ティアキンで唯一引っかかったこと「私を探して」
元国語教員、現ライターの国語の庭です。
今回は、ゼルダの伝説ティアーズオブキングダムのお話。
ネタバレになるような気がするので、未プレイの方はお気をつけください。
ちなみに…クリアはしていません。汗
買ってはいるのですが全然進めてなくて…。
というのも、私がプレイするとどうしても「どうぶつの森」みたいになるんですよね。
りんごを取ったり、魚を捕まえたり、景色がキレイなところでのんびりしたり。
私は、敵とはなるべく戦いたくない系勇者なんです。
ゼルダ姫には本当に申し訳ないんですが、なかなか世界を救いに行けません。
でも、ストーリーはめちゃくちゃ気になる。笑
で、見ちゃいました。ストーリー。
自分でやったらものすごく時間がかかりそうですし、きっとストーリーを知っていても自分でプレイしたときにはまた違う感動があるだろう、ということで、ゲーム実況を視聴しました。
で、「クリアした気になった」って感じです。笑
ストーリーがとんでもなくイイ
1番に思ったのはコレです。
めちゃくちゃストーリーがいい!
ブレワイの世界から数年後、瘴気が上がってきているというハイラル城の地下を調査中のリンクとゼルダ。地下の奥に進むと、封印された何かが解き放たれてしまう。マスターソードでも敵わず、離れ離れになる2人。リンクは空に浮かぶ「空島」に。ゼルダは、一体どこへ…?
ゼルダやハイラルを救うという、ゼルダシリーズにおけるリンクの最終目的はブレてないですし、そのためにこうしよう!とか間のストーリーも無理なく自然と繋がっていくのもストーリーに入り込みやすかったです。
中でも、各地に散らばる「地上絵」をたどるストーリーは特におもしろかったです。
ハイラル城の地下で離れ離れになった後、ゼルダの身に何が起こっていたのかが明らかになっていく「地上絵」のムービーは、1つ見終わるごとに「続きが気になる!!早く、早く次見たい!!」って感じでした。笑
あと、リト、ゾーラ、ゲルド、ゴロンの4地方の仲間たちとの再会と共闘もアツかったです。
ブレワイのときは1人で戦うしかなかったリンクが、仲間と一緒に戦えるんです。
仲間の存在はとても頼もしいですよね。
ブレワイの続編ということは、どうしてもいろいろと比べられちゃうと思うんです、ティアキンって。
でも、「前作はこうだったのにな」「前の方がよかった」っていう、がっかり感が全くありませんでした。
ティアキン、すごい!
唯一の違和感は「私を探して」
つい今、「ティアキン、すごい!!」とは書いたんですけど、実は1つだけ「ん?」と引っかかっていたところがあります。
それが、ゼルダのセリフなんですけど、これです。
「私を探して。」
ストーリーの序盤で、離れ離れになったリンクとゼルダ。
ゼルダに「私を探して」と言われるんですけど、このセリフにすごく違和感を覚えたんです。
「私を探して」って、なんだかおかしくない?って。
「私を助けて」ならわかるけれども。
私がゼルダの立場だったら、間違いなく「助けて!!」って言ってるところな気がするんだけどなぁ、と。
リンクに言っているというよりはプレイヤーに言われているような、なんだかメタっぽいというか。
「探して」じゃ、なくない?
