見出し画像

2023年

こんにちは。知る人ぞ知る人間、ちばのくまさんです。
私は小学3の秋から丸12年間、マーチをやってきました。最初は気が向かなかった、というか(なぜか)やらされていたものでしたが、今では大好きなものになっています。いつからマーチへの思いが変化したのでしょうか。
おそらく、中学に上がるタイミングです。初めてM協大会やJapan Cupに出場したのは中学1年でした。その時から、「勝つ」ということにこだわりはじめました。上手くなりたいと日に日に思うようになり、自分に対しストイックになっていったのもその頃からだと思います。ただ、中学の頃は指導者の言うことを聞いてただその通りにやっていた、ということが多かったです。成長が感じられたからその人についていった、というのも事実です。
高校に入り、インストラクターが月に1度しか来ない世界を知りました。もちろん先輩にサポートされながら練習していたのですが、インストラクターに見てもらえないことはこんなに不自由なんだ、と感じました。そして、それが普通のことなんだということも実感しました。自分のことは自分でやらねばならない、そう思ったのが高校1,2年の頃でした。高校3年で、Front Ensembleのパートリーダーを任されました。任されたというか、自動的になってしまいました。自分のことより先に他人のことを考える日々が続きました。常に勝つことにこだわり、勝つにはどうすればよいか、何が足りないか、毎日考えていました。後輩には背中で見せること、行動主義を徹底していました。他人を変えようとするにはまず自分が見せなければならない。口先だけで変わる人間は多いとは言えません。ただ、当時の個人的な練習量は圧倒的に不足していました。今でも後悔しているくらい、自分の技術は落ちたものでした。
それを実感したのは一般団体に入って初めて鍵盤を叩いたときでした。「うわ、下手だ。」これが率直な感想でした。正直、ついて行ける気がしなかった1年目でした。実際、ついていけていたかというと、、、ぎりぎりでした。一応Timpaniでしたが、鍵盤は叩けないし音感はないし(今もか)、どうしようもないやつだなと思っていました。11月ごろ本格的に鍵盤の基礎練をやって、自分の技術のなさを痛感しました。約半年何をやってきたんだ、と強く思いました。それから、どうにか追いつけるように必死に練習しました。2年目は「挑戦したい」という思いからMarimbaを希望し、1年間楽譜と、自分と向き合ってきました。1年目より上達していたのは確かですが、周り比べるとまだまだでした。これでは団体の一員を名乗れない、と思い、毎日練習しました。初めて本気になったのが、2年目でした。そして3年目。いろいろありながらもRackを担当することになった私は、その繊細さに左右されながら試行錯誤の日々を送っていました。新たな世界が見えた気がします。そして今。鍵盤を扱っています。


と、ここまでざっくりとマーチ歴を話してきました。そもそもなぜNoteを始めたのかという話をしていませんでしたね。
2023年、何か新しいことを始めたいなとは年始から思ってきました。具体的には何も考えていなかったものの、そういう構想だけはありました。私は一人で勝手に話したり、文章を書いたりするのが幼少期から好きです。そこに目をつけました。文章という自己表現もありなのではないか。また、今年度大学でCreative Writing、英語で詩を書く授業を履修していました。文字を使って何かをすることは私にとってひとつのキーである、そう改めて思いました。
というような経緯があり、今日こうしてNoteを書いているわけです。これからも自分の思うままに長々と、もしくは短く綴っていこうと思います。暇な人、興味がある人はぜひ読んでみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?