ICTは「デコボコの許容範囲をとても広げてくれる」という話


自分はICT大好き教師なので、ICTと教育について思っていることをまず書こうと思います。

学校におけるICTの意義とは何か。
いろんな役割があるけれど、一番は「デコボコの許容範囲をとても広げてくれる」ことなんじゃないか、という話をします。

はじめに

学校教育にICTが導入され、2020年度からはGIGAスクール構想も始まりました。2021年度からは生徒一人一人にICT機器があることが学校の前提条件となっています。そうすると、次に「ICTをどのように活用するか」ということが重要になっています。

GIGAスクール構想は義務教育(小中学校)を対象にしていたと記憶していますが、自治体独自の高校版GIGAスクールが始まったり、そもそも私立の中高では生徒が入学時に自費でICT機器を購入するところも多かったり、生徒個人のスマホを使っているところもあると聞き及んでいます。

自分自身はICTを教師の立場で使って2021年度で7年目。教師も生徒も使うという環境であれば6年目となります。

その中で、ICT機器の立ち位置というものをよく考えてきました。その内容を、入試相談会の場で受験生や保護者の方に話したり、普段の仕事の中で同僚に話したりしてきましたが、せっかくnoteを始めたので、2021年度の自分が何を思ってICT機器を使っているのか。それを記録しておくという意味合いも込めて、この文章を書いています。

そもそもICT機器はどう使われるのか

1.教科書表示装置
小中学校ではデジタル教科書が導入されているところも多いと聞きます。デジタル教科書を表示するためのデバイスとして活用するということですね。

小中学校用のデジタル教科書は機能も豊富で、映像や音声のコンテンツとの連携も充実し、実際に使ってみた感想を一言で言えば「すげー」です。ちなみに高校国語のデジタル教科書はまだまだな感じが否めません。

そもそもは、「中学生のカバンが重すぎる問題」を解消するための一つの方法として注目されていたような。でも、デジタル教科書反対派も多く、紙とデジタルの併用ということになるとただ荷物が増えるだけの結末になってしまっていますが。

ちなみに私はデジタル教科書はあまり使う必要性を感じていないので、デジタル教科書の用途では使っていません。

2.ノートの代わり
さまざまなノートアプリ(「ロイロノート」「metamoji」「GoodNotes」などなど)を利用し、授業の内容を記録するという使い方です。

個人使用のノートということであれば紙のノートの置き換えに過ぎないのですが、先にあげた「ロイロノート」「metamoji」は、他の生徒とのノートの共有(共同編集)が可能であり、これが学習の幅をとても広げてくれます。これはICT活用の眼目と言っても過言ではありません。私もよく活用しました。今はGoogle Jamboardを主に活用しています。

3.グーグル先生への窓口
Googleの各サービスへアクセスするための道具、ということです。Googleで検索し、Jamboardでブレインストーミングをし、ドキュメントでレポートを作り、スライドでプレゼン資料を作り、Meetでオンライン授業を受け、Formsでアンケートやテストに取り組む。そのための機械、ということです。これも2.と同様、他者とつながるところにポイントがあります。

この辺りは後日別稿にまとめてみます。

ICT機器は「つなげる」ことが得意だ

多くの学校でICT機器の活用に苦労している大きな要因は、ICT機器の「C」、つまり「Communication」機能を活用できていないことにあります。ただ調べるだけ。ただ書くだけ。それじゃ、パソコン室のパソコンとなんら変わりません。

ICT機器の最も得意とするところは、「みんながつながる」ことです。ノートが他者とつながるだけで、授業はガラッと変わります。黒板と生徒のノートとがつながるだけで、これもまた、授業はガラッと変わります。ICTの「C」は、「Connect」でもあると思うのですが、それもまたこの話の本筋ではないのでまた別稿にて。

学校に「行きたい」に「行けない」生徒を、ICTは救う。

話題は変わります。

2020年初頭から全世界で猖獗を極めている新型コロナウィルスは、2021年に入ってワクチン接種が全世界的に始まったことから終息へのカウントダウンが始まったかなとか思っていたら、変異種が猛威を振るってそんな期待も吹っ飛んでしまいました。

2020年度は全国の学校で自宅学習が実施され、生徒も教師も保護者も、みんな慣れないながら取り組み、その効果は別として、なんとかかんとかやり切りました(やり過ごしました)。

でもこれは2020年度限定の問題じゃないかもしれない。今後も感染状況の悪化によっては自宅学習に踏み切ることになるかもしれませんし、新型コロナウィルスへの感染を懸念して登校を自粛する生徒も出てくることでしょう(特に入試の前とかね)。

じゃあどうしましょう?

