優柔不断と人間関係

“「優柔不断」っていう言葉、「優しくて柔らかくて、断らない」
なんていい人なんだろうって思いませんか?
相手のための優柔不断は、ぎりぎりまでいろいろな人の気持ちを残そうと頑張っているということです。”

ステキ。
優柔不断っていうと、悪い意味にしか聞こえないことが多い。でも相手のために悩んで決められずにいるという状態は、確かに優しさだと思う。
悪い意味で聞こえる時というのは、他の人が決めても本人が決めても大して大きな影響を与えないような選択の時に自分で決められないことを言うのではないか。
さらにプラスして、一緒に居る人との関係性からも変わってくるのではないか。

例えば、メニュー選び。
この場面は顕著に優柔不断かどうかが出るシーンだと私は思う。

「①と②どっちにしよう。①だとこれで、②だとあれがなくて...」

ってなったとき、友人同士だったら決めるのを待つ。
もし他のメンバーにその内の1つを選択している人がいて、その人から一口もらうことで片方を丸ごと食べられなくてもいいと選択できれば、それは優柔不断とは言わない。
一口だけでも片方が食べられるとわかっていても、どうしようと悩み決められない人のことを優柔不断な人と思う。
私だったら、悩んでいる友人に対して決めやすいような選択肢を色々と渡す。
私が片方を注文する、どの部分悩んでいるのかを聞く、2つの選択肢の違いを明確にしてあげる、相手の欲求をもっと満たせるメニューがないか探す、もはや全く違う選択肢を提示してみる。提示していく中で決めてくれれば、何も思わない。このどれをやっても決めてくれなかったら優柔不断だなと思う。

でもこれが彼氏彼女の関係だったら。
①と②両方を頼んで2人で半分ずつ食べるという選択を取ることが多いのではないか。
このとき、2つで悩んでいた側を優柔不断だとは思わない。
ここで、半分じゃ嫌だとか言ったら、優柔不断ではなくてわがまま...かな。笑

面白い。どの時も2つで悩んでいることに変わりはないのだ。
どこで決断するか、何で自分の中に落とし所をつけるか。ある意味、どこで諦められるか。

彼氏、彼女の関係で好きなものを半分ずつ食べられるのと、友人から一口もらうのでは満足度も違うだろう。友人から一口で切り捨てる選択肢と、半分ずつ食べる選択では落とせる容易さが異なる。

優柔不断というのは、自分が思うものではないのかもしれない。
周りとの関係性と、周りがどう受け取るか。
案外そんなものであって、私は優柔不断だからってネガティヴに言うべきことではないと気付いた。

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