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心と体

皆さん、おはこんばんちは。

今日のブログは、少しスピリチュアルなお話になります。
霊とか、魂とか、気とか。そんなお話です。

極めて長文になりますし、「ちょっと待ってそんなもんにゃ興味はないのよ」という方もいらっしゃるでしょうから、興味ないフォロワーさんには予め謝っておきます。

また、これから書くことは、人によっては荒唐無稽な絵空事のように感じるかもしれません。
それをご承知の上でお読みいただくか、信じない方はどうぞ読み飛ばしちゃってください。

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書こうと思ったのは、あるフォロワーさんの記事がきっかけです。
そのエビ中ファミリーさんは、松野莉奈さん、りななんが亡くなった後に感じた自分なりの死生観を綴られています。

半年と死生観
半年が経ちました。 彼女が安らかに眠っていることを、あるいは明るく過ごしていることを祈ります。
(持っている松野さんの生写真。綺麗)
僕は死後の世界を信じていませんでした。
正確には…

nashika-ebc-idolさんのブログ

追記:残念ですが、この方のアカウントはなくなっているみたいです。

これを読んで、私は27年前に亡くなった母のことを思いました。

私は、亡くなった後の母に会ったことがあるからです。

母は55歳の時に「急性骨髄性白血病」を患い、2年間の闘病生活の果てにこの世を去りました。
働き者で頑張り屋だった母にはまだやり残したことがあったはずで、さぞかし無念だったろうと、その時は思っていました。

亡くなって一ヵ月ほどたったある日、母の仕事仲間だった女性から「ぜひ会わせたい人がいる」と連絡がありました。
ついて行った先で会ったのは、ある有名な「気功」の先生とのことでした(私は知りませんでしたが😣)

女性は気功の先生から「お母さんが息子さんに伝えたいことがあると言っている」と聞いて、私を連れてきたのでした。

大きなワイングラスのような脚付きの器に水が張ってあり、気功の先生がそのグラスの周りに両の掌をしばらくかざしていたところ、
「あなたのお母さんが今、ここにいます。どうぞ、手をかざしてみて下さい」
と言われました。

私は決して霊感は強い方ではありませんが、霊や魂の存在はいちおう信じています。
しかし、さすがに気功の先生が霊と交信できるなんて話は聞いたことがありませんでしたし、その時は内心「ほんまかいな」と思いながら、言われたまま器に手をかざしてみました。

すると、目を閉じたまぶたのウラに地平線か水平線みたく遥かな奥行きのある風景が広がり、その先に朝日が昇るような光が見えました。

そしてその時、母の声を聞いたのです。

いや正確には、耳に声が聞こえた訳ではありません。
しかし、私の心には
「苦しくない」
「心配してない」
というふたつの言葉のイメージが、間違いなく浮かんでいました。

「どうですか?」と気功の先生に聞かれたので、
「苦しくない、心配してないっていう、ニつの言葉が心に浮かびました」
と告げると、先生のとなりにいた女性がハッと息を飲むのが分かりました。

何故かというと女性は事前に先生から、私の母が
「苦しくないし、心配していないことを息子に伝えたいと言っているから、息子さんを呼んできて下さい」
と告げられていたからでした。

女性は、それを私自身で聞いてほしいと思ったので、そのふたつの言葉をあえて私には言わなかったのに、私が全く同じ事を言ったので驚いたのです。

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これを読んで、皆さんはどうお感じになりますか?

それこそ「ほんまかいな」と思われるかもしれませんが、私にとってあれは、間違いなく母の声でした。

負けず嫌いで勝ち気だった母。
「私のことは心配しないで」
ではなく、
「あなたたち(私や、夫である私の父)のことは心配してないから」
という表現。

それは紛れもなく母の言葉でした。

そして、病気で苦しんでいたはずの肉体から解放され、「苦しくない」と言ってくれたことで、無念を抱いたまま亡くなったのではなかった、と安心させてくれたのです。

私はこの時から、肉体は単なる器でしかなく、心や魂、そしてその人が持っている気は、かりそめの体に宿っているだけなんじゃないか、と思うようになりました。

「心」は、体のどこにあるか明確に指し示すことはできません。
が、確かに存在することについては誰も異論がないと思います。

見た目はそっくりな一卵性双生児でも考え方は別々で、「気」や「心」こそがその人を表す最終的なものですよね。
その人であったことを表す「心」や「魂」、その人が持っていた「気」は、肉体が無くなっても滅びない。
今はそう信じています。

だから。

春ツアーの初日、彩ちゃんが言った
「ひょっとしたら莉奈が、このステージで一緒に唄って踊ってたかもしれない」
という言葉を、私は素直に信じることができます。

あのステージには間違いなくりななんがいた。

私が聞いた母の声のように、人から何を言われようとも、そう信じている人にとっては、それは紛れもない真実だからです。

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突拍子もないお話に最後までお付き合い頂いて、ありがとうございました。

もうすぐお盆ですからね。母がこれを書くよう促してくれたのかもしれません。

4月に亡くなって初盆の父も、あちらで再会した母と一緒に家に帰ってきてくれることでしょう。

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