自分の内面を見つめ直すことの難しさ(続)
昨日の投稿の続きです。
今朝、朝食を食べながら奥さんと雑談していて、なんで人間は矛盾した行動をとってしまうんだろう?という話題になりました。
こんな風景、誰でも一回は見たことありますよね。
ところがこのAさん、働く年数が経つごとに組織への不満が積もりに積もってきてしまいました。
理由や事情はいろいろあるでしょうが、とにかくAさんはこの会社で働く意欲をなくしてしまいました。
そんなAさん、今ではほとんど早めに出社することがなくなってしまいました。
毎日のように出社はギリギリ、もしくは、もうアウトなんじゃないかというタイミングで出社するのがデフォルトになってしまいました。
ここで周りは「あれ?」と思うわけですよね。
あれだけ遅刻気味のBさんを罵っていたAさんが、と。
おかしくね?と。
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僕は、ひとりの人間の中には複数の人格要素がいっしょに住んでいると見ているので、ま、そんなもんじゃないですか、と思います。
それぞれの人格は矛盾し合ったり対立し合ったり、そうかと思うと、仲良くしたり協力し合ったり、はたまた、知らんぷりしたりお互いに見えない位置に隠れたり、そんなことをしています。
レンジとしてはそれなりに広い様々な性格がトータルにひとりの人の中に存在する、という点はみんないっしょなんじゃないかと見ています。
違うのは、どのような性質を持ち合わせているか、それから、どのような気質のバランスで成り立っているか、そして、場面場面でどのような行動をするか、などです。
平たく(若干乱暴に)言えば、「中身がぐちゃぐちゃなのはみんないっしょ」と思ってます。
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Aさんの場合は、多分視野が狭くなりがち、独善的な判断をしがちな傾向が強く(くどいようですが、これらの気質そのものは全員の中にあります。出方や傾向や強弱は様々だ、ということです)、そのため、そのときに「私はこう思う」がそのままイコール「常識」になってしまいがちなんだと思います。
Aさんが働きがいを感じて出社しているときは15分前出社が「常識」で、Aさんがモチベだだ下がりで仕事しているときはギリギリ出社が「常識」になると言うだけです。
(個人的意見ですが、「常識」なんて結局相対的な概念なので、誰もAさんを責められないと思います。)
そしてAさんのもう一つの特徴は、自分のそのときの常識に反する行為を目の当たりにすると思わず衝動的な行動に出てしまいがちだというところです。
15分前出社を「常識」と考えている人はそれなりの人数いらっしゃると思いますが、自分以外の人がギリギリ出社や遅刻をしてるのを見てどう反応するかはまた別の話です。
Aさんは考えるより先に衝動的に注意や意見を言ってしまうわけですが、それとは反対になにも言わないとか、もっと言うと、遅刻してきた人に注意しなきゃいけない立場なのに言えない、なんて人もいると思います。
ここで本当にくどいようですが、改めて思い出してほしいのは、Aさんが「いつも」「どんな場合でも」衝動的かというと、そんなことはない、ということです。
Aさんの中にも傾向が強く出る性格と真反対の性格も存在するんです。外からは見えないかもしれないし、もしかしたら、Aさんの意識からも見えないかもしれません。
それでもです。人間は思った以上にトータルな存在なんです。(← ここかなり強気で主張してますが、根拠としては経験です。本当にそうだなと思った経験からです。あとは、人間はトータルな存在だという理解に立って物事を考えることで絶対に損はしないという、これも経験則ですが、そう思うからです。)
Aさんのように衝動的に人にものを言ってしまう人は、実は内心後悔していることが多いです。
自分中心の視野の狭い見方に固執した「常識」を振りかざしてものを言ってしまった、という自覚があることはほとんどありません。もしそれがあって後悔していたら相当珍しい方です。
後悔してるのはそこじゃなくて(というか、自分が自分だけの「常識」を振りかざしているなんて思ってません。だったら「常識」という表現は避けますよね)、「衝動的に(なにかを)言ってしまった」という部分に後悔しています。自分を責めています。「Bさんを傷つけてしまったかなぁ」という自責の念が起こっています。これは積もり積もると「自分は自分をコントロールできない」という自己否定の観念や感情に育っていきます。
冷静に考えれば、個人的な都合に合わせたそのときの観念を「常識」と拡大解釈してそれをベースに行動してしまうウブさが根本的な問題だと見て取れますが、それは基本的に本人の主観ではわからない(見えない)のが一般的です。
本人の中で累積していく自己否定=ストレスや憂鬱な気分を構築しているのはそういうウブな行動が呼んだ結果への後悔です。
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こんな感じで、結構人間の心理って複雑なんですよ。
上に書いた内容は僕の経験則やそういう見方をヘルプしてくれる方法論をベースにして「そういうケースもある」という感じで書いているだけですが、逆に言えば、想定だけで書き出してもこんだけ複雑なんです。
これがAさん本人を相手にしてセッションしたら、複雑さという観点では人間の思考力の限界を簡単に超えてくるわけですね。
なので、僕としては昨日の投稿にも書きましたけど、「いっしょに考える」「決まりの悪さに耐える」という姿勢がすごく大事だなと思うわけです。
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なんかまだ続きが書けそうですが、今日はこの辺にしておきます。
SN
→ 続きを書きました。