見出し画像

生きるって何?生命と非生命の境界

生きるのがツライ

仕事のストレス、人間関係の摩擦、将来への不安……。これらが重なり、ふと「生きている意味って何だろう?」と考えてしまうことはないでしょうか。実は、そんな悩みの答えを探る鍵は、私たちの存在そのものにあります。生命とは何か、生きるとはどういうことなのかを深く考えることで、生きる意味を見つける手助けになるかもしれません。

※この記事は「生命と非生命のあいだ 地球で奇跡は起きたのか」を題材に執筆しました。

生きているって実は曖昧

普段、私たちは「生命」「非生命」をはっきり分けて考えています。「生命」といえば、人間や動物、植物などを思い浮かべます。一方、石や金属などは「非生命」として捉えています。しかし、実際にはこの境界は意外と曖昧なのです。

例えば、ウイルスの例を考えてみましょう。

ウイルスのイメージ

ウイルスは、細胞に感染して自分のコピーを作り出します。生命活動でも細胞分裂を行うので、まるで生物のようです。
しかし、ウイルスは単独では活動できません。細胞の外ではただの化学物質なのです。この事実を知ると、ウイルスは生命なのか、それとも非生命なのか、判断が難しいですよね。

次に、鉱物の結晶構造を考えてみましょう。

鉱物のイメージ

結晶は、特定の条件下で成長し、複雑な構造を形成します。例えば、雪の結晶や岩塩の結晶は、成長過程で美しい形を作り出します結晶が成長する様子はまるでアメーバのような生き物にも見えますが、ただの物理現象です。

ここで、私たち自身について考えてみましょう。

細胞で構成された人

人間の体は無数の細胞から成り立ち、その細胞は分子や原子で構成されています。これらの分子や原子自体は非生命ですが、それが集まることで生命として機能します

普通、分子や原子は生命ではないと考えます。ですから、原子や分子の集まった結晶は生物ではないと考えます。では、分子や原子が集まった細胞は生命なのか?それとも非生命なのか?と改めて問われると、うまく説明できません。

細胞は、細胞分裂によって複製をするから生命で、分子や原子は細胞分裂で複製されないから非生命というのであれば、ウイルスはどう説明すればよいでしょうか?ウイルスは細胞に感染すれば複製しますが、細胞の外では化学物質でした。

「考える」という点もまた生命の特徴です。今まで考えていないと思われていた植物でさえ、高度なコミュニケーションをとっているという話もよく聞くようになりました。生命と非生命の違いは「考える」ことだと言いたいところですが、昨今の生成AIのせいでそうとも言えなくなってきました。厳密に考えているのかどうかはわかりませんが、AIはまるで生命と同じように考えているようにも見えます。
考えることですら、生命の専売特許ではなくなってきているのです。

この視点から見ると、「生きている」と感じている私たちも、宇宙人のようなもっと高度な生命体から見れば、まるで非生命のように見えているかもしれません。

そもそも生きてないかもよ?

「生命と非生命の境界が曖昧で連続的である」という考え方は、私たちの存在についての理解を深め、生きることの意味を新しい視点から考えるきっかけを与えてくれます。完璧を目指さず、時には立ち止まり、自然の一部としての自分を受け入れることで、生きることが少し楽になるかもしれません。私たちは、自然の一部としてこの世界に存在しているのです。生きることの苦しさや悩みも、広い視点で見ると一時的なものであり、自然の連続体の中にあります。だからこそ、もっと気楽に、自分のペースで生きていくことが大切です。このブログが、そんな視点を持つ一助になれば幸いです。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?