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言葉とはそもそも・・・

一日の内話さないことありますか?

職業や生活によっては一日話さないこともあるかもしれません。

ちなみに私は7日間話さないことがありました。

高校時代ですね。

学校でも親とも話しませんでした。

そのような家庭環境でしたし、学校環境でした。

いじめ?

ではないかと思います。

こちらから話せば話してくれていたので。

書いてて寂しくなるな。。。

どちらでもいいのですが、気付いたら「そう言えば今週話してないな・・・。自分の声聞いてないぞ」

という状況でした。

5日目にこのことに気付いたので残りの2日は意図的に話さなかった訳なのですが、どきどきして8日目声を出すと・・・。

かすれる・・・。

というか、出ない。

その後

「ぁ、、、あーー、あ~~~、、、」

などと発声練習をして言葉が出るようになりました。

その日以降話すようにはなりましたが、不思議な体験をしましたね。

結局話すって?

今でこそ、話すことや聴くことを仕事にしているので、話す重要性や伝え方を身に染みて分かっているのですが、「生きること」と「話すこと」は必ずしもイコールではないな、と思います。

自分らしさを表現するために、ストローを工作している人もいますし、本を書いている人もいます。話さなくても表現できてたりします。

結局話すことは手段の一つでしかないということです。

声は必要ない、みたいにとると、だいぶ語弊がありますが、手段の一つという認識でいるとどうなるでしょう。

様々なシーンの手段

これと同じで私たちが今活きているシーン(会社、家庭、懇親会など)では様々な手段を用いてその場を切り盛りしています。

(切り盛りという表現が的確かは分かりませんが、、、)

全ては手段でしかない。

このことを忘れずにいると、○○できない、という発想が全てなくなることに気付きます。

今のあなたの用いている手段がその目標達成につながらないだけで、手段を変えれば、達成できるはずだからです。

私がセミナー講師の研修を受けている時、講師から言われた一言として

「講師の名刺を作れば、もう講師」

というものがあります。

・・・講師になりたかったわけではなく、会社で必要だったから人前で話す練習をしていただけなのですが、ちょっと記憶に残っています。

講師になる手段を少し探していましたが、手段選ばずなら、いくら人前で話せなくとも、話す内容がどんなにちっぽけでも、確かに講師にはなれるのです。

その後、講師活動もするようになるので、役に立ってはいますが、ココで言いたいのは

手段が違うだけで、私たちが違うことは何一つない

ということです。

私にはできない。

私には無理。

などの言葉は、正確には、

今の演じている私にはできない。

私が使っている手段では無理。

ということになります。

とすると、変えるのは手段!!

なんにせよ、目標達成に手段を選ばず、という観点からみて、自分の正確さえも手段とみなすことができれば、なんでもいけそうな気がします!

・・・声を出す必要がない時代から、大変ポジティブなまとめになりました。

・・・変われば変わるものですね(笑)


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こころと言葉 礒村 博之
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虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。