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質問が届いたので「なぜぼくが関西美術界と距離をとることにしたのか」についてきちんと答えました


質問箱にこんな質問が届いた。

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だいぶ迷ったんだけどせっかく質問いただいたので答えられる範囲で答えようと思う。
かなり長いので興味のある人だけ読んでください。ただしぼくに反論のある方々は必ず全文読んでください。


「なぜ絵が売れないのですか?」とのことだがその質問はぼくにではなく美術ギャラリー達に聞いてほしい。どういう作家と作品を評価して取り扱うのかを決めるのはあの人たちなので(そもそもぼくのことを作家として扱ってくれるギャラリー自体がない)
次に「ギャラリーは関係ないと思うのですが」にも答えますが、作品が売れるかどうかがギャラリーの所為だと「思う」か「思わない」かという「意見」や「お気持ち」の話をしたことは一度もないし今後もするつもりはない。「思う」「思わない」ではなく「何が事実か」だけを今までも語ってきたしこれからもそれはかわらない。ここでも「事実」だけを書くことにする。そして「ぼくの作品が売れないのはギャラリーの所為だ」とは今も今までも一言も言っていなければこれからも言う気もない。
ぼくの主張は「関西美術界は見る目もなければ矜持もない」だ。

なぜそう判断するに至ったか具体的にきちんと答えます。

主に関西地域で10年以上美術作品を出品して活動をしてきた。
まず知らない人も結構いるんだけど美術ギャラリーや美術ライター、評論家の大半は美術の専門教育を受けていない。社会人になってからこの世界に飛び込んだ人が大半だ。もちろんそれ自体は何の問題もない。
問題なのは実技の専門教育を受けていない人間の多くは絵画を「構図」としてとらえることができない、そしてそのことに自分で気が付いていない、それが大問題なんだ。構図というのはざっくり言うとモチーフの輪郭や色彩、絵肌などによって構成される絵画平面の骨格みたいなもので、実技の専門教育を受けていない人間は絵画の「構図」を読み解くことがあまりできない。例えば「どんなモチーフが描かれているか、どのような描き込み方がなされているか」という「言語化」できる要素には彼らは反応できるが、構図(視覚的な絶対値)に反応することができない。実際に東京大学の大学院で美術研究を専攻している院生ですら言語化できる要素には優れた観察眼を発揮するらしいが「作品の構図について」の話になると途端に論じることができなくなるらしい。実際ぼくも10年以上活動してきてギャラリーと話をする中で構図の話ができない(理解ができていない)人たちが大半だった。
構図という概念を理解できないギャラリー関係者たちがどういう作家や作品を評価しているのかというと関西地区で多く見られるのが「コミックアート」と呼ばれる作品群だ。イラスト風のデフォルメをされた一枚絵のことなんだけどその多くはいわゆる「キャラ絵」であり、画力という観点で見ても拙いものが多い。「キャラ絵」というのはその「キャラ」であることが意味を持つので当然画面全体で絵画平面として「構図」を持っていないことが多い。絵画作品というよりは「雑貨」に近い。「美術作品の方がイラスト作品の上位に存在する」みたいなハイカルチャー優位主義を唱えるつもりは一切ないのでそこは曲解しないでね。「事実」として絵画とキャラ絵イラストは別ジャンルという話をしているからね。
それを美術ギャラリーを名乗る人々がその辺の教養をすっ飛ばして「アナログで描かれているからコミックアートも絵画」と思っているのかは知らないけど、「現代美術」という文言を免罪符にして技術的にも拙いキャラ絵(絵画平面として画面全体で構成される構図を持っていないキャラが描かれているだけの絵)とその作家を取り扱いにしているのは申し訳ないがぼくには美術のプロとしての見る目と矜持があるとは思えない。ちなみに故・石田徹也氏のようにイラストの文脈やキャラクター性をモチーフといて引用した現代作家は多数いるが彼らの作品には絵画としての構図がきちんと存在している。全体で一つの画面をなしており、その辺りが所謂キャラ絵とは明確に区別できる。
もちろん関西の美術ギャラリーのオーナーや評論家などが自発的に勉強会などを開催して自分たちの審美眼を向上させるための努力をしているという「事実」があるならぼくも多少は歩み寄ろうかとも思うけど今のところそのような話は聞いたことがない。「いろんなギャラリー巡りをして審美眼を培った」と妄言を垂れているギャラリストなら何人も見てきたけどね。

