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岡山芸術交流についての問題。

芸術の秋です。
瀬戸内国際芸術祭等も開催されている中で、岡山市でも
「岡山芸術祭」がとりおこなわれております。

少し気になる記事が有りましたので、引用させて頂いております。


引用させて頂いております。



引用させて頂いております。



総合ディレクター、アーティスティックディレクター両氏への質問:市民団体からの運営見直しを求める要望への見解は

29日午後には、岡山市立オリエント美術館にて記者会見が行われ、総合ディレクターの那須太郎氏、アーティスティックディレクターのリクリット・ティラヴァーニャ氏、パブリックプログラムディレクターの木ノ下智恵子氏(大阪大学21世紀懐徳堂准教授)が登壇した。

Tokyo Art Beatはこれまで、市民団体「岡山芸術交流を考える市民県民の会」から岡山芸術交流の運営組織に、陳情や要望が提出されていることを報じてきた(経緯)。要望は、石川康晴氏(公益財団法人石川文化振興財団理事長)が務める総合プロデューサーの人事や、会場使用をめぐり、芸術祭の基本コンセプトの見直しを求める内容だ。27日に「「岡山芸術交流2022」への市民からの陳情・要望について、実行委員会への質問と回答」という記事を公開したが、今回、記者会見での質疑応答で、那須氏とティラヴァーニャ氏に見解を求めた。質問内容は以下の通り。

「記者会見の冒頭で(那須氏より)『過去2回を経て今回はより鑑賞者とのコミュニケーションを重視する展覧会を開催しようというのが目標』『地元の方々に開かれた展覧会になっている』とのお話がありました。いっぽうで、市民団体からは芸術祭の見直しを求める要望が出ています。これは市民の参加を求める作品やプログラムのあり方とも無関係ではないと思いますが、どのような見解をお持ちでしょうか」。

これに対しティラバーニャ氏は「私は市民団体に関してよく知らないので、回答できません」としつつ、本展テーマ「僕らは同じ空のもと夢をみているのだろうか」と引き付けつつ、以下のように考えを語った。

「私たちが夢というものについて語るのであれば、ほかのすべての夢、異質なものに目を向け、私たちが不快に思うほかの場所について考え、話し、議論しなければならないのです」。

「私は人と食事に行ったり、会ったり、日常生活のなかで、人との距離を縮めるようなことをしています。私は基本的に一人ずつアプローチをしていますが、この芸術祭はそれに近づくためのワンステップになるのかもしれません。アートは人々に多くのものを与えてくれるものだと思っており、自分の作品でもこれを表現しようとしています。アートはもっと生活の中にあるべきだし、生活はもっとアートの中にあるべきだと思うのですが、それを阻害するものが往々にしてあるんですね。そして、少なくともこの芸術祭では、アーティストがそういったことを行い、実現できることを期待しています。岡山は中心地/騒がしさから離れた場所であることを好ましく思っています。私はここにいるのが好きで、アートの世界に気を取られることもありません。ただ私が岡山にいて……人が来てくれるのは嬉しいし、ありがたいことです。岡山の人たちに楽しんでもらえたら嬉しいです」。

那須氏の回答は以下。

「僕自身、市民団体の方々の詳細は把握しておりませんけれども、こういった大きなイベントをやるにあたっては、様々な方の様々な意見があると承知しています。それについて、やはりコミュニケーションが大事だと思いますので、ひとつずつ相手の方の意見も聞きながら、お互いがどういう意見を持っているかをすり合わせて、着地点を見つけていくような努力をするということではないでしょうか」。 

那須氏は「市民団体の方々の詳細は把握していない」と語ったが、「岡山芸術交流を考える市民県民の会」は、氏名を明かしながら積極的かつ具体的な働きかけを継続的に行ってきた。詳細はこちらの記事にまとめてあるが、2022年2月に陳情書を岡山県議会と岡山市議会に提出し、7月8日には岡山市に要望書を提出。要望書には、代表者の氏名や要望内容の詳細が記され、さらに市民400名の署名簿も付けられている。これらの陳情や要望の内容やそれに対する岡山市からの回答等は、団体のFacebookで一般に公開されている。また、Tokyo Art Beatは上記の団体の動きを受け、9月21日に岡山芸術交流実行委員会事務局宛に質問を送付。9月26日に回答を得、27日に「「岡山芸術交流2022」への市民からの陳情・要望について、実行委員会への質問と回答」を公開している。

署名簿数400を超える市民の側から、公的な手段によって働きかけがなされてきたにもかかわらず、総合ディレクターは「把握していない」という。そうであれば、いったいどうすれば市民たちの存在や声は「把握」されるのだろうか。いったいどうすれば双方向的なコミュニケーションが始まるのだろうか。

また「相手の方の意見も聞きながら、お互いがどういう意見を持っているかをすり合わせて、着地点を見つけていくような努力をするということではないでしょうか」とのことだが、今年2月に陳情書が提出されてからすでに7ヶ月が経過し、30日に開幕を迎えた。これから「すり合わせ」が行われるということだろうか。それとも当該団体は、コミュニケーションを取る対象に値しないということだろうか。

市民団体は上記の要望書に、「第1回から務めている石川総合プロデューサーは、(略)一昨年、自社におけるセクシャルハラスメント疑惑の問題が全国で大きく報道されており、実行委員会から報道された内容にかかる説明が無いまま第3回も引き続いて総合プロデューサーに就任させたことも納得できません。主催する岡山市や岡山県はこの問題を容認していると受け取られイメージダウンとなり、市民・県民は恥ずかしい思いをします。」と記している。もしその「報道」内容を虚偽だと疑わなければ、ハラスメントを訴えた人間が確かに存在すると考えるのが自然だろう。

このような精神や身体への暴力とそれに伴う痛みを世に訴えた人々の存在を、皮肉なことに、本展をめぐるなかで筆者は何度も思い起こした。暴力や身体、そして権力の問題を扱った、優れた作品が多数あったからだ。

運営組織が遠ざけているのは市民団体だけでない。石川氏に関する一連の報道について、運営組織から十分な説明が行われていないと考え、本展の鑑賞を諦めざるをえないと失望する人々の声もSNSなどを通して聞く。現在の運営組織の対応は、こうした社会的・政治的問題意識を持つ人々をも本展から遠ざけることにつながらないだろうか。そうだとすれば非常に残念であり、作品を展示するアーティストたちの名誉のためにも、様々な声に耳を傾けてほしいと願う。

最後に付け加えれば、こうした事案は、属人的なものではなく構造的なものとして議論されるべきだろう。たとえば「岡山芸術交流」はアーティスティックディレクターこそ毎回異なるものの、実行委員会(岡山市・公益財団法人石川文化振興財団・岡山県)を筆頭に、総合プロデューサー、総合ディレクター、パブリックプログラムディレクターをはじめ、主要な人事や構成団体は過去3回を通して大きく変わっていない。盤石な組織体制が長期的な目標を掲げた継続的な活動を可能にする面は大きいかもしれないが、より流動的で新しい意見を呼び込む組織となることが、多様な市民からの声に応えることや、より高度な公共性の獲得にもつながるのではないだろうか。

引用させて頂いております。

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