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銀座でビルを見上げる

 妻の好きな造形作家の展覧会が開催されているというので、運転手として銀座まで一緒に行くことになった。
 人気があるのだろう。平日だというのに、開場前から大勢の女性客が並んでいた。
 会場内も渋滞ができていて、「立ち止まらないでください」の声に押されるように歩いた。上野のパンダを見た時のようだ。
 展覧会を観たあと、銀座通りを日本橋まで歩いた。ちょうどお昼時で、通りには大勢のサラリーマンやOLが歩いていた。

 会社勤めを辞めてから、都心にはめったに出なくなっていた。今回久しぶりに訪れてみて、以前はそれほど驚くこともなかった、建ち並ぶビル群の大きさに圧倒された。やっぱり東京はスゲエなあと、おのぼりさんのようにビルを見上げる。
 ビルが建て替えられたりして、街並も大分変わったような気がする。
 松坂屋のあったところには、GINZA SIX という、倉庫か物流センターのような無機質な外観の商業施設ができていた。やはりデパートとは違うのだろうか。以前パルコをデパートと言って笑われたことがある。
 ユニクロは十二階建てのビルの全フロアを占めているらしい。地元のユニクロに比べると十二倍の規模だ。
 やたら大きなシャネルやティファニーやブルガリは、以前からあったのだろうか。あんなに瀟洒で立派なビルなのに、人の出入りがあまりない。使われていない結婚式場のようだ。

 東京は再開発がいまだ活発に行われているのだろう。いくつかのビルが建設中だった。その中のひときわ高いビルのてっぺんに、数基のクレーンが見えた。
 肉眼では見えないが、クレーンには人が乗っているのだろう。アームが目を凝らさないとわからないくらい、ゆっくりゆっくり動いていた。
 限りないほど小さくちっぽけな人間が、よくもこんな不釣合いな巨大な構造物を作るものだと思う。これは改めて考えてみると驚くべきことだ。
 それを可能にしているのがテクノロジーというものだろう。厳密に言えば、テクノロジーの蓄積というものだろう。

 テクノロジーは時空を超えた蓄積が可能だが、人間の精神はそうはいかない。思想も哲学も人生論も、自分の頭の中で考えてみなければ、単なる知識にしか過ぎなくなる。そういった先人の智恵=精神を既得事実として、そこからいきなり出発しようとしても、すぐに行き詰まるのは目に見えている。
 人は精神面においては誰もがゼロからスタートする。これは肉体面においても言えることだが、人間の精神の進歩が科学のそれに比べて歩みが遅いのは、このハンディキャップのせいだろう。

 未来の人類は高度な精神性をそなえた別次元の存在に変貌するという説がある。それが本当だとしたら、そうなるのはいつどのようにしてだろう。
 艱難辛苦を克服するための努力をさらに強いられ、多くの犠牲を伴いながら、遅々とした歩みで辿り着くのか。
 それとも、そんな紆余曲折の有無とはまったく無関係に、叡智を極めた知的存在に、一気に進化を遂げるのか。

 建設中のビルを見上げながら、テクノロジーは人間をはるかに超えた高みを昇り続けているのかもしれないと思った。A I が描き、導く世界だ。
 映画『ターミネーター2』で、「自我に目覚めた」コンピューターは、人類を抹殺すべく攻撃を仕掛ける。
 最近の A I の飛躍的な進化を見ていると、著作権の侵害や個人情報の漏洩といったリスクより、私には生命の危機に直結するような気がしてならないのだが。

 しかし、日本橋の落ち着いた雰囲気の食事処で、だしの風味と旨味が詰まった一汁三菜の料理をいただいているうちに、そんなことはすっかり忘れてしまった。
 おいしいものを食べると楽観的になる。ごちそうさまでした。


記 事 索 引

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