授業動画を録画して配信? それは教員の負担が増えると強硬に主張する人もいます。また、生徒と双方向のやりとりがなく一方的な授業になってしまい、生徒の理解度が下がることも危惧されています(実際に、韓国でそのような結果の出た調査が、日本でも紹介されました)。

ということで、やっぱり双方向でライブな授業。
おお、ICTの得意分野。zoom。GoogleMeet。

学校に行きたいのに行けない生徒にとっては、たとえオンライン上であっても仲間とつながれるのは大きな意義があることでしょう。

ここでもう一つ思うこと。どちらかといえば、これが本稿の本題です。

それは何かというと、「学校に行きたいのに行けない生徒を救える」んじゃないか、ということです。

病気や怪我で、在宅あるいは入院での療養を余儀なくされている生徒も、オンラインであれば授業に参加できます。

何かの事情で学校に行けないけれど、みんなと一緒に勉強はしたいと思う生徒も、オンラインであれば授業に参加できます(マイクやカメラをオフにすれば自分の姿を見られないので心理的な負担もやや楽かもしれない)。

スポーツの大会などで学校を公欠している生徒も、電車や飛行機の中、宿舎などで授業に参加できます。

そしてもちろん、新型コロナウィルスへの感染のリスクを避けるために自宅学習を選択した生徒も、授業に参加できます。

何らかの障害を抱えている生徒も、ICTは救える。

以前勤めていた高校で、両耳の聴覚に障害を抱えている生徒のいるクラスの授業を担当したことがあります。その生徒は口話や板書、プリントで授業の内容を理解しながら参加していたのですが、やはり入ってくる情報量には限界がありました。

そこで私は、当時販売されていた音声認識ソフトウェアの「AmiVoice」を自腹で購入しました。授業中はヘッドセットをつけて話し、私の音声を認識させた結果を画面に表示させ、それを見てもらおうとしたのです。

とはいえ、認識率はそれほど高くもないし、出来上がったテキストを見ても認識間違いが多く、ほんの少しの助けにしかなりませんでした。私の自己満足の世界でしかなく、申し訳ないことをしたなあ、と今も思っています。

この頃はiPhoneがちょうど発売された頃で、「OK、Google」も「Hey,Siri」も「alexa」もありませんでした。

でも今は違います。みんなの持っているスマホでも音声認識は普通に使われています。認識精度も以前とは桁違いです。

これを授業に使えば、聴覚障害を持っている生徒の情報保障という重大な問題はクリアできそうです。

他にも、弱視の生徒向けの拡大教科書も簡単に実現できますし、すでに実用化され活用されています。

なんらかの事情で文字を書けない生徒は、生徒の発話を音声認識させ、テキストデータで送ってもらってもいいかもしれません。

外国籍の生徒も、ICTは救える。

さらに言えば、音声認識だけではなく、自動翻訳だって授業に使えるはずです。

近年の学校では外国籍生徒の在籍数がどんどん増えています。義務教育の世界でも、外国籍生徒がいるクラスが当たり前になっています。

ですが、外国籍生徒の日本語運用能力は千差万別です。全員が必ずしも日本語を読み書き話せるわけではありません。

たとえ日本語を多少使えたとしても、抽象的な思考や議論のできるレベルにあるかどうかもさまざまでしょう。

だからと言って、高校生くらいの生徒に日本の小学生向けの教材を渡して日本語運用能力の訓練をしたたとしても、思考力が劣っているわけではないのですから、それも適切ではありません。そもそもそれは高等学校の国語の授業とは別のカテゴリの話です。

ということで、自動翻訳の技術を授業に取り入れたらどうでしょう。自分はその方面に疎いのでどこまで実用化されているのかはわからないけれど、ポケトークがあるんだからなんとかなるのかな。