ご存知かもしれないが関西美術界ではこの1,2年間で複数の問題が発生してきた。2020年にはとある著名アーティストOが若手作家S氏(当時個展を開催中)を名指しで「私の作品を盗作している」とSNS上で公表するという出来事があったが法律上の剽窃(著作権等の侵害)には該当しないのは誰が見ても明らかだった。のだが、個展会場のギャラリー側はこれに日和ったのか著名アーティストOに謝罪までしてしまい、また事実上の被害者であるS氏とOを同席させ三者による話し合いまで開いてしまった(誤った両論併記の典型)。結局Oは今も断罪されることなく人気アーティストとして活動を続けている。せいぜいいくつかの美術関係者がOに関してエアリプをTLに流す程度で(エアリプは批判でも抵抗でもなくただの事実上の黙認だからね)「事実」として関西ギャラリーたちは何もできなかった。
ぼくの方からもこの糞ギャラリーと糞アーティストOに「どういうおつもりか?」という旨のメッセージを送ったがともに返答は無し。

直近の2021年には、とあるギャラリーオーナーであるO(さっきのOとは別人)が若手作家J氏の作品をS画廊で購入後Oの絵画売買サイトで元値の数倍の値段で売っているということが発覚した。ちなみにこのOのサイトにはJ氏が別企画に参加した際のステートメントとプロフィールがJ氏に無許可で掲載されていたようだ。
ステートメントとプロフィールはすでに作家自身によって公開されたものの「引用」なのでそれ自体は問題ない可能性が高い(引用とは原文を改変せず引用元を明記すればそもそも無断で構わない)。問題があるとすれば「引用」したことによって掲載されている作家がOの絵画売買サイトとOの理念を支持しているかのような印象を利用者に与えかねないことくらいか。
このOの行為が悪質な転売なのかただのセカンダリなのかが争点になったのだが、S画廊側はこれを転売だと論いO側は転売ではないと主張。結局両者は転売かセカンダリかという議論よりどちらのほうがより作家のためになっているかという「お気持ち」論の水かけ合戦に終始してしまった。

結論を言うとこれは(倫理的に問題はあれど)転売には該当しないだろうとぼくは思っている。現状法的に「転売」が定義されてない以上慣例に従うと「買い占めなどの行為によって不当に市場価格を釣り上げたのち買い占めた商品を売ること」が転売として扱われているようで、転売案件に関して司法の現場では「不当な買い占め」「不当な価格の釣り上げ」があったかどうかが論点になるようだ。
話が逸れたが結果的にOの行為が悪質な転売に該当するのかは上記の理由からかなり微妙なところだが(重ねて述べるが倫理的な問題が無いとは一言も言っていないからね)S画廊をはじめとした関西美術ギャラリーは「Oの行為は作品と作家に対する敬意がない」「自分たちの方が作家に対する敬意がある」という精神論に終始。転売、セカンダリに関する定義付け、今後の取り決めなど具体的なシステム論が出てくることはついになかった。(プロとは再現性のあるシステムを構築、運用できる人(個人、集団問わず)だと思うんだけどね)
ちなみにぼくはいま他業種のマーケットと呼ばれるところで仕事をしている。その視点で言わせてもらうけど、転売まがいの高額なセカンダリより商品(作品)が売れないことの方が問題視されない関西美術マーケットってマーケットとしてどうなの?それ本当にプロか?作品(商品)が売れなければ自分たちで買い上げてでも売り切る(要するにセカンダリ)のがいわゆるマーケットでは普通のことのはずなのだが美術マーケットではその普通が通用しない。少なくともマーケットを名乗る資格はないと思う。習い事の発表会のためにぼくらは数千から万の出品料を払っているわけじゃないんだから。
結局この問題は何も進展しないままO側が絵画販売サイトを削除した。

ここまではぼく個人とは直接関係ない業界全体の話をしたが、ぼく個人が関西美術界と絶縁することになった直接的な原因を話す。
2016年ぼくはK芸術祭という地方芸術祭に一般公募作家として出品した。この芸術祭は「招待作家」枠が設けられておりその招待作家が運営を兼ねていた。

一般公募としての出品ということは当然出品料がかかる。たしか10000~12000円くらいだったと思う。一般公募の部門はコンペも兼ねており優秀な作品には賞が与えられることになっていた。運営ボランティアが足りないとうことで一般公募の出品者からもボランティアを募っていたのだがこれから審査される側の公募作家が運営ボランティアに参加することは審査の公正性の観点としてどうなのか、という当初からかなり疑問はあったがいちいち疑っていても始まらないのでいったん置いておくことにした。
招待作家と招待作家と近しい関係の公募作家のお祭り騒ぎの様子は連日公式HPやSNSアカウントで更新されていたがぼくら公募作家の情報に関しては確認した限りほとんど周知されていなかった。この時点でぼくは相当なもやもやは感じたがまだ沈黙のスタンスをとっていたがこのあと事情が少し変わる。運営の責任者であり招待作家Aの教え子である公募作家BがSNSにある呟きをした。内容はだいたいこんな感じ。
「作家によって扱いに違いがあることに不満がある人もいるかもしれないけど、出品者は一人一人が主役。不満を言うのではなくて自分にできることをどーてらこーてら」という内容だった。(Bはその後このつぶやきを削除)
このような話が運営に近い立場の人間から発せられたということはおそらく招待作家の内部かほかの公募作家などの関係者から「今の状況良くないんじゃないか」という不審の声が上がっていたんだと思われる。
「一人一人が主役」だというのならなぜ扱いに差があるのか?招待作家のお祭り騒ぎの画像、情報は連日更新されるのになぜ公募作家の情報はほとんど出てこないのか?B自身が運営のAの教え子であり頻繁にボランティアスタッフとして運営と仲良くしている事実は公募作家という立ち位置上問題はないのか?審査に不公平に働くのではないか?ただただ疑問だったがまだ行き違いの可能性もあったためこの時点でもぼくはまだ静観を保つことにした。それから数日して運営側から公募作家全員にメールが届いた。
要約すると内容は以下の通り

