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対面授業に甘える教師は、自分の質を低めていく。

本稿で述べている内容は、現任校での話ではありません。これまでの経験の中で感じたことを総合的に述べておりますので、あらかじめご了承ください。

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2019年末から続くコロナ禍によって、学校で「授業」が当たり前にできない状況が生み出されました。一方、今年(2021年度)も緊急事態宣言が一部地域で続いていますが、安全性に配慮した上で、以前と同じように教室で授業が行われるようになりました。「教室で授業ができない」のは一過性のできごととなったかに見えます。これからも、コロナ禍の前とほぼ同じように、教室での授業をおこなっていくことでしょう。

しかし、私は思うのです。

コロナ禍によって、学校の教室で行う「授業」の存在意義が問い直され、「質の高さを目指す教師」による「価値のある授業」のあり方が問い直されたのだと。そしてそれが、より明確な形で生徒に見えるようになったのだと。

別の言い方をすれば、「自分の質を低くしている教師」による「価値のない授業」の姿があぶり出され、生徒からのその姿がはっきりと見えてしまうようになったのだと。

この点に気づかず、これまでと同じような授業をただ続けるのではいけない。私はそう思います。

「教室」にいることの意味

日本の学校教育は「教室」で行われることが前提として成り立っています。学校教育を絶対視しなくなった今でさえ、教室で授業を受けることを前提としてさまざまなことを考えたり、議論されたりしているように思います。

では、そこまで自明視されている「教室での授業」では、どのようなことが行われているのでしょうか。たとえば、次のような活動でしょうか。

・教師が説明する
・生徒が演習問題に取り組む
・教師が演習問題を解説する
・生徒同士が教え合う
・生徒同士が話し合う
・生徒が話し言葉や書き言葉で表現する
・生徒が発表する

現代の学校教育では、教師による一方的な教授だけではだめだ、とされています。学習指導要領でもそのことをずっと言っています。ですので、上記のようなバリエーションのある授業が行われています。

一方で、これらの授業内の活動を見ていて思うのは、「オンライン授業でも実行可能なことばかりではないか」ということです。

教師からの説明は、zoomやGoogleMeetを使えば簡単にできます。グループごとでの生徒同士の話し合いもzoomのブレイクアウトセッションでできますし、チャット機能を使えば文字でも可能です。生徒の発表も、パワーポイントやGoogleスライドで作った資料を共有すればいいわけです。生徒が手書きをしたいというのであれば、iPadやsurfaceのような、ペン対応の機器を用いれば簡単です。

とすれば、極端なことを言えば、学校が閉鎖されていない今も、教室に集まらないで、自宅から授業に参加してもいいわけです。(もちろん、ネットワーク環境や生徒の学習環境、心理面などの問題などもありますが、本稿では別の話題なのでここでは措くことにします。)

では、なぜオンライン授業ではなく、対面での授業の方が求められるのでしょうか。

オンライン授業や映像授業ではなく、なぜ対面授業の方がいいのか

オンライン授業や映像授業が好まれなかった理由はいくつか考えられます。

オンライン授業では
・機器のトラブルなどが生じたときのリカバーに時間がかかる
・教師から見た生徒の反応も、生徒同士の互いの反応も、わかりづらい
映像授業では
・準備が大変だ
・生徒が視聴したかどうかの管理が大変だ
両方の授業では
・生徒が「わかったつもり」になってしまい、本当の理解につながっていないリスクがある

これらの理由は一理ありますし、私もそのことを否定はしません。

私も、対面授業の方がいいと思っています。ICTの活用が好きだからと言って、何でもかんでもICTに頼ろうとは思っていません。生徒の顔を直接見たいですし(マスクありの顔に慣れてしまったので、素顔を見る機会がほとんどないのですが)、生徒の反応を直接感じたいですし、生徒同士が議論する姿を見たいのです。生徒の表情で、その日の自分の授業のでき具合もわかります。そして、生徒の存在が、授業という「場」を作ってくれることの価値を信じています。

ただ、これらの理由があるからといって、オンライン授業や映像授業に一切手を触れようとせず、対面の授業だけにこだわるのも、また違うと思うのです。

現状を楽観視して、課題を先送りにするべきではない

もし……
🤔コロナウィルスの蔓延によって公共交通機関の利用をためらい、在宅での学習を希望する家庭が増えたら?
🤔若年層にコロナウィルスの感染が急拡大して、出席停止になる生徒が急増したら?
🤔家族にコロナウィルス感染者がいる生徒の自宅待機が急増したら?

