歩くということ

ロックダウンの解除以来、朝起きてまずランニングに行くのが日課となっている。と言っても、それがちゃんとランニングになるのか、散歩になるのかはその日の気分による。大体最初の10分から20分はちゃんと走ってるけど、その後1時間くらいはお散歩になる。公園の中を、街の中を、川のほとりを、ずんずん歩く。5月になってから、街の中でこれまで行ったことがなかった道をだいぶ開拓したと思う。緑が多い街なので、暑い日差しの中を新緑の青葉が遮ってくれて、日陰のなかを気持ちよく歩くことができる。

私は歩くことが好きだ。特に歩きながら誰かと話すのが好きだ。歩きながら話すと、カフェで話すよりも、何だかもっと深いことを話せる気がする。だから人と外で会うと、レストランに行くまで、何かを食べた後、結構永遠と歩くのに付き合わせてしまうことになる。多分人には「歩く人」と「歩かない人」がいて、その「歩く人」とは高確率で仲良くなれる。もともと歩こう!と言って歩くのではなくて、帰り道に何となくまだ話し足りなくて、じゃあ次の駅まで歩く?こっち行ってみる?みたいな感じで永遠歩きながら話し続けるのがいい。

誰かと話しながら歩いてると、その空間は2人だけのものになる気がする。カフェとかだと自分たちも周りの人もそこにいるけど、歩いていると、同じスペースを共有しているのは歩いている自分たちだけで、他の景色や通行人は過ぎ去ってゆく。それだからなのか、歩いていると、人生で一番嬉しかったことは?とか、一番叶えたいことって何?とか、後悔してることって何?とか、ちょっと心の大事な部分に迫ることを話したくなってしまう。

この、ただ歩いてただ喋るだけ、っていう2人を切り取ったシンプルな映画がある。不朽の名作Before Sunrise(1995)である。旅行中の見知らぬ男女がたまたま電車で言葉を交わすことになり、話してるうちにもっと話してたい気持ちになって、そのまま電車を降りて一晩ウィーンの街を歩き回りながら永遠に話し続けるだけの映画である。このシンプルな会話がとっても美しくて、好きな映画は何?ときかれると、迷うけど必ずこの映画と言ってしまう。何度も見返した映画はもっと他にあるのだけど、自分の中の理想みたいなのが詰まっているのがこの映画なのだ。

誰かと話しながら歩くのも好きだけど、朝の散歩みたいに、一人で歩くのも好きだ。ランニングしている時の何も考えない状態も好きだけど、一人で歩きながら色々考えたり、景色を見つめたり、周りの音を感じたりする時間も愛おしい。でも少し最近は飽きてきた感じもあるので、お散歩友達を探したいと思う。もっともスペイン人たちはお散歩よりもテラスでまったりビールを飲む方が好きなんだろうけれども。

記事を読んでいただきありがとうございます!日々の中で感じたこと、考えたことをつらつらと書きとめていきたいと思います。