解釈に熱中する傍らで、すでに生を終えた社会主義的記号に満ちた風景や、その遠景をなす19世紀ロシア文学的世界の再構築と解体という、「死体玩弄」にも似たシニカルな作業に浸る彼の姿は、ロシア・ポストモダンと呼ばれた時代においても異彩を放っていました。
そんなソローキンが20世紀末から今世紀にかけて、その特異な作風を保ったまま、徐々にマクロな国家史やリアルな権力のテーマに関心を示すようになり、結果として、様々な「可能性としてのロシア」を描く奇想あふれる物語が、続々と誕生しました。
1999年の『青い脂』(邦訳2012年)には、ロシア・ソ連期の作家たちのクローンによる実験的な創作の結果がいくつも登場し、まさに本作『ロマン』のようなロシア文学の精巧なリメイクの「へたうま」版自己パロディとして、不気味な笑いを誘います。ただしそのゲームは、改変された第二次大戦後の歴史を生き延びるスターリンの冒険や、言語も経済も半ば中国化した2068年のシベリア世界を含む、「もう一つのロシア史」の壮大な物語の一部なのです。
2002~05年の『氷』三部作(邦訳2015~16)では、ツングース隕石の氷塊の作用で覚醒した「光の兄弟」集団が、地上的存在から「原初の光」へと回帰するというユートピア伝説風ストーリーが、シベリアやウクライナを含む広い空間を舞台に展開されています。2006年の『親衛隊士の日』(邦訳2013)は、16世紀のイワン雷帝のごとき絶対権力者の皇帝と、その脇を固める無敵かつ傍若無人な親衛隊が、2028年のロシアに復活しているという仮想近未来の話。2013年の『テルリア』(邦訳2017)も、別のタイプの近未来仮想小説で、21世紀半ばのロシアとヨーロッパの広大な部分が、キリスト教、イスラム、共産主義、民主主義、スターリニズムなど雑多な原理を掲げる多数の小国に分裂し、ロシアはその中で「正教共産主義」が幅を利かす小規模な専制国家として存在しているという構図です。
ロシアの歴史と未来をテーマとした以上のような実験的小説群によって、ソローキンはポストモダン時代のアングラ作家から、メジャーな出版界の人気作家へと変身、「ゴーリキー賞」や「ボリシャヤ・クニーガ(大きな本)賞」といったロシアの権威ある文学賞を得て、国際的にも高く評価されるようになってきました。
創作の最初期から彼がこだわり続けてきた権力・暴力というテーマは、現実の政治プロセスの中でますますアクチュアルな意味を持つようになり、『親衛隊士の日』への反響に典型的なように、その作品世界がプーチン政権の近未来予測、あるいはむしろその現実の姿の戯画として読まれることもしばしばです。
実際、現在のソローキンは、権力の独裁を正面から批判する、あるいはそうすることの可能な、限られた数の良心的作家群の一員と見なされていて、この度のウクライナ侵攻に関しても、居住するドイツからきわめて批判的なメッセージを発しています。
傲慢さや慢心のない能吏だったプーチンが、「賢明な独裁者」から「絶対的な権力と帝国主義的な攻撃性および敵意」に酔った怪物と化して、ロシア帝国を復活させようとしている──かつて倫理もマナーも超越した破壊的な作風で、ロシア文学界のモンスターと呼ばれた作家ソローキンが、現実世界のモンスターとなったプーチンの狂気を、危機感を持って解析し、「その怪物を絶対の過去のものとするように自分たちが全力を尽くさねばならない」
※ソローキン「プーチンはいかにして怪物となったのか」クーリエ・ジャポン編『世界の賢人12人が見たウクライナの未来プーチンの運命』(講談社+α新書)
と、真摯な決意を語っているのです。
とめどもなく変転するロシアの現代史と、その時間の中で特異な変化を遂げたソローキンの創作史を頭におきながら、本書『ロマン』の世界をあらためて振り返ってみると、筆者にはそれが(もしも物語原理を裏切るような驚きと刺激に満ちたこの作品にそんな形容が許されるとすれば)きわめて「静謐」な空間に見えます。牧歌的な人物像や出来事の構築も、甘美でユーモラスな文体模倣も、またそれらの壮絶な解体・破壊も、そしてそこから生まれる人生や愛や芸術やロシアそのものをめぐる一連の思考の展開も、アクチュアルな政治や社会とは隔絶した、文学空間の内部で行われているからです。思えば、表現世界と現実世界とのこの隔絶、表現への完璧な没入ぶりこそ、権力が文芸にとことん介入してきたソ連という管理社会が逆説的に育んだ、アンダーグラウンド芸術の真骨頂なのでしょう。そしてそうした「別世界」の内においてこそ、暴力と愛、精神と身体、快楽と苦痛、正気と狂気、フィクションとリアル……といった、素朴かつ根源的な問題設定も、特異な輝きを放つのではないでしょうか。
一幅の絵を仕上げるように文学作品を造形していくこの作家の手法も、この作品でこそ最高のかがやきを放っているような気がして、訳者自身、改めて『ロマン』の世界にいとおしいような気持ちを覚えている次第です。
なお、改版の機会を利して、繊細なスタイリストの作者に改めて敬意を表するつもりで、文章の調子、動植物の名称、代名詞などを中心に、初訳に若干の改訂を加えました。その際、初訳の底本としたオブスクリ・ヴィリ社の単行本(B. Сорокин. Роман. Москва: OBSCURI VIRI и издательство "Три Кита", 1994)に加えて、後に出たアド・マルギネム社の二巻本作品集に収録されたもの(B. Сорокин. Собрание сочнение в двух томах, том II, Москва: Ad Marginem, 1998)に収録されたテキストも参照しました。
明らかな誤植やミスの訂正と思えるところを除き、前者から後者への文言単位の変化はごくわずかですが、ページレイアウトには手が加わっています。例えば物語の性格が変わり段落が消えていく最後のパートで、新版には、旧版になかった「移行段階」のようなものが設けられ、初めの数ページ、むやみに段落が長くなっていく中にぽつりぽつりと意味の切れ目とは無関係な唐突な改行が現れたかと思うと、最後に段落なしのひたすら文字で埋め尽くされたページ群が現れる仕組みになっています。作者にとって小説とは絵画であり、文字によるページ面の造形であるとするならば、そのテクスチャー表現に細かさが加わったということでしょうか。なお原作と邦訳ではページ構成そのものが異なることと技術的な制約とからこの部分の改訂は最小限にとどめました。(2023.2)
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【特報!!!】
河出書房新社×国書刊行会「ソローキン祭り」爆催!!!
『愛』『ロマン』(新装版)、『吹雪』(河出書房新社)の連続刊行を記念して、紀伊國屋書店新宿本店にてトークイベントを開催します。
【2023年6月18日(日)13:40開場 14:00開演@紀伊國屋書店新宿本店 2階BOOK SALON】
※予約分座席はすでに満席ですが、オープンスペースでの開催となりますので、当日は出入り自由&無料でご観覧いただけます。配布予定の豪華コメント&ソローキン全作品解説つきの狂気の無料小冊子も鋭意制作中。ぜひお気軽にお立ち寄り下さい。以下リンク先がご案内です。
【2階BOOK SALON】《国書刊行会×河出書房新社》邦訳作品連続刊行記念「ソローキン祭り」! 豊﨑由美さん×マライ・メントラインさん×松下隆志さんトークイベント
新装版 ロマン
ウラジーミル・ソローキン 著/望月哲男 訳
四六変型判・808 頁 ISBN978-4-336-07461-4
定価5,940円 (本体価格5,400円)
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