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長く歩くこと

久しぶりに海外に行ってきた。

今年のおみくじでは旅行の欄に『利なし、行かぬが吉』と書いてあったけど、やっぱり良かった。


空港からすでに良い。色んな国の人が入り混じっていて、送る人と前に進む人。迎える人と笑顔で帰ってくる人。搭乗口あたりのだらっとした感じも良い。
あの何とも言えないポジティブな雰囲気がとても好きだ。

空港に行けるのも旅行の醍醐味。

他国にただなんとなく滞在して、いつもと違う文化の中で生活するだけで気持ちが良い。

立場を無視した自分で過ごせるのはいつぶりだろう。

ぶらぶらついでに友達を訪ねたり、家に招待してもらったり。

会おうと思ったら会えるということが最高だし、色んなところに友達がいるってだけで、自分からたくさんの方向に点線が出ているみたいな。心がとても豊かだ。

お迎えしてくれる嬉しさを知って、今度は遊びに来てほしいと心から思う。

あとは最近の旅行者の気持ちを体感することもできた。

まわりの旅行者を見ても、いまは観光も宿もレストランも情報源はガイドブックではなくスマートフォンだ。
ちょっと寂しいけど便利が勝っていて、最近の情報だけ現地の人を通して聞いている。

だから僕の宿も、現地でしかわからない生きた情報だったり、その人の好きなものを関連して紹介するような温度のあるコミュニケーションに力を入れたいなと改めて思う。

この旅では、ドイツの山をトレッキングに行ったり、プラハの街並みを眺めたり、ウィーンの芸術に触れてみたりした。

なんとなくわかってはいたけれど、度肝を抜かれるような物事が少なくなっているというか、トラブルも少ないというか。

20代で行った海外はなんじゃこりゃー!って新鮮なことばかりだったけれど、だいたいこうだろうとわかってきたりして。


知らない世界を知っていくと、経験や知識は身につくものの、これ以上どんなことが起こるのかと想像を広げていけなくなるような、未知の世界が既知に変わっていく侘しさがある。(もちろん知った気になっているだけだとは思うし、それぞれに深さはあると思うけれど。)

"知りたい"と思い続けている方が自分の中で無限に世界が広がっていくから実は幸せなのかも。


あとは、あっちもこっちも見たい知りたいって感じの数年前よりも、今はこれでもいいやとか、また今度で。と良い意味で力が抜けている。

滞在中は海外にいることを良いことにNetfrilxでジブリを見てたぐらい。(Netfrilxは社員の日菜子のアカウント、本当にありがとう。おかげでシータは助かりました。『海がきこえる』は音楽がめちゃ良かったです。)


そんなことは良いとして。

この旅行のテーマのひとつは“歩くこと”

僕はご近所歩きはもちろんだが、登山とウォーキングが混ざったような”トレイル”というものが特に好きだ。

“森林や原野、里山などにある「歩くための道」のこと。こうした道を、歩くはやさで旅するのがトレイル” と誰ががわかりやすく解説してくれている。


家からでている道から山を歩いて、途中でまちに出たらご飯を食べて、帰ってビールを飲む。つまり長い散歩である。

今回もたくさんのところを歩いて、たくさんのものを食べてきた。


どれも楽しくて、程よく疲れて。

寄り道も堂々とできるし、計画になかった景色が見える。
ひとりでもみんなとでも楽しいのが良いし、老若男女誰でもできるのが最高。


歩いていると、不思議と変なことを考える。

ざざざっと滑る道を歩いた時は、なぜだか高校の体育祭のリレーでこけたことを思い出した。優勝争いの中で涙するものではなく、下位からちょっと下位へ下がるぐらいのやつ。当時は申し訳なくて恥ずかしくて涙が出そうだった。(出なかった)
というか足の速い子はいまだにモテるのかな。いまはデジタルが得意な方がモテるのかな。でもなんかあった時に走れる筋肉はあったら良いよな。マッチョの人の子はマッチョなんだろうか。マッチョになる運命というのは嬉しいのだろうか。だからなんなんだろう。とりあえず歩けることはありがたい。

そんなことを考えて、ハッと前を見ると木々の新緑が見えて、なんだかスッキリした気持ちになる。

兎にも角にも、走る機会は減ったけど、歩くことはずっとだ。

仕事もプライベートもだけど、こうした方がいいとか、どっちの方が効率が良いとか、知らない誰かに誘導されて気づけば気持ちだけ走っている気がしている。

速く走らなくても良いから、長く歩き続けたい。
もっと言うと、歩くことを許していきたい。身体も気持ちも。


トレイルを歩くと、同じルートを歩く人たちと休憩やご飯のタイミングで抜きつ抜かれつになる。
その時に「See you on the way」と言われることがあって、とてもいいなと。

30代になると仕事が忙しくなったり、関わる人が変わったりで、仲間とは昔のように遊べなくなったりもするけど、気持ちが離れるわけじゃないから、「この道のどこかでまた会いましょう」というその言葉が良いなと思いました。どっかでまた同じになったときにはSay Helloです。

最後に。
日本への帰路は誕生日でした。機内では僕の席だけモニターがぶっ壊れていて寝る時間でもビカビカでした。光る一年の暗示だと思いたいです。


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