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気候変動の罠(3)巧妙すぎる地球温暖化説

 地球温暖化説は,CO2の排出により気温が上昇して気候変動が起こり,大きな被害が発生すると繰り返し伝えています。しかし,気温が上がるということは,もちろん被害もあるでしょうが,メリットもたくさんあるはずです。

 たとえば,温暖化によって,凍土が解けて耕作可能地域が増えるなどの,メリットも大きいはずですし,人間の健康にもプラスの面が大きいと思うのですが,メリットについてはほとんど報じられることはありません。一方,伝えられるのは,悲惨な被害の可能性ばかりです。この点からも,地球温暖化説が「脅し」として使われていることが分かると思います。

 しかし,それでは,なぜそのような「脅し」に,欧州はともかくとして,アメリカ,ロシア,中国などの,資源大国も従っているのでしょうか?この3国は,気候変動枠組み条約のパリ協定を批准して,支持の姿勢を示しています。ただし,パリ協定の前の枠組みの京都議定書には,アメリカと中国は批准せず,ロシアは最後まで態度不明でした。

 その理由は単純で,これらの資源大国においても,地球温暖化説を採用することが,各国の経済的利害と一致したからです。資源大国も,これからはエネルギーの大量消費に基づく大量生産が時代遅れになることは分かっているので,自国の産業転換を図らないといけないと感じています。しかも,代替エネルギーの開発は,21世紀の最大の技術発展領域になっていますので,資源大国もそこで競争優位を是非とも獲得したいと願っています。

 そうすると資源大国でも,化石燃料からの転換政策を採用する必要があるのですが,それに対しては産業界から,大きな反発が出ることが予想され,それを抑える説明が必要になります。そのときに,やはり「地球温暖化説」はとても都合が良いわけです。

 その意味で「地球温暖化説」を見てみると,大変巧妙に作り上げられていることが分かります。私が感嘆するポイントをいくつか列挙しましょう。

①結果が超長期の未来にならないと分からないので,すぐに批判できない構造になっている
 科学哲学者のカール・ポパーが主張したように,科学の条件は,反証が可能なことですが,地球温暖化説は結果が出るのが,50年後とか,100年後の極めて遠い未来においてですので,科学的には反証可能な構造を持つとしても,現在は反証不可能になっています。つまり,「科学」でありながら,証拠を用いて否定することが難しい構造になっているのです。

②地球温暖化が生じても,生じなくても,どちらでも説明できる
 しかも遠い先ですが,地球温暖化が生じても生じなくても,批判されにくい構造にもなっています。もし気温が上昇しなければ,CO2の削減がうまく進んだからだということができますし,もし上昇しても,CO2の削減がうまく進まなかったからだと説明することができるのです。

 もちろん,CO2の削減量もしくは排出量の実際の気温への影響については,想定と異なる可能性はありますが,これはシミュレーションのパラメータを操作することでいくらでも説明可能になるでしょう。つまり,CO2が温暖化の原因であるということは,どっちに転んでも否定しにくいのです。

 しかも現在までのデータを見れば、基準である産業革命時代から比べて1.2℃上昇していますが、過去100年で0.8℃程度の上昇なので、放っておいても、目標の2℃は十分達成できそうです。そうなると被害予測がいくら間違っていても実証できないので否定できません。最近は、1.5℃で騒いでいるので、この場合は少しだけ説明が必要になるかもしれませんが。

③最悪の場合でも資源は残る
 しかし,地球温暖化説が完全な間違いで,逆に寒冷化となった場合は,さすがに抗弁しにくくなります。ただし,その場合でも,それまで使用を抑えていた地下資源が豊富に残っているので,それを活用すれば当面の危機はしのげるでしょう。しかも,社会に必要なエネルギー量は減っているはずですから,このまま進むよりも危機は減るはずです。

 このように地球温暖化説は,今後の地球の気温がどうなっても、大丈夫なようにできていて,地下資源の「貯金」という保険までかかっているという優れモノなのです。

 しかも,これまで述べてきたように,地球温暖化防止は,社会システムの転換という最優先の目標を達成するための副次的な目標に過ぎませんから,その正当化のための科学的仮説はできるだけ長く持つことが必要で,地球温暖化説はその条件を十二分に満たします。

 さらに,地球温暖化説が妥当するとすれば,温暖化による想定される被害をいくらでもシミュレーションで「作る」ことができるので,「脅し」のネタには事欠きません。しかも,少しくらい行き過ぎがあっても,科学的証拠がなくても対策すべしという「予防原則」に基づいて使っているので,問題ありません。まさに,願ったりかなったりの説なのです。

 しかし,いくら地球温暖化説が巧妙であったとしても,その実現にコストがかかりすぎては経済を悪化させて困ると思われる方もおられるでしょう。日本では,気候変動対策はコストがかかりすぎると反対する人たちが多くいます。ところが、これも考え方が逆で,気候変動対策は実はお金を作るための仕組みでもあるのです。だから,グレタさんが泣きながらこの点を非難したわけです。

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