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インタビューvol.2「ミャンマーとずっと関わっていきたい」NGO業界でのキャリア形成について-大場翠さん

「ミャンマーとずっと関わっていきたい」と語るのは、大場翠さん。NGOを中心にご活躍される大場さんのキャリアについてお話をお聞きしました。

(聞き手:久留島)

国際協力に興味をもったきっかけ

直接のきっかけは、大学の文化人類学の授業です。当時はちょうど「自分は何者か」を模索していた時期だったため、タイの山岳少数民族が踊っている映像を見て、圧倒的なアイデンティティを放つ彼らに「憧れ」のような気持ちを抱きました。

しかし学んでいくと、国籍を持てない、街に出ると麻薬や人身売買の被害に遭うといった、彼らの抱える問題を知りました。そこでNGOを通して教育費を寄付したり、タイのアカ族の村でホームステイをしたりしました。

ホームステイ先の村の人が携帯電話を使っているのを見て、彼らの伝統に惹かれていた分、寂しさを感じましたが、それは自分勝手な押し付けだとも感じました。伝統を守るか変化をするかは、彼ら自身が選ぶべきだけど、そもそも選択肢もなく搾取されるのはフェアではないと思い、「豊かさ」とは「一人一人が自分の可能性に気付け、自分で選択できること」なのだと、自分なりに定義づけました。

その後の大学生活では、アメリカのワシントンDCに長期留学をしました。開発学を専攻し、国際機関訪問やNGOでのインターンなどに参加。またアメリカ留学中に南アフリカへの研修旅行に参加し、スラムや地方の現場などを訪問しました。こうした経験は今もビビッドに思い出されます。

1)学生時代の南アフリカ訪問

南アフリカにて

一般企業からNGOへ。模索の20代

卒業後はプラスチックレンズメーカーの海外営業職に就職しました。国際協力に対する想いはあったものの、「“普通のこと”をちゃんと経験しよう」と自分に課題を与えるような感覚でした。

しかし結局、1年目で辞めてしまいました。大学時代のタイと南アフリカでの経験があまりにビビッドで、「プラスチックレンズを売ることが私の人生となんの関係があるのだろう」という疑問が拭えなかったのです。ただ振り返ってみて、きちんと就活をして企業で働くあの経験は、私には必要だったと強く思います。

退職後はNGO国境なき子どもたち(以下、KnK)でインターンを始め、内部で登用されて正職員になりました。当初は実務経験が足りず、すぐに職員にはなれませんでした。いざ退職したものの、国際協力の仕事に必要な経験やスキルが全く分かっていなかったのです(笑)。言い訳ですが10年前は情報も限られていました。

大学時代の経験もあり、NGOで国際協力に携わることを選んだのは自然な選択でしたが、迷いもありました。ですので国連のプログラムで学んだり、開発コンサルICネット社のインターンとしてラオスに駐在したり、大学院に通ったりしました。PCスクールに行ったり、一般企業への転職活動をした時期もあります。20代の頃は、「特定の業界や組織でしか通用しない人になりたくない」という想いから、自分を客観視し自信のない部分を補う作業を続けてきた感覚です。

ミャンマーとの出会い、現場統括

KnKでは国内の広報・支援者対応を担当しました。その中で、カンボジア、ヨルダンのシリア難民キャンプ、東日本大震災後の岩手県など、現場に行く機会が増えました。そして、現地駐在の希望が叶ったのがミャンマーでした。

カレン州という60年以上の内戦が続く地域で、少数民族の帰還支援を1年半ほど担当しました。ミャンマーは135の民族がいるとされる多民族国家です。タイの少数民族との出会いが、つながった気持ちでした。

現場では最終的にプロジェクトマネージャー(現場統括)として働きました。事業やスタッフのマネジメントから細かな事務やトラブル対処まで現場の責任者として求められることが多くて、仕事の9割はしんどかったです(笑)。事業を大きく立て直す時期に統括になり、プレッシャーもありました。しかし残りの1割に日々の感動があって、その9割を超えてくる感覚でした。何より一緒に困難と向き合い、乗り越えてくれた現地スタッフにとても感謝しています。

開発コンサルタントから、再び NGOへ

その後転職して、約1年間、開発コンサルタントとしてモーリシャスやミャンマーのヤンゴンでの事業を担当しました。出張はあったものの、現場との距離を感じるようになり、自分の適職ではないように感じました。

結果NGOに戻り、ブリッジエーシアジャパンの職員としてミャンマーのラカイン州に約1年間駐在し、地域開発・教育支援の事業を担当しました。その頃は「ロヒンギャ問題」が大きく報道されており、ミャンマーとずっと関わっていくと決めていたので、きちんと理解したいと思いました。州の全域が対象の大規模プロジェクトで、私は現地スタッフ50名を抱える現地事務所の代表という役職。同じミャンマーでも先のカレン州とはまた違う厳しさもありました。

2)ミャンマーラカイン州の事務所。全体会議の準備中

ラカイン州の現地事務所にて

カレン州もラカイン州も情勢が複雑で、ローカルの力が欠かせません。現地スタッフが仕事や自分の役割に意義を感じて、主体性を持って進めるようなマネジメントや組織の整備にはかなり力を注ぎました。綺麗な話ばかりではありませんが、いつも彼らに支えられたり、鍛えられてきました。

現在と今後

2018年の秋、ラカイン州から帰国してすぐに入籍し、現在はフリーランスとしてNGOの仕事を受けています。帰国後は企業でも働きましたが、また国際協力の仕事を続けています。最近はNGOピースウィンズ・ジャパンの業務委託で、国内の災害支援にも携わっています。

3)台風で被災した千葉県の現場で聞き取り

千葉県の台風被災現場にて

旦那さんも国際協力の仕事でミャンマー駐在の経験もあり、彼の支えを含めて尊敬できる幸せな関係性です。結果論ではありますが、自分のやるべきことを頑張っていると、その先に幸せが訪れるのだと感じます。

春からは大学院に進学します。ミャンマーと関わって5年になりますが、駐在中は業務に追われていたので、改めてミャンマーを学び向き合いたいです。半世紀の軍事政権や今も続く内戦の影響で先行研究や信頼できるデータが限られているため、経験を踏まえて今後の国際協力の事業に役立つ研究を計画しています。

ミャンマーは、私の関心キーワードであった「少数民族」がぎゅっと詰まった国。だからこそこの縁は、ずっと持ち続けていきたいです。

国際協力を志す人へのメッセージ

たまに、真っ先にキャリア形成を考える学生さんに会います。気持ちはすごく分かるのですが、キャリアは国際協力に関わる手段であって、目的ではないはずです。国際協力は人の人生や生活に関わっていく仕事です。語学力、実務力やマネジメント力、専門性などありますが、それは前提で、人としての力が大事なのかなと。この業界は狭く偏りもあるので、国際協力以外での社会人経験を含め、色々な経験や視点を持つことが、大切だと感じます。

ただ、仕事と関係のないうちに現場に行くのはおすすめです。仕事では冷静さが求められるし、物事を俯瞰的に捉えがちです。短期間の旅行でもいいので、現場で素直な感情を抱く経験があると、それがきっと、その後の自分をずっと支えてくれると思います。

おわりに

「あまり計画性を持たずキャリア歩んできたから、人にはおすすめできない」と笑う大場さんでしたが、時間をかけて学生時代からの想いを仕事にされてきた物語に、いち大学生としてとても勇気づけられました。時間はかかっても、周りと少し違ったルートでも、自分のやりたいことに素直でいよう。そう思わされるインタビューでした。(久留島)


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