記憶の迷宮― プロフィールに代えて

　人の一生が八十年とすれば、私の人生も半ばを過ぎて久しくなります。折に触れ、人生の終盤に思いをめぐらせるようになりましたが、その一方で、来し方を振り返ることが多くなりました。
　日常のふとした何かがきっかけとなり、遠い記憶が呼び覚まされて、その記憶の糸を手繰ってみることがあります。そしてしばし立ち止まり、いまだ色褪せることのない思い出の世界にひたります。
　また、何の前触れも脈絡もなく、埋もれていた記憶の一場面が不意によみがえり、驚いたり戸惑ったりすることがあります。

　しかし、あたりまえのことですが、そうやって呼び起こされた思い出は、しみじみと懐かしむことができるものばかりではありません。
　思い出とは多くの場合、楽しい記憶のことを言うようです。けれども、それだけを思い出とするなら、思い出と呼べるものはそう多くありません。永い年月が経っていても、心穏やかに懐かしむにはいまだ生々しく、思い出したくないことの方が多いかもしれません。
　なんという恥ずかしいことをしてしまったのかと、身の細るような思いに呻吟することがあります。あんなことをしてはならなかった、こうすべきだったと、後悔の念に苛まれることがあります。思い返すほどに腹立たしくなることがあります。
　いやな思い出も時間が経てば楽しく見えると言われますが、心の底から忌み嫌うような記憶は、どんなに時間を費やしても変わることがありません。頭の中から消えてなくることもありません。そして始末の悪いことに、不愉快な思い出にはたやすく引きずり込まれます。

　決して多くはない楽しい思い出は大切にしたい。だから、楽しい思い出をそのまま楽しむだけではもったいないのです。想像力を羽搏かせてより深く思い出を楽しむ。夢想が時に妄想へと飛躍して、はめをはずすことになっても罪にはならないでしょう。取るに足りないような些細な思い出も、あらためて思い返してみると意外な楽しさを見出すことがあります。

　人間の想像力は限られています。何もない未来に想像力を働かせるよりも、過去に経験したことから想像力を逞しくする方が、よりリアリティーに富んだ夢の世界を創造できます。
　そうやって過去にもとづいて創られた夢であっても、それが夢であるからには、おのずと未来の夢に通じます。夢というものの見果てぬ地平が、つねに未来であるからです。だから、過去を生きて夢見ることは、未来を夢見ることにもつながります。

　そして、いやな思い出には囚われ過ぎないことでしょう。忌み嫌うような記憶を封じこめることができないまでも、不愉快な気分で時間を浪費するのはやめようと思います。苦い記憶から何か教訓をすくいとろうとして、ことさらそこに留まる必要もありません。時間はいっそう有限なのですから。

島 清明

記 事 索 引