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「家に帰ろう」5分ほどの短編小説【3000字】【家族愛】【まじめ系】

 息子が不登校になり、妻は心を病み、家庭は今、崩壊を迎え始めていた。そんな彼は夜の公園で座っていた。
 息子は前は明るい性格だった。勉強や習い事も一生懸命取り組んでいた。正義のヒーローのアニメが好きで、よく真似をしていた。これからいろいろなことがうまくいいくだろうと感じていた。しかし、小学校に通いだすと悪口や陰口を言う友達とけんかになって以来、学校へ行きたがらなくなってしまった。妻は学校へ行かせようと何度も説得してみたが、息子は何ともいわない。すっかりだんまりになってしまった。あまりにも急変した息子の様子に心配した妻は精神科に息子を連れて行くが、心因性のため、特効薬はないとのことだった。妻はだんだんと病んでいった。パートの仕事も辞めて、息子と二人で家にいる。妻は「あの子を家に一人にして何かあったらどうするのよ」と言っていたが、最近は「育て方が間違っていたのだろうか」「産まない方がよかったのか」なんて言葉を出すようになった。俺がどれだけ「間違っていない」「そんなことを言うな」と言っても、妻の顔は決して晴れることはない。そんな家に帰るのが億劫で仕方なかった。
 帰る場所があるはずなのに、帰りたくない。帰ると気が狂いそうになってしまう。家の中を想像するだけで気持ちが悪くなり、吐き気がする。自分はせめて仕事を続けて、家庭を支えなければいけない。そう思って仕事を続けているるが、心が疲れてしまった。そんな俺は、仕事帰りに公園のベンチに座ってひたすらぼーっとする時間を過ごしていた。
 
 ふと警察官が横に座ってきた。職務質問だろうか。
「君、こんな時間にここで何をしているんだい。」
 顔を見ると、白髪交じりでヒゲは白く、顔にしわがたくさんあった。50歳くらいだろうか。人あたりがよさそうな笑顔で話しかけてくる。ベテランの警察官のようだ。
 警察官の顔を見ると、俺はすぐに顔を伏せた。
「こんな時間にスーツでうつろな目をしている人が公園のベンチに座っていたら警察でなくても心配するよ」
 警察官はベンチの横に座った。ポケットからタバコを取り出して吸い出した。俺はタバコの煙が嫌いだが、そんなことを伝えるほどの気力もわかなかった。警察官の方へ向くのも面倒だった。3回ほど吸うと、警察官はふいに語りだした。
「私はタバコが好きでね。煙がもくもくと広がっているのを見ると、決まってある出来事を思い出すんだよ。」
 俺は聞いていたが、聞いている姿勢は作らなかった。いや、相手に心を開いているという態度をとることができなかった。
「家族を失った、あの日の火事を思い出すんだ。」
 警察官は返事がないことを気にせず、語り続けた。
「暇そうにしているから、私の昔話を聞いておくれ。あれは、15年前のことだった。」
 
 私は普通に結婚して、普通に子供ができて、普通にマイホームを買って…とても幸せな生活を送っていたように思う。あの事件が起きるまではね。あの日、いつも通り仕事を終えて家に帰った。しかし、駅を降りたとたん、消防車や救急車が家の方向にたくさん走っていたんだ。まさか自分の家に向かっているだなんて思わなかった。
 でも、家に近づくにつれて雲の赤色が強くなり、人だかりが多くなっていった。胸が高鳴った。悪い予感がするとともに、その予感が当たらないでほしいという願いが強くなった。祈りはむなしく、我が家は火事になっていた。2階まで燃え盛る激しい炎に家は包まれていた。家の周りの人だかりの中に妻や息子の姿はなかった。まさか家の中に二人がいるのだろうか…。背筋が凍った。
 家の前の通路は通行止めになっていたが、無意識に私は家の前まで行った。消防隊は遠くから水を放っているだけで中に人がいるかを確認しようとはしない。腹が立つと同時に危機感が私を動かした。これでは二人の命は助からない。そう判断した私は玄関のカギを開けて、中に入った。家の中に家族がいるなら、助けに行かないと…それだけが頭の中にあった。家の中は灼熱地獄だった。汗が吹き出し、肺が焼けそうになった。息苦しさではない。体内があぶられている間隔だった。おそらく2階の寝室でいつも帰りを待っていてくれるはずだから、2階をめざそうと玄関の真正面にある階段の手すりに触れようとしたときに、玄関がいきなり開いた。声がしたかと思うと、私は消防隊員に引きずり出されていた。汗と煤まみれになった腕を動かして必死に振り払おうとした。しかし、消防隊の人たちの力にかなわなかった。
結局、家族も、家も失った。実は家族は先に抜けていたなんて幸運はなく、全てを私は失ったよ。
 
