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恋のチカラと愛のチカラ

ひとは独りでは活きられない
そこには、恋のチカラや愛のチカラが湧く時がある
それらチカラは時にこころの距離を犯してしまいもする

それはこころを知らないから仕方なくもあるが
ひとはそう望んでないのも分かっている

そもそも、恋とはなんぞや
そもそも、愛とはなんぞや

それさえも恋や愛の感情をまんま感情として扱えば
結果はこころ(きもち)とは違う結果をもたらす
それが「こころの距離を犯してしまう」ということだ

以前も「心のカタチ」で書いたことがあるが
恋は「亦(また)」に「心」と書く

その亦に心は何度も繰り返すことができる一方通行な片思いを云う
だから「心」は中心には書けない

そんな恋は自由である
それは一方通行な半面
何度でも誰にでも複数にでも
こころの距離を近づけることができるから自由なのである
それは互いが近づく訳ではなく
自分から近づけれる自由がある
だから、離れるのも自由なのです

だから、恋を沢山すればいい
だから、恋をするのは悪いことではない
それは相手を思うチカラを湧かすから
沢山する方がいい

それなのに
世にいう型の中に特定の人がいると
それを愛とするがばかりに
人はその型に拘り、他のひとへの恋に罪悪感を持つ
時にその罪悪感に「浮気」という名をつけたりもする

それは、感情で感情を抑え気持ちとは異なる意思を心に植え付けかねない
そして恋を悪いものと錯覚をさせる

アイドルやタレントなどに恋(スキ)をする人は浮気なのか?

恋は悪いことではない
もし悪い事となるなら
それは、相手にも恋を求めた瞬間
こころの距離を半歩踏み込み悪化させる事にある

それでは、相手の心に不快感を持たせ悪くさせてしまう

恋をすることは悪いことではない
だから、することは自由なのである
一方通行な恋なら誰にも迷惑をかけはしない

だから、恋という感情を上手く扱えばいいこと

愛という字にも「心」がある
その心は中心に書かれ護られている

恋のように一方通行な思いではなく
互いに向き合ったこころを表わしている

そんな愛をもしかしたら勘違いしているかも知れない
「チカラを必要とする愛」と「チカラを必要としないチカラの愛」である

愛も恋と同じ感情である
相手を思う心と心がその互いの心を支えてこそ愛と考えられている

そのような愛はどちらかの感情が覚めると途端にバランスを崩す
当たり前なことである
そして、どちらかがこころの距離を遠ざければ終わりとなる
だから、そんな愛にはそうならないように心のパワー(チカラ)が必要となる
そして、一旦崩れだしたこころの距離を修復させるには更なるパワーを使いだす
それでは、心は、いつか、疲れ切ってしまう。

だから、遅かれ早かれ別れが訪れてしまう愛
一度覚めた感情(あい)は二度と元には戻れないから仕方がない

だから、チカラを必要とする愛はキッカケにはなり得るがその愛を育み続ける”もの”ではない

チカラを必要としないチカラの愛

愛にはもう一つのカタチがある
それが先の愛を経て学べる”もの”

愛は互いに向き合うことではあるが
チカラを必要としないチカラの愛を知り
チカラを使う”もの”ではない愛と知る

その愛とは、チカラで支えあうのではない
同じ価値を共感することで支え合える
その価値とは1人1つづつ持っているこころ(きもち)に他ならない

こころはお母さんのお腹の中で十月十日育まれたこころを持っている
そのこころは感情に侵されてないピュアなこころその”もの”である
そのピュアなこころは「心地よさ」を記憶し持たされ産まれてくる

その心地よさを失う時、赤ちゃんは”おギャー!”と泣く
それが心地よさに対する感情の現れ
それがひとの活きるチカラとなる心の価値となる

その価値を時に「幸せ」とも云い
だから、その価値を求めて「幸せになりたい」とこころは願うこととなる
その価値は1人1つづつあり、それは大きくも小さくもなく、もちろん重くも軽くもない
だから、誰もが幸せと称する心地よさと云う価値はチカラ(かんじょう)で支え合う必要もない

その変わり同じ”もの”という性質から「共感」するだけでチカラが湧く、
そのチカラは活きるチカラにもなりえ
そのチカラは感情ではなく疲れることにはしない
それがチカラを必要としないチカラの愛となる
自ずとこころは支え合えている

その愛は感情もパワーも必要ない
だから、覚めることでもない
もし、チカラを必要とする愛(かんじょう)があって覚めても
チカラを必要としないチカラの愛(きもち)は残る
そう。なくなることはない愛(カタチ)だから。

そんな不動な愛にはこんな幸せがある。
楽しい事や嬉しい事をして更に感情を湧かし幸せを倍増できる
その楽しい事嬉しい事が終わっても互いのこころ(きもち)は繋ぎとめられている。

その繋ぎとめる”もの”はこころであり、その繋ぎとめる理由がともに幸せを感じる共感にある。

共感はなくなることはない
1人1つづつ持つ価値だからなくならない
もし、なくなったと思うなら
それは、目の前に起きた出来事などに感情を湧かし
共感を見失わせてしまってのこと
心地よさを見失わせてしまってのこと
そして、幸せを感じさせなくさせてしまったこと

そんな時

そんな時は感情を湧かすのを止めて立ち止まればいい
立ち止まれば感情で過行く時(とき)を自身の意思で停められる

停まれば周りの風景(きおく)も止まって見えもする
だから、何が意に反したかも見えてくる

それは自分にとって幸せなことと幸せではないことが判り得る
それが自分の意であり、誰もが幸せになりたいと自分は
その意に沿う人生(みち)へと舵をとれる

愛と云うチカラはこころにとってとても大切なチカラとなる
だから、心のカタチの話ではチカラを必要としないチカラの愛のことを心友(しんゆう)と云う

人だからこころの距離を半歩踏み込むことはあり
それをそのままにすれば関係を崩しもするが
それに学び、こころの意と違うことは必ず改めることができると知る
チカラを必要としないチカラの愛を築くことで。。。

(心のカタチより)

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