リアルタイムの翻訳でなくても、DeepL翻訳などのWeb翻訳サービスを使えばだいぶ正確な翻訳ができます。

生徒からの質問は母語→日本語で翻訳、教師からの話しかけは日本語→母語で翻訳すれば、母語を元にしている分、質の高いコミュニケーションを取れるはずです。

自分の担当教科が国語だからということもあるけれど、とにかく日本語の読み書く話す聞くができないと国語の授業はなかなか成り立ちません。そもそも、単元の文章を読むことも難しいのですが。

それでも、外国籍の生徒の価値観から日本の文学作品を見た時の意見とかも聞きたい。

そんな時にICTが役に立つはずです。

「落ちこぼれ」ならぬ「噴きこぼれ」の生徒も、ICTは救える。

学力が不足している(それが学習機会の不足なのか、能力の不足なのか、その他なのか、はともかくとして)生徒がいる一方で、その学校の教育レベルをはるかに超える学力を備えた生徒もいます。

入学時より学力が一気に伸びてその学校のレベルに合わなくなってしまった生徒。身体が弱く、家から近いという理由でその学校を選んだために学力のミスマッチが起きている生徒(『ドラゴン桜』に確かそんな生徒がいました)。さまざまな事情で、その学校の教育レベルを超えてしまっている生徒は、毎日の授業がつまらないに違いないでしょう。

また、離島や山間部など、いわゆる「僻地」に住む学生もいます。そんなに僻地でなくても、交通機関が乏しく、しかも自転車で通える範囲に高校がほとんどない(これは意外に多い)。それゆえに、学力が高いのに、地理的条件から自分のレベルに合った学校を選べない生徒もいます。

ICT機器を活用することで、先取り学習もできるし、オンライン講義などを受けることも可能になります。たとえ遠くの学校に通っている生徒で、天候不順や交通途絶の問題などから学校に行けなかったとしても、自宅で授業に参加できます。

学校は「デコ」「ボコ」の許容範囲を広げれば先生が大変だし狭めれば生徒が大変だ

これまでに述べてきたことは、一般の学校からすれば「デコ」「ボコ」にあたります。大量の生徒の平均値から外れてしまっているからです。

ですが、生徒なんて千差万別です。多少のデコボコがあっても当たり前です。

あとは学校がそのデコボコをどこまで許容するか、許容範囲の問題となるのです。

学習成績でのデコボコは入試というスクリーニングである程度ならすことができますが、それ以外のデコボコにはどこまで対応するのか。個別対応には資金的・場所的・人的コストがかかります。

結局いろんな皺寄せは、教師か生徒に及んでいきます。

デコボコの許容範囲を広げれば、デコボコの一つ一つにどう対応するかにリソースが割かれることになります。でもリソースは有限です。

結果、「生徒のため」という大義名分のもと行われる教師のサービス残業が横行します。

また、さまざまなデコボコを持つ生徒が学校に合わせることもある程度は必要ですが、それが生徒の過剰な負担になってしまうのは問題です。「キミ自身の努力が大事だよね。キミも学校に適合するために努力しなきゃ。みんなに合わせることも、集団生活では大切だよ」という理屈で生徒に我慢させることになります。

一方、最初から許容範囲を狭めておき、その範囲に収まる生徒だけを受け入れる(生徒の側からすれば、自分を許容してくれる学校を選んで入学する)。そうすれば問題は(比較的)起きず、教師や生徒の負担も(比較的)なくなるはずです。でも、学校の許容範囲を狭めてしまうと、必ずそこに当てはまらない生徒が出てきます。そういう生徒は、どこに行けばいいのでしょうか。

ICTがデコボコに対する許容範囲を自然と広げてくれて、教師も生徒もハッピーになれる

でも、ICTをうまく使えば、さほどの負担なく、デコボコに対応することができるのではないでしょうか。

音声認識や翻訳によって、理解の問題も軽減できる。

オンライン授業で、場所の問題も軽減できる。

ICTの「C」の部分をうまく使うことで、さまざまなデコボコに対して対応できるようになります。

それが、今後、学校に求められるICT活用なのではないかと、私は思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?