 
「今は、小さなアパートで独り暮らしをしながら生活をしているんだ。」
後悔と寂しさを交えたような声でそう言った。
「だから…ってわけじゃないけど、君は負けないでほしい。今の君はとても辛そうな顔をしているけれど、仕事で失敗でもしたのかい?」
警察官の言葉に返す余裕はなかった。
「あなたは、いま何のためにいきているんですか?」
初対面の人にたいしては失礼な内容の質問だし、辛いエピソードを語ってくれた人に対して傷をえぐるような質問かもしれない。しかし、悪びれもなく、純粋な興味で僕は質問をしていた。
警察官は少し考えたようなそぶりをみせてから…
「困っている人を助けるため…ですかね。」
僕は聞いてから腹が立ってきた。なんだその小さな子どもの夢みたいな発言は。大人どころか、おじさんにもなって…ダサいし、そうやって人が良すぎると損をするんだ。そうやって優しくしすぎると心が病んでしまうんだ。正義のヒーローなんて、アニメの世界の話でしかないんだ。息子は正義感を持ちすぎて、悪口や陰口に耐えられなくなったんだ。本当に困っている人を助けるなら、あんたが息子をどうにかしてくれよ…。助けてくれよ…。
「正義のヒーローはいるよ。」
その声を聞いてから、自分の思っていることが口に出ていたと気づいた。目の前の地面が涙と鼻水でべちゃべちゃになっていた。
「正義のヒーローはここにいるよ。」
その声と共に、肩をポンと叩かれた。
「君は私よりもよっぽど身近な人を助けるために頑張っている。だからそうやって悩んでいるんだろうね。息子さんが羨ましいよ。こんなに愛されて、こんなに大切にされているんだ。息子を救えるのは私ではない。君だよ。あなたと息子さんは生きてる。息子さんにとってのお父さんは世界に君だけだ。私はできなかったけれど、君は救えるよ。救ってほしい。」
 顔をあげることはできなかった。
 自分が息子のヒーローになろうなんて考えたことがなかった。引きこもりの息子を見守れば父親をやっている気になっていた。ただ医者や妻が何とかしてくれたりするのを自分は祈って待っていただけだった。いつも受身で、自分から息子に何かをしてあげたことはなかった。妻が仕事を辞めたのも、自分が何もしなかったからだったのかもしれない。少し息子に話しかけたから解決するものではないとは思うが、今夜は少し話しかけてみよう。本人が話したいと思う日を願って、本人が自己表現をしてくれる日を願って、必死に戦っている妻も支えながら生きていこう。今の妻の気持ちも聞いてみよう。いつも面倒を見てくれていることを労おう。この家庭の正義のヒーローになったら、息子は僕に憧れて何か変わってくれるかもしれない。
 横に顔を向けるとそこに警察官はいなかった。
 僕は公園の水道に行って顔を洗った。ハンカチで顔をぬぐうと、空に夏の大三角がきれいに輝いていた。よれよれのスーツの襟を正して、僕は帰路を歩み始めた。
 
 
 


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