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メール画面

「公募作家を交えた交流会を準備できなかったため『招待作家とめぐる作品解説町歩き』のあと招待作家と公募作家の交流会を行う。BBQ(交流会)だけの参加でも町歩きからの参加でも費用は一律3000円」
上記の通り招待作家と運営の連日の楽しそうな様子は順次HPで更新され続けているのに公募作家の交流会について考えていなかったから「招待作家の作品解説ツアーのついでに有料で交流会を設ける」というのは公募作家のことを完全に招待作家のバーターとしか思っていないんじゃないか。どうしても納得がいかなかったぼくは運営側に問い合わせのメールを送ったが(ぼくが運営に対して疑問の声をあげたのがこの時が初めて)運営兼招待作家側の返答は「交流会の費用はBBQ代であって運営及び招待作家の懐に入るものではない、運営自体が今回が初めてで不慣れなため迷惑をかけてしまって申し訳ない」とのことだった。重ねて言うが初めての運営が不慣れと言うのなら、なぜ「公募作家のことは考える余裕はなかったのに招待作家と運営の連日の楽しそうな様子は順次HPで更新され続けた」のか?このことの説明になっていない。何も釈然としないまま会期を終えた。
結局公募作家の審査の結果公募作家Bは入賞していた。絵画の勉強を始めてまだ1~2年ほどのBの実力が拙いことは明らかだった。ぼくにはこの審査結果はどう良心的に解釈しようとしても論功行賞としか思えない内容だった。
公募作家に直接取材をしたのかすら怪しいが運営と招待作家に対しての実質好意的な意見だけを聴き、関西美術界のギャラリー、評論家ともにこのK芸術祭を絶賛していた。
2021年現在、運営、招待作家の連中は今も毎年のように関西美術界で個展を開催するなど「人気作家」として活躍中である。人気作家は基本的に出品料が無料になることが多い。反対にぼくのような知名度のない作家は出品料を払って作品を展示「させてもらう」しかないわけだが、これからも関西美術の世界で活動していくのならこの「人気作家」たちと大なり小なり関わりをもちながらながら活動せざるを得ない。かたやこちらは金を払い、かたやあちらさんはギャラリー側から招いてもらって無料で出品する。ぼくにはそんな辱めは耐えられなかった。
それがぼくが「見る目もなければ矜持もない」関西美術界と縁を切った直接的な理由だ。

ほかにもここでは言えない話もいろいろあるんだけど、とりあえずぼくの自己責任で話せる話はここまで。これでもかなりかみ砕いてるってことはご理解いただきたい。
関西美術界の人らはすぐに論点を逸らすので論理的な議論にあまりならない。例えば上記の内容みたいな批判をしたら「それは君がほかの人気作家を嫉妬する気持ちがあるからそういうことを言うんだよ」とか(これは人格論、対人論証、トーンポリシングという論点逸らし)「自分で選んだ道に不満があるのならうだうだ言っていないで自分で納得のいく場所をつくればいい」とか(これはデウス・エクス・マキナという誤謬)大体そんな感じで「意見」と「事実」の区別がついていない。美術の勉強もしていない上に論理のルールも守れない人たちに出品料を払ってまで活動したくないなぁ、というのがぼくの今の立ち位置です。
長くなりましたがいただいた質問の答え。
「絵は素敵なのになぜ売れないのですか?」の答えは「わかりません。ぼくではなく是非美術ギャラリーの人間に聞いてください」
「ギャラリーは関係ないと思うのですが?」の答えは「なぜギャラリーは関係ないと思ったのかの具体的な根拠があれば聞きたい。そして『思う』『思わない』という『意見』や『お気持ち』の話をするつもりはないです。『事実』としていろいろな根拠から美術ギャラリーはプロとしての見る目も矜持もないという結論に至りました。もちろん具体的な根拠があるのならぼくに対していくらでも反論してください。具体的な根拠のある反論ならぼくは必ず耳を傾けます。『意見』『気持ち』『アドバイス』の類は無用です」

以上です。
ご質問いただきましてありがとうございました。

生きることで精いっぱいです。