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【怪奇短篇試し読み】父が娘のために語る、こわいお話――「恐怖の輪」冒頭全文公開

本日7月8日は作家ジャン・レーの誕生日です。

『マルペルチュイ ジャン・レー/ジョン・フランダース怪奇幻想作品集』の刊行を記念して、本書収録の連作怪奇短篇集「恐怖の輪」の冒頭にあたる「はじめに――輪の中へ」を全文公開します。

「恐怖の輪」は11篇の怪奇小説を収めた、枠物語形式によって書かれた短篇集です。
「はじめに――輪の中へ」は、その冒頭を飾る第1作。
父が幼い愛娘のリュリュに怖い話を語り聞かせるという「枠」の物語であるのと同時に、これ自体が一篇の怪奇小説としての体をなしています。

ジャン・レーの『新カンタベリー物語』などがお好きな方はもちろん、怪奇小説愛好者の方は必見の、貴重な本邦初訳&初公開作品です。

ぜひ、ご一読下さい!

* * *

はじめに――輪の中へ   Liminaire. Les Cercles

               リュリュのために

 私の幼い娘リュリュは更けゆく夜のような黒い目をしていて、その滑らかな髪は夜空の闇のようだ。彼女はおごそかで、とても美しい。彼女の曽祖母は、ダコタのある消滅した部族出身の女性で、たしか若い頃、危険にさらされた日々には呪術師をしていたはずだ。
 私はリュリュにたずねる。
「おまえの人形たちはしゃべるのかい?」
「あの子たちはしゃべるし、走るし、遊びもすればケンカもするわ」
「それと、おまえの鉛の兵隊たちは動くのかい?」
「当然よ、死んでしまうまではね……。だって、彼らは兵隊で、死ぬために作られたのだから。頭を切り落とされた兵士も沢山いるわ。サーベルで戦って、お互いに首を斬り合うのよ」
 私は鍵穴から、リュリュが遊んでいるところを一部始終偵察してみたのだが、無駄だった。兵隊たちは身動きもせず前哨に立ち、人形たちは大人しく輪になって座っていた。けれども私が部屋に入ると、傷を負って身体を損なわれた状態で床の上に横たわる他の兵隊たちがおり、人形たちの頰は濡れていた。
「兵隊たちは戦争をして、お人形たちは泣いたの」リュリュはそう言った。
 彼女は床にチョークで輪を描き、そこに赤毛の子猫、ミッシを置いた。
 ミッシは訴えるように鳴き、息を吐いて、輪から部屋に飛び出そうと奇妙にもがいた。
「この子を閉じ込めたのよ」リュリュが言った。
「どこに」
「この小さな輪の中に、ほら」
「それじゃ猫はここから出られないのかい」
「ぜったいにね!」
「で、どうなるんだい?」
「お腹が減って、のども渇いて死んでしまうの!」
「かわいそうなミッシ!」
 リュリュはハンカチを取り出して、チョークで描いた輪を消した。解放されたミッシは部屋の中で飛び上がり、そして姿を消した。
 リュリュは偉大な魔法使いだ。いつか、何か気に入らないことがあって、彼女を怒らせてしまったら、私はネズミの姿にされて猫のミッシをけしかけられるか、アオバエに変えられて戸棚の隅に住んでいる蜘蛛の巣に投げ込まれるだろう。
 あるいはまた、彼女は私をあの輪の中に閉じ込め、私は飢えと渇きと絶望のために死んでしまうのだろう。

