先陣を切った伯母
「わたしにはわたしの人生があるのよ」
これは、今は亡き伯母が息子に対し放った一言だ。
父方の親族は偽善的な人が多い。そして、いわゆる家父長制が当たり前だった時代を生きてきた人たちであり、その秩序を守りぬいてきた人たちでもある。男も女も。
だから家長となる男たちは、なんら疑いもなく女を支配するし、女たちはそんな男らに属し、粛々と嫁や母という役割をこなしてきた。わたしの祖母もそうだろう。不満はあれど疑問はもたなかったのだと思う。
そんな中での伯母は、おそらく『異端』だったはず。
長男の嫁として嫁いだ伯母は、華やかな人だった。踊りを嗜み、宝石が好きで、社交的な明るい人だった。家父長制の中で求められる自分に不満があったと思うし、その枠に収まるような人でもなかった。だから家長だった義理父とはよく喧嘩もしたという。
郷に入れば郷に従え。というけど、伯母は真っ向から反論したわけだ。
「わたしにはわたしの人生があるのよ」は、家庭的な母親に憧れる息子から「もっと母親らしくしてくれ」と言われたときに放った言葉だそうだ。わたしはこの話を、ワクワクしながら聞いていた。
伯母は家の男どもから型にハマることを要求され続けてきたにも関わらず、それに反発してきた。それがたとえ息子であろうとも、自分の人生を自分らしく生きることを優先したということだ。
「親族にこんなイケてる女性がいたなんて」と思わずにはいられなかった。
もちろん、そう思えるのはわたしが女だからであり、家父長制を疑いもなく受け継いでしまった父への反発があるからだ。
息子からしてみれば、母親に対する理想があって当然だし、理想の母でないことに不満をいだくのもわかる。わたしが父に「家族と向き合い、心を通わせる人であってほしい」と願うのと同じだ。
このエピソードを聞いたのは、伯母が亡くなったずっとあとのことだった。
伯母が生きていた時代、わたしはまだ幼かった。だから、伯母がそんなにかっこいい人だったとは知らなかったのだ。
わたしは、親族に脈々と受け継がれてきた価値観を根本から覆したい。先陣を切ってくれた伯母のあとに続きたい。
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