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自分らしさ(く)

自分たちの多くは”自分らしさ”を求めている。
はてさて、自分らしさとはなんぞや。

自分らしく
自分の特徴や性質を十分に発揮するさま、意識して抑制するのではなくあるがままの姿でいるさま、などを意味する表現

出典:Weblio辞典「自分らしく」

自分の特徴や性質

まずはじめにの説明に「自分の特徴や性質」とあります。強いて辞書で調べるほどではありませんが、特徴や性質は自身が良く解っているものであり、ここではその説明を省きます。その”自分の特徴や性質を十分に発揮するさま”と”意識して抑制するのではなくあるがままの姿でいるさま”は、=(同じ)として列挙し説明されているが、そのままでは少し違和感を感じませんでしょうか。(決してこの説明にケチをつけているのではありません)それは、ひとはどのようにこの言葉”自分らしさ”を口にしているのでしょうか。

この違和感を感じるには、誰もが「あぁ。そうなんだ」と想わせる辞書の説明が”何となく理解した”ように想わせている事にあるようです。

それはこの説明のように”自分の特徴や性質”を理解している人に対し、知ってか知らずか、さも関連付け”(だから)そうなん”と志向持たせているように思えます。それって良い事なのか悪い事なのかはありますが、”自分らしさ”をどのように口にしているかがこの説明に『もの足らない』となるのです。だから、”自分らしさ”を理解しているようで頭で理解し自分の”自分らしい”が何か解らない違和感が残るのです。いやいや、そこまで辞書では求めてないと言えばそれまでだが「自分らしさ」を口にする人たちは、そうなる事を良しと望み口にしているのではないでしょうか。

しかし、職場や学校など知っている人に、ちょっと癖のある人がいて、その癖を”あの人らしい”とは言えても、”自分らしい”とは言えないのです。良い事として口にするには、自身と同じ”自分らしい”が必要となるのです。

意識して抑制するのではなく

もう一つ。
自分らしさを「意識して抑制するのではなくあるがままの姿でいるさま」と言ってます。

意識して抑制するのではなければ何をしても何でも”自分らしさ”と言えるのでしょうか。ぽち☆が違和感に感じるのは、”自分らしさ”を良い事として口にしているにも係わらず、その説明に自分のために扱う方向を示されないのも「もの足りない」となるのです。

確かに、言葉だけ取れば”あるがままの姿”であり『自分らしい』と言えもします。ただ、辞書の説明が”自分らしさ”というのなら、誰もが見て誰もが同じ理解を促さないと読む人によって違和感が異なります。ならば、それが良い事として誰もが口にできるよう、意味をなす必要があるのです。

意識とは何か。
その意識している”もの”とは何となります。
その”もの”を知らずに「抑制するのではなく」と言われても、その”もの”を知らなければ出来ない説明となります。いや。それは心でしょ。と想う人もいるかも知れませんが、その心を知っているかと言えば知らないのです。それが自分たちの”どこにあって、どんなカタチをしている”のかさえも知らず抑制すのは難しいのです。人は悩むと心を意識してしまいます。それを”自分らしく”と意識するのではなくなんて言われても、そう簡単に出来る事ではないのです。その証拠に”自分らしく”と口にする人はそれが出来ず悩んでいる人が多いとも言えます。

いつも気持ちのままに

自分の”特徴や性質”は分かっているものです。しかし、それを自身を人と比べてその”差”をそう言ってませんか。まずそこから”自分らしい”を謝り解釈していると思われます。ひとはその言葉を自分の良い事として口にするものです。それが自分も誰もが納得出来る”もの”でなければ”特徴や性質”、”意識して抑するのではないもの”と云えないのです。

本来、”自分らしい”とは、感情(いしきなど)に邪魔されず「気持ちのままに」いる事です。その気持ちとは”幸せになりたい”と思う心に沿うことです。例えば「ホクロの位置」が特徴であっても”自分らしい”とは言わないはずです。

気持ちのままにには、誰もが同じ『幸せを感じる状態でいること』を”自分らしく”と云い、誰もが願うさまの姿なのです。

ひとが”自分らしくいたい”と思うのは『いつも気持ちのままに』いることのこころの声なのです。

(心のカタチより)

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