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"やりたいことはどうしたら見つかるか" ごまあぶらさんからのご質問 #文章のタロット

こちらは【文章のタロット】投稿フォームにお送りいただいた質問への返答になります。

ご質問

質問者: ごまあぶらさん

質問内容: 好きなことや、やりたいことをよく聞かれますが、自分ではよくわからないのです。どうしたら見つかりますか。(でも、見つけたいと思っているのかどうかもよくわかりません。)

思いついた数字: 9 13 6 1 12

送信日時: 2021/09/07 10:21

ごまあぶらさん、ご質問の投稿ありがとうございます!

スプレッド(並べ方)

アレハンドロ・ホドロフスキー『タロットの宇宙』の中で読んだことのある「英雄のタロット」を思い出しました。

この5枚のカードからなる配置は、ジョゼフ・キャンベルの著書によって一般的に知られるようになった英雄の旅という大きな神話的主題から着想を得ている。・・・(中略)・・・Aは相談者の出発の状況を表し、Bは相談者の目的あるいは探求の対象に対応する。これら2枚のカードの間に、相談者が目的へ到達するために克服すべき障害を表すCとDを近づけて置く。Eは相談者が目的を実現するために有している鍵、協力者、力を表す。

アレハンドロ・ホドロフスキー/マリアンヌ・コスタ著『タロットの宇宙』P.589~P.590 から引用

カードの配置は次のような図式になります。

英雄のタロット

E

A C D B

A: 状況
B: 目的
CーD: 障害物
E: 鍵、協力者

ごまあぶらさんからの今回のご質問では、次のように対応するかと思います。

(A)状況は質問を投げている現在の状況。(B)の目的はやりたいことを見つけること、もしくは、ないならないで「無い」ということを見つける。(C)(D)の障害物はなにがやりたいことの有無を見えなくしているのか。(E)はごまあぶらさんのモヤモヤを解消するための鍵や協力してくれる人を探ります。

実際に引いたタロットの写真がこちらです。

画像1

(A)状況 → X 運命の輪

ごまあぶらさんの個人的なレベルではある種の成熟期を迎えています。個人の成長サイクルは一段落して、これから社会の中での成長へ旅立つところ、とも解釈できます。

しかし、どこか完璧主義のようなところがあり、「自分はまだまだ」という心理的ブロックがあって、次への飛躍の一歩を踏み出せないでいるのかもしれません。

無邪気に、無責任に「〇〇が好き」「〇〇がやりたいんだよ!」と言えるほど幼くはない。

とは言え、自信を持って「これがやりたい」と明言できるほどの確信もない。

多分ですが、無意識的なレベルでそのような思いがあるのかもしれません。

好きなこと、やりたいことを聞かれてちょっと困ってしまうのは、「ちょっと待ってよ、今はまだ言えないんだよ」という感じなのではないでしょうか。

(B)目的 → V 教皇

実は「理想を言えばこんなことがやりたい」という思いがどこかにないですか?

現実的ではないかもしれないが、もろもろの条件を取っ払っていいなら「こんなことがやってみたい」というもの。夢や理想。

その夢や理想は、非現実的だと今のごまあぶらさんは思っていらっしゃる。けど、その夢/理想の誘惑がとても強く心を引っ張っている。

非現実的だ、そっちじゃないんだ、と思えば思うほど、心の中での存在感が大きくなる。

だから、「好きなこと」「やりたいこと」は、「無い」ということではないと思うんです。

あるんだけど言えない。

「好きなことは?」「やりたいことは?」と他人から聞かれて軽々しく答えられるものの範疇にはないだけ。

なんとなく世の中の「好きなこと」「やりたいこと」の文脈でそれを言うには憚られるところがあるような気がしてらっしゃるんじゃないでしょうか。

(C)(D)障害物 → XXI 世界、XIII 名無しのアルカナ

障害物という目線で XXI 世界 のカードを見ると、「世界観がロックされている」「固定観念が強い」というような読み方が可能性としてあるなと思います。

また、組み合わされているのが XIII 名無しのアルカナ なので、その固定観念のせいで、せっかく湧いてきたアイデアややる気を殺してしまっている、刈り取ってしまっている、と読めます。

現実と理想の間で0/100で考えてしまう傾向がもしかしたらあって、「取り掛かるなら完璧な計画でなければならない。それ以外の中途半端で成熟していないアイデアに出る幕はない」という心理が働いてしまう。これが、好きなこと/やりたいことを素直に受け入れられない障害かもしれません。

(E)鍵、協力者 → XV 悪魔

キーワードとして思いつくのは「熱中」「タブー」「性的欲求」「金銭」「芸術的創造力」です。

(B)目的で出てきた V 教皇 と XV 悪魔 は補完関係にあって、V 教皇 が神(精神の世界)と人間界の架け橋になり人々を信仰へ誘惑する存在であるのに対し、XV 悪魔 は地獄(カオス)からのエージェントです。人間を堕落・快楽の道へと誘惑します。

こう書くと悪魔はただただ悪いやつみたいですが、タロットの哲学ではそう見ません。

むしろ、悪魔がいるから教皇の役割が成り立つと見ます。

善と悪の世界をトータルに見たとき、その2つは相互依存の関係にあります。どちらかだけでは成り立ちません。

この悪魔性がそのまま鍵であるという見方もできます。ごまあぶらさんの裡(うち)に潜んでいる悪魔性ですね。潜んでいるので、探して、発見すること。

もうひとつの見方は、ごまあぶらさんの周囲にいる「悪魔みたいな人」に協力してもらうことです。

ある意味ではごまあぶらさんのセルフイメージと全く逆の人が「悪魔みたいな人」なんではないかと思います。

(A)状況で出た X 運命の輪 の車輪のハンドルはカードの端で見切れています。つまり「誰かにハンドルを回してもらうのを待っている」とも読めるのです。

障害物が固定観念(XXI 世界)と自己否定(XIII 名無しのアルカナ)だとしたら、それらを解くトリガーは X 運慶の輪 のハンドルかもしれません。でもこれは自分自身で回すことが難しいという示唆を含んでいます。

(E)位置に登場した XV 悪魔 はそのハンドルを回す役目の人かもしれません。悪魔みたいな人はごまあぶらさんが一人で考えていては絶対に出てこないような奇想天外なアイデアやユーモアのセンス、いたずら心を持っている可能性があります。そういう気の抜けたマインドの力がこの重いハンドルをいとも簡単に回しちゃいそうな予感がします。

ハンドルを回すと、ごまあぶらさんがすでに備えている資質が活性化してワークし始めます。

すると、今の段階では非現実的と感じている=夢や理想だと思っているものも、いつの間にか「目標」「目的」のように達成可能なものに見えてくるんじゃないでしょうか。

そうなったらこっちのもので、誰かに「好きなことは?」「やりたいことは?」と聞かれてたとき、堂々と思っていることをそのまま言えばいい、というわけです。

***

いかがでした?

かなり想像力を働かせてリーディングしていったのでどこまで納得感があるかわかりませんが、なにかしら参考になれば幸いです!:-D

SN

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