そこだけが違和感としてありました。
「探して」はやっぱり「探して」だった
でも。
なんで「私を助けて」じゃなくて「私を探して」だったのか。
リンクと離れ離れになった後のゼルダのストーリーを追うと、その理由が見えてきました。
ハイラル城地下での事件後、ゼルダははるか昔、ハイラル建国時代に飛ばされていました。
私だったら、真っ先に現代に戻りたい、ってなってるはずのところ(笑)、ゼルダは自分が過去に来た意味を探すんですよね。
で、見つけるんです。
見つけちゃうんです。涙
ハイラル城の地下で封印から解かれたのは魔王で、その魔王に太刀打ちできなかったマスターソード。
魔王を倒すためには、マスターソードを修復し、その力を増強させなければならない。
そのためには、マスターソードを聖なる力(ゼルダが持つ力)で満たし続ける必要がある。
それならば、ゼルダが飛ばされた過去の時代から現代まで、ずっとずっと、満たし続ければいいのではないか。
「秘石」を飲み込めば龍になり、不死を手に入れられる。
長い時間、マスターソードに力を与えることができる。
そのマスターソードを勇者リンクに託せば、きっと魔王を倒せるはず。
ただし。
龍になると、不死を手に入れるかわりに、人の心が失われてしまう。
自我がなくなってしまうんですね。
で、ゼルダは龍になることを選択するんです。
もう、ゼルダの自己犠牲がすごいです。
魔王に立ち向かうために最善(きっと最善)の行動をとれるって、王家の鑑ですよね。
龍になったら、心がなくなっちゃうんですよ。
龍ってちょっとかっこいいかもしれないけれど、自分が自分じゃなくなる、ってそんな怖いことって、ないと思うんです。
私だったら怖くてできないです。なんとか他の方法はないのか、って最後まで悪あがきすると思います。笑
で、ゼルダ姫は龍となって、実はずっと、リンクが冒険しているハイラルの上空を飛んでいたんです。
マスターソードを携えて。
心がなくなると、リンクとの連絡手段がなくなるわけですから、リンクの方から見つけてもらわないといけないんですよね。
龍になったじぶんがハイラルのどこにいるかは自分でもわからないし伝える術もないけれど、それでもリンクにはマスターソードを受け取って、魔王を倒してほしい。
だから、「私を探して」なんですよね。
「助けて」じゃないんです。
自分の身のことなんか考えてないんです、ゼルダ姫は。
ハイラル王国のためなら、自分は龍になってもいい。人の心を無くしてもいい。
私のことを助けて、なんて微塵も考えてないんです。
だから、ストーリーを追っていろいろなことが明らかになってきてからの「私を探して」はズシンとくるものがありました。
もう、言葉選びすごいと思いました。
すべてはハイラル王国のため。
「ゼルダ」の伝説だなぁって、思いました。
「リンクの伝説」じゃない説
ちょっと最後、ティアキンの話からは逸れるのですが…。
「ゼルダ」シリーズで不思議に思ってることがありまして。
活躍してるのはリンクなのに、なんで「リンクの伝説じゃないんだろう?」って。
でも、どこかでこんな話を見つけてなるほど、って思いました。(どこで見たのかは忘れてしまいました…)
リンクは、たしかにいろんな世界を救ってきたけれど、歴史に名が残るのは、「ゼルダ」を含む王家たちだから。
リンクは、歴史に名前が残らない存在だから。
文字で書くと、なんだかすごく冷たい印象になってしまいますね…。
でも私は、歴史には残らなくても、人知れず、確かにハイラルを救っているリンクってかっこいいなって思ったんですよね。
「僕がこの世界救いました!」って感じを出さずに飄々とやってのける感じが、私の中のリンク像と噛み合った感じがしたというか。
なんで「ゼルダの伝説」なのかは、ちゃんとした経緯が確か公式?で明らかにされているはずなんですが、私は上記の説がなんだかいいなぁ、と思ったのでした。
こんな感じで、ゼルダ、ティアキンについて書いてきました。
ちなみに、ブレワイ、ティアキンで好きな場所は「ウオトリー村」です。
ブレワイのころは、村の周りの海で泳いでサカナを取りまくっていました。
厄災と無縁な、平和な南国の雰囲気が好きだったんですよね。
なのに…ティアキンでは…
一歩も入れていません…
私の好きだったウオトリー村が…。
いつになったら助けにいけるんだろう…泣
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