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まちの喋り場「CROSS OVER★まち蔵カフェ」スタート


※今回の記事は長文のため見出しを付けました

①はじめに

7/8より越谷市内の蔵(油長内蔵)の2階で、まちの人々が世の中の気になるあれこれをざっくばらんに語れる喋り場イベントを郷奏舎主催としてやらせて頂くことになった。

もちろんただ雑談するのではなく、チラシにあるとおり働き方、恋愛、子育て、健康、など生きていく上でモヤモヤするテーマを選んで自由に話しながら深堀りしていく。

ここで大切なことは、普段属している空間では正直に話せなかったことが、この場では自由に発言出来て、聞いてもらえること。それによって新たな発見があったり勇気づけられたりして少しでもモヤモヤ解消に繋がれば幸いである。

ではなぜそもそも僕はこんな取り組みを始めようと思ったのか?

②きっかけ

一言でいえば今の経済至上主義の世の行く末に全く期待していないからである。もはや、自分ひとりひとりが本当の幸せとは何か?人生とは何か?に向き合うことをしない限り、今後の世の流れいかんによっては不本意な結末を泣く泣く受け入れるハメになると思い至ったからだ。

個人主義が拡大し、義務(役目)よりも先に個々の権利を声高に叫ぶことが当前の風潮の世では、我先と自己保存に走るのは自明である。その一方で周囲の目を全く気にしないわけにもいかず、建前と本音の乖離が激しくなっている。一昔前はそれでも良かった。世界全体が経済成長という共通テーマで発展していく中では。

だが、果たして今はどうか?

③「評価」を疑え。

今を取り巻く状況を見てみよう。

過去最大級が頻繁に更新される自然災害(おそらくこの先も激甚は増えるであろう)。世界の超大国の自国優先主義。そして今度の未知のウイルスの脅威。

これまでは「安定した」世界の共通ルートを頼りに、いわば想定可能な人生を歩んでいけて、しかもそれが幸せと思えて正解に思えた。

だが、これからの「不安定」な世界では、これまでの世界の、世間一般の常識や価値に囚われ過ぎていると、全くもって他物に左右された、不本意な人生を過ごすことになる。

今までは、人によく見られたい、褒められたい、評価されたい、ということが重視された。ところが、これまで良いと思われたそれそのものの価値が下がっていたり、却って今の時世では反感を買う場面も出てきた。

大衆の評価ほど信頼できないものは無い。大衆は無責任である。ある時は拍手喝采し、ある時は罵詈雑言を浴びせる。

他人の意見に囚われ過ぎるなという話は、別に不特定多数を相手にする政治家や芸能関係者だけが留意する話ではない。

今は世界的にも変動期(長い目で見たら移行期なのか)である分、これまで以上に百家争鳴しており、ますます垂れ流される情報に錯乱される。

何が言いたいかというと、要するに、自分をコントロールする、舵取りをする指針が他人軸に偏っていると、これからますます生きにくくなる

これまでは周りを見渡して「これっていいだろ?」「これは間違いじゃないよね?」と安全確認してから自分の行動を選択していったが、これだと今後まともに自分のオリジナルの人生を積み上げていけなくなる。というのもイレギュラーが頻発するからだ。正解はないし、誰にも分からない。あとになって振り返ってみた時に自分にとって(他人に当てはまるかは別)正解か不正解が分かるのだ。

ここまで縷々述べてきたが、要するに自分は現状ベースの社会を悲観視したから行動を開始したわけだけど、同じように今の世を悲観視している人は大勢いるだろう。

④今さえ良ければ、はいけないこと?

そういう人たちが、こんな世の中なんだから、夢なんて見ないで、今が楽しければいいじゃん、気持ち良ければいいじゃん、といって他を顧みることなく個人(身内だけ)の快楽を追求して貪るのもある意味必然だし、欲望を喚起して経済循環させる資本主義では悪いことではない。

ただ、一方的に資源を食いつくし、他者を蹴落とし、生態系を破壊してまで個人の欲求を充たすことを良しとしてきたシステムの代償は大きい。

⑤足元からの幸福を目指せ

自分が主催する喋り場イベントは、参加者それぞれの置かれた身をざっくばらんに語らうことで再点検し、その結果足元からの幸福度が上がることを目指している。また幸福そのものを個々に追求するのではなく、個々の幸せだと思うことを、出来る範囲内で持ち寄ってシェアする喜びを広めたい。それは資源を食い尽くさなくても、他者を蹴落とさなくても、生態系を破壊しなくても出来る。

⑥情報の断捨離

最近知人から『デジタル・ミニマリスト』という本を紹介してもらったが、大変興味深い内容だ。誰もがスマホ片手に情報の渦の中にいる。ソーシャルメディアを見れずにはいれなくなっている。そのせいで集中力が落ちている。そもそも昔は無くても困らなかったのにこんなに必要以上に時間を取られている。いわばこれは赤の他人に時間を使ってしまっている。そのせいで本当にやるべきことが見えなくなっているのでは?麻痺しているのでは?

気になった方はご一読ください。

デジタル・ミニマリスト

まちづくり相談処 油長内蔵


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