これらの「もし」は、それほど可能性の低い「もし」ではないと思います。その仮定が現実のものとなったときに、オンライン授業や映像授業への対応がなされていなかったら? 準備にあたふたして、生徒に迷惑をかけてしまうのでしょうか? そして政府や自治体、教育委員会に対して恨み言を言うのでしょうか?

学校は、そして教師は、現状に安穏とするのではなく、いつでもオンライン授業や映像授業に切り替えられるだけの準備をしておくことが、大切だと思うのです。これまでの実績と課題を踏まえて、できる対策をあらかじめ打っておくべきなのです。そしてそれは、自治体や学校が環境を整備してくれると勝手に期待すべきではなく、教師が自分自身でさっと動けるようにしておくべきだと思うのです。

対面授業に甘えていると、教師の質が低くなる

しかし実際には、対面授業に頼りきり、もっと言えば甘えっぱなしの教師もいるのではないかということも感じています。

・いつ作ったかわからないような、骨董品の予習ノートを多少手直しして使うだけの教師。(だから、使っている教科書の会社を変えたがらない)
・授業の計画もなく、ただ用意した資料を話すだけの教師。
・授業の計画もなく、ただその場の流れだけで授業を進めてしまう教師。
・授業の計画もないから、50分(45分)でキリよく終わらない(終わらせられない)教師。
・定期試験を先に作り(そのことは別に悪いことではありませんが)、試験に間に合わせるためだけの授業をする教師。
・生徒の反応も気にせず、ただ一方的に話すだけの教師。
・生徒が授業中に集中していないことを、生徒の責任のみに帰する教師。
・生徒の学力が向上していないことを、生徒の努力不足のみに帰する教師。

こういった教師は、そもそも自分が何のプロであるかを忘れています。何によってお給料をもらっているのかを忘れています。

プロたる者、自分のスキルを向上させ、パフォーマンスを最大限にする努力を怠ってはならない。言い換えれば、「自分の質を高める努力」を続けないといけないのです。

ですが、先に述べたような教師は、「自分の質を低くしている教師」です。あえて言います。プロフェッショナルではありません。

こういった教師は、対面授業に甘えています。生徒の反応がリアルに得られるという対面授業の最大のメリットを活かすのではなく、授業を組み立て直すのが面倒くさいから、教室でただ話し、生徒に手伝わせたい、というだけなのです。

こういった「自分の質を低くしている教師」ほど、オンライン授業や映像授業という新しい形が入ることに大きな抵抗を示します。なぜなら、新しい授業の形態では、今までの資産をそのまま使うこともできませんし、機器の設定なども面倒くさいですし、何より、授業時間をダラダラ過ごすことができないからです。

おわりに 〜価値のある授業、価値のない授業〜

「価値のある授業」「価値のない授業」の分水嶺はどこにあるのか。

対面授業で言えば、「生徒がそこにいるということを、授業に生かしているかどうか」に尽きると思います。

せっかく、目の前に生徒がいるのだから、そのメリットを生かさないといけません。それが授業に価値を生むと思うのです。そして、そのメリットを活かせるだけのスキルを、教師は持っていないといけません。

それを忘れて、教師が自分のメリットだけを気にするようでは、せっかくの対面授業の良さを生かしていません。むしろ、生徒にとっては価値のない授業を生み出し続けてしまっています。

生徒もバカではありません。質の低い、価値のない授業をすぐに見抜きます。そんな授業に、誰がついていくというのでしょうか。

そして今後、コロナ禍の中で対面授業が不可能になった時に、教師自身が困り、教師によって生み出された中途半端な授業に、生徒もまた困ってしまうことになるでしょう。

私自身も、自分で自分の質を下げるようなことをしてしまったと感じることはありました。今も気を抜くと、そうなりかねないところがあります。そもそも、自分自身で満足のいく授業ができたと感じたことなど、ほとんどありません。

本稿で述べたことは、自分に対する戒めでもあります。自分のなりたくない姿です。その意味も込めて、今回、文章に綴ってみました。








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