 そこは、リュリュと私がときどき行く古びた暗い庭だ。木々は塔ほどの高さにそびえ立ち、茂みは重苦しく密集していて、夕暮れの影の中で、倒れた大聖堂のような陰鬱な様子をしている。
 ある晩、リュリュは私の手をつかんだ。
「庭の中で火が灯っているわ」
 彼女の小さな手が、鞘に収まるかのようにわたしの手の中に滑り込んできた。
 火は向こうの方で燃えていた。それほど大きくはないけれど、不吉な感じだ。私の手の中で娘の手が少し震えている。
「あれは三人の悪者よ」彼女は小声で言った。「私の手を離さないで。もしあいつらが私を捕まえたら、あの火で私を焼いて食べてしまうの。きっと、パパのことも殺してしまうわ」
 私は三人の姿を見た。
 彼らは長靴ほどの背丈もないが、ずんぐりと醜かった。燃えさかる青白い炎の周囲で、楽しくもなさそうに踊っている。
「私はあいつらを知っているの」とリュリュは言う。「グローとグランダピエと、クラビーっていう名前よ。明日、日が昇ったら、やつらを殺してやるわ」
「やつらはどこにいるんだい?」
「あいつらはそれぞれ一本ずつの木に住んでいて、夜にならないと火を焚きに出てこられないのよ」
 翌日、真昼の太陽が高々と照らす時刻に、リュリュは私を庭に連れて行き、一番高い木を三つ選ぶと、幹の周りの地面にチョークで輪を三つ描いた。
「よしできた、あいつらはもう二度と火を焚くことはないわ」と彼女は言った。
 それから幾晩か、私は庭に入り込んだ。火は燃えていなかったが、木の高いところの影で三つの小さな声が甲高く悲痛に響いていた。
 夜ごとに、声は哀れっぽく、懇願するようになっていった。
 あの小さな闇の怪物たちはたしかに、魔法の輪の冷酷な牢屋から解放されるために人間の助けを求めていた。
けれどもリュリュは私が輪に触れることを禁じ、奇妙な哀れみの情が心の奥底で鳴り響いていても、私は人ならざる者たちの苦しみに取り憑かれた庭に背を向けた。
 今晩、声はやんだ。
 三人の悪者たちは死んだのだ。
 リュリュがそう望んだように。

 コペンハーゲンでのある夜のことだった。
 東通りの奥に、四分の三ほどふさがった係船ドックがあり、そこにいくつかの廃船が眠っている。
 私は疲れていて、眠りたかった。
 高くて長い、フナクイムシに食われた一隻の平底船が、大きな口のように開いた屋根を疲れた私に差し出していた。私はそこで、だいたい乾いていたベンチの上に眠り、そして朝、スンドの凍えるような太陽の光が私の顔に差して目が覚めたとき、自分がもはやバルト海の宿無し人のひとりに他ならず、醜悪な石造りの教会のわきにある白い大理石のベンチを寝床としていることを知った。私は海上や地上の朽ちる時代までそこに留まり、空っぽののぞき窓を通して、青ざめた人間の世代が死んでゆき、彼らの宮殿が倒壊して塵となるところを見ることができたかもしれない。もし、ベンチの下に一本の長く丸みを帯びた、指のようなチョークを見つけていなければ。
 月の明るい夜のただ中にあって、私の孤独な心は連れ合いの慰めを強く求めていた。
 油の染みついた隔壁の板に、私は三人の物言わぬ仲間の姿を描いた。指のようなチョークは、おそらく神様の手から切り落とされたものに違いなく、真っ暗な虚無からこの三人を生み出したのだ。
 一人目は背が高く太っていて、私は彼にラッパのように高く突き出た鼻を描き、でっかい額に丸い一つ目を作ってやった。こいつにはヒッカキスズメという名をつけ、革袋みたいにぱんぱんに膨れあがったやつの腹の下にその名前を書いた。
 二人目が描きあがったが、ひょろ長く痩せていて、尖った頭蓋があまりに長くて天井にまで達してしまった。コミックのキャラクターに似ていると思い、私はこいつをマーマデューク・ピッグ〔マーマーデュークは一九五〇年代のアメリカ漫画で、同名の犬が主人公〕と名付けた。
 少し後で、どうもこいつの顔が気に入らないので、豚の鼻を描いてやった。
 最後に、ドアの蝶番ちかくの場所に描き上げた、ネズミの顔とオポッサムの腹をした人間らしからぬ小びとの名前をつけるのに、私はしばらく迷った。
 このとき、一羽のウミネコが夜風の中で鳴いた。
 ウミネコは海でもっともおそろしい鳥だ。大型インコほどの大きさもないくせに、地獄そのもののような声で鳴く。その声は、小さな喉の奥から漏れ出るすすり泣きで人を脅かし、しまいには鈍色をした広大なバルト海を恐怖で震え上がらせるのだ。
 もし、この世の生を終える際に、陰鬱な私の魂に神の容赦なき審判が下るとすれば、その永劫の罰とは私の果てしない彷徨にウミネコを付きまとわせるというものだろう。
 暮れかかった夜の暗がりの中でこの鳥がクーケル!と鳴いたので、チョークで描かれた小さな怪物はクーケルという名になった。
 自在継手に結びつけた糸ろうそくの光が照らす間ずっと、私はこの怪物たちに話を聞かせたり、彼らをののしったりしていた。
 翌日、私は自分の安普請の古いぼろ家に帰っていくときに、雑巾の切れ端を用意していた。それというのも、昼の間ずっと、怪物たちの平面の体をいじり直し、手の込んだ拷問で攻め立ててやろうと準備していたのだ。
 糸ろうそくがぽうっと黄色い炎を灯したとき、彼らの姿はもはや壁の上に貼りついていなかった。彼らは私のベンチの上に座っていたのだ。
 私はベンチの下にわずかな煙草を隠しておいた。
 ヒッカキスズメがそれをふかしていた。
 船乗りの隠し戸棚にデンマーク製の上等なブランデーが半リットルあった。
 マーマデューク・ピッグがそれを飲んでいた。
 私が前の日の夕食で残しておいたニシンの燻製があった。
 クーケルがそれをがつがつと食い終えようとしていた。
 私は怒りに我を忘れて、叫びながら雑巾を振り回した。
「おまえたち、元の壁に戻れ、消してやる」
「嫌だね」と彼らは煙草を吸い、酒を飲み、ニシンを食べながら言った。
 そして、ヒッカキスズメは突き出た鼻で乱暴に私をつついた。
「ほら、おれっちにこんな鼻を描いたらどんなことになるか、思い知らせてやる」と奴は言った。
「あんたはおれにばか長い両脚を描いたよな」とマーマデューク・ピッグが叫んだ。「これが何に役立つと思うかい?」
 そして奴は私にすさまじい蹴りを二発食らわせて打ちのめし、ものすごく痛い思いをさせた。
「それで、おいらのことはこんなに醜く、ちびに描いたから何もできないだろうなんて思ったら大間違いだ」とクーケルが軋むような声で言った。そして奴は私の顔に強く唾を飛ばした。
「おまえたちは薄汚いチョークの粉じゃないか!」私はわめいた。「あっという間に消してやる」
 そんなことをしても何の役にも立たなかった。彼らは私をめった打ちにし、ひっかき傷をつけ、さんざん卑劣な仕打ちをした。彼らは私の後をぴったりついてきて決して離れようとせず、土地から土地へ、海から海へ、奥地から氷原にまでもついてきた。
 この先もこいつらが私から離れることはあるまい!
 すべての牢獄が四方の壁に囲まれているわけではない。私にとって彼らは、空間的にも時間的にも終わることなき牢獄となっている。それというのも、概念から生まれたこいつらは、概念という永遠の生を生きるからだ。
 そして私はチョークから、年月を経ても変化しない物質、神のインク壺から枯れることなく流れ出るこの絵の具から、彼らを作り出してしまったのだ。

