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○○のせいだ!(土曜日版)

コロナのせいだ!

政府のせいだ!

社会のせいだ!

環境のせいだ!

あいつのせいだ!

と叫んで、責任を取らせようとしても、ま、変わらない。

私も一瞬は思うんですよ。

○○のせいでこう(多くはマイナスの状態)なった。

・・・だから、なんだ?

変わらないもの

そして、自己啓発系だとこう続くんですよ。

「○○のせいにしても変わらない。だから、○○のおかげで気付くことができたとして、解決するために行動しよう」ってね!

・・・ど正論(笑)!!

もう、社会のルールと言ってもいいくらい。

では、本当に原因追及が無意味なのか?

ということについて本日は車の中で書きました。

※正確には運転しながら1人で話して録音したものを書き起こしたのです。

自分の生き方

自己啓発は必要か、というと必要ではあるけど、本当に必要なのは自分の生き方を決める、ということです。

それさえ決めておけば、何かのせいにしても、原点に立ち返るのです。

自分の生き方とはどうやって決めるか、というと、責任を取るという事で決まります。

これはよく行く理髪店のオーナーが言っていたのですが、「お金を稼ぐ」とは、社会に対してどれだけの価値を提供しているのか、ということと行動の責任を自分がとれるか、というこの2点で決まる、とのこと。

だから、「○○に投資して楽に」とかあまり好きではありません。

誤解無きよう補足すると、投資については全面的に賛成派なのですが、きちんと調べたりする労力は必要ということです。

また、「責任の重さ」これは自分で決定し、自分で行動し、その起きた結果に対して、良いものであれ、悪いものであれ、引き受けるということ。

これを決めて繰り返し行動することによって、自分の生き方が見えてきます。

お金のために、というのは第一目標ではなく、本来は第二目標くらいに置いておかなければ生き方は見つかりません。

今決めるべきこと

最近スキーマについて書いていましたが、ようやく一段落しましたので、元の形に戻りつつあります。

コロナが気付かせてくれた社会の脆さや時代の変革の過渡期

そこに問題を置くのではなく、症状として捉え、本当の問題は何なのか、オンライン整備の準備不足か、収入源の柱の不足か、生活様式の根本が違うのか、など。

きっちりとした問題を認識することが大切です。

リッチシェフレンさんが言っていました。

相手が問題だと思って相談にくるけど、それは症状だ。

相手が本当に自分の問題に気付いているのであれば、あなたのところにはこない。と。

今決めるべきは、問題の特定です!

急務、急いで実施します!!

○○のせいは結局?

という訳で、○○のせいというのは自分の人生に対して自分で責任を負っていないということですから、成長はしないし、その状況に対して、責任を負おうとする過程での原因追及は有り、という結論に達しました。

しかし、原因追及をやる上で、原因を1つの要素と置かないこと

これが大切です。

1つの要素で必ず起こるほど私たちは単純ではありません。

・家庭環境が悪かったからこうなった。

・これをしたから損失が出た。

ではなく、家庭環境の中でこのシーンでこの対応を受けて、これが、、、と連鎖的に捉える。

これをしたから損失はでたが、同時にこれをする背景として、、、と状況や条件もつなげてみる。

このようなことが大切です。

抽象的ですが、少しでも気付きになれば・・・。


虐待に関する電話はおよそ4分に1件。来年から児童養護施設の対象の児童が在宅支援になることもあり、さらに発見することが難しくなります。教育と虐待。線引きは明確ではないでしょうが、可能な限り関わっていきます。