 私はチョークで目の前の壁にいくつかの輪を描いた。それらの輪は空っぽで真っ暗だが、そのままの状態にとどまってはいないだろう。
 それらは、まだこれから生まれてくる世界に開かれた大きな円窓なのだ。生まれくる世界は、死にゆく世界と同じように、多くの恐怖に満ちている。
 まもなく、これらの円い窓のひとつひとつの中に、未知への不安に苛まれる顔が現れてくるだろう。
 このように、私たちがみずからの肉を味わうようにおのれの恐怖を味わうため、自分自身に語り聞かせる物語が生まれる。その後、神に捧げられたこの残酷な祝宴の血なまぐさい残飯が他の者たちに供される。
 そんなふうにして、ダンテの地獄でも、血の宴に招かれた不吉な選民たちがこのご馳走にあやかっていたのだ。

(白田由樹訳)

* * *

本作品「はじめに――輪の中へ」を収めた短篇集「恐怖の輪」には、このほかにも、
「実在する中世騎士の義手をめぐる古物怪談」
「ディー博士の魔術道具が引き起こす呪いの怪」
「ヴュルクという名の怪鳥と猟師の凄絶な戦いの物語」
など、絶頂期のジャン・レーの精華が詰め込まれた、強烈なインパクトと魅力に満ちた怪奇幻想短篇11篇を収めています。
ぜひお近くの書店・ネット書店・弊社HPなどで、本書をご予約下さい。

マルペルチュイ
ジャン・レー/ジョン・フランダース怪奇幻想作品集

ジャン・レー/ジョン・フランダース 著
岩本和子/井内千紗/白田由樹/原野葉子/松原冬二 訳

2021/07/15発売予定
A5判・532頁 ISBN978-4-336-07142-2
定価:税込5,060円 (本体価格4,600円)

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