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『人生案内』備忘録|小川仁志の哲学回答6選

わが家では読売新聞を購読していて、わたしは『人生案内』というコラムを必ずチェックする。

読者からの質問に対し、著名な学者や医者、作家などが回答するコーナーだ。

わたしの推し回答者は哲学者の小川仁志さん。彼の場合は、ものの見事に哲学に絡めて回答するからおもしろい。

新聞の切り抜きが溜まってきてしまったので、整理するためにもここに残しておこうと思う。


#1|未来に心を奪われると過去を再編成したくなる

今の仕事にやりがいを感じられず、やりたいことをやるべきか、安定をとるべきか…という悩みに対して小川さんは、アメリカの哲学者、ホッファーの考え方を引用した。

彼は、未来のことばかりに関心を奪われると、ありのままの現在が見えなくなるばかりでなく、過去を再編成したくなると喝破しています。
(中略)
過去を捏造するのではなく、むしろ過去を直視しないと、今手にしている幸せをも失ってしまいかねません。

出典:読売新聞『人生案内』

「昔はよかったな~」なんて過去を振り返るとき、実は先々のことに不安がある。そうすると「今、ここ」にある幸せが見えなくなってしまうということだ。


#2|客観的に生きる

趣味も特技も魅力もない。他人と比較しては、消えてなくなりたいと思ってしまう…。という20代男性からのお悩みに対しては、イギリスの哲学者、ラッセルの『幸福論』を引用。

どうすれば問題が解決するのか?それは彼が、幸福になるための方法として書いていることを実践すればいいのです。一言で言うと、客観的に生きるということです。

出典:読売新聞『人生案内』

主観的だから自分はダメだと思い込む。そこから抜け出すには客観的に生きるしかないのだと。そのための方法として、ラッセルは「趣味」を持つことを推奨しているのだそう。

自己没頭に陥る意識を趣味に没頭させて、自己から外へ、意識を向けていくということだ。

だけど、そう上手くはいかないものだよなぁ。


#3|愛の本質はお互いの幸せに影響を及ぼす一体の関係になること

不倫相手が離婚するのを信じて待ってはいるものの、誰にも相談できずに苦しい。という女性のお悩みには、アメリカの哲学者、ロバート・ノージックの言葉を用いた。

愛の本質はお互いの幸せに影響を与え合う「われわれ」になることだといいます。つまり、愛し合う時、人は個人であることを超えて、お互いの幸せに影響を及ぼす一体の関係になるということです。(中略)2人さえよければ、人に話せない関係であろうと、なんであろうと悩む必要はないのです。

出典:読売新聞『人生案内』

不倫の悩みへの回答を紙面上でするのは難しいんじゃない?と思ったけど、「2人さえよければ人に話せない関係であろうと悩む必要はない」と言い切った。

これにはちょっと驚いた。でもそのうえで・・・

「われわれ」である必要がないと思ったならば、もはや、この愛にこだわる必要はないのかもしれません。

出典:読売新聞『人生案内』

と、諭す。

若竹千佐子さんの言葉を借りれば、「愛はくせもの」なのだ。そもそも、その愛はお互いの幸せに影響を及ぼしているのか?はたと立ち止まって考えれば、夢から覚めるかもしれない。不倫に限らず。


#4|当てにすることと信じることの違い

「義理の親から娘の入学祝をもらっていない」ことを根に持つ女性には、ちょっと手厳しい回答だったかもしれない。

参考になるのは、日本の哲学者、清沢満之が論じている、当てにすることと信じることの違いです。
人は当てにしているだけの場合、心を預けきっていないので、期待通りにいかないと悔やむことになります。ところが、信じている場合は、相手に預けきっているので、期待通りにいかなくても平気なのです。(中略)
おそらく相談者は、義理の親とはそこまでの関係を築けていなかったのでしょう。だから、期待通りにいかないことを、こうも悔しがっておられるのだと思います。

出典:読売新聞『人生案内』

小川さんは「なぜそんなにこだわってしまうのか?」という視点で回答されている。わたしの耳には「信頼関係も築いていないのに入学祝は当てにするのか。それは都合がよすぎるだろう!」と聞こえてしまった。

これで思い出すのが、「お返し」がなくて腹を立てていた自分である。

ほとんどが友人の結婚式にまつわるもので、わたしは、いろいろ頼まれる割にお礼がないことが多い。ウェディングプランナーをしていたこともあって、いいように使われてしまうのだ。

そこに信頼関係があったか…?

ない。少なくともわたしのほうには。

逆に相手は、わたしを信じ切っていたということだろうか?だからわたしだけ、期待通りにいかないと腹を立てていたのか。と、ちょっと納得したのだった。


#5|やさしさとは思いやり

故郷でひとり、病気を抱えながら暮らす親の元へ行きたい。でも夫を一人残して故郷に帰るのは身勝手では・・・と悩む女性に対してはこう答えた。

これはやさしさの問題なのです。
論理学者の竹内整一は、やさしさとは思いやりであって、自分と他者との埋められない心の距離を前提に、だから「思い」を「遣る」のだと論じていました。逆にいうと、ちゃんと相手を気遣っているという意味でやさしさを抱き続けていれば、それで十分なのです。
幸いやさしさは物理的な距離を問いません。

出典:読売新聞『人生案内』

これには、相談者に対しての、小川さんの思いやりが感じられた。やさしさによって悩む相談者の心の重荷を、軽くしたんじゃないかと思う。

わたしの母も今、茨城県から岩手県に住む高齢の母親の元へ、2~3ヶ月に1回ペースで通っている。もっとも、ひとりで暮らしているわけではなくグループホームに入っているし、近くには弟家族がいる。だから物理的なお世話は必要ない。

でも、気持ちがお世話をしたい。本当は、近くにいて毎日のように顔を出したいだろう。

「やさしさは物理的な距離を問わない」のだとすれば、母は毎日のように祖母を思いやっている。それはつまり、いつでも手を握れる距離にいるということだ。そう考えると、なんだか安心してしまう。


#6|相手のいい部分だけに目を向ける

心の病気になった妹と比べ、長女の私には遠慮がない母親。でも衝突したくなくて本音が言えず、大事なことも話し合えない…と悩む女性に対し、引用したのはアイルランド出身の哲学者、アイリス・マードックの考えだった。

誰もが皆、複雑な事情を抱えて生きているという前提のもと、だからこそあえてその人のいい部分にだけ目を向けるよう説きました。
かたくなに心を閉ざす人や、他者に冷たく当たる人は、きっと何か大変なことを経験したり、問題を抱えていたりするのでしょう。そう思って、相手のいいところだけに注意を向ければもっといい関係を築くことができるということです。

出典:読売新聞『人生案内』

あぁこれ。理論的にはわかるけど難しいんだよなぁ。いい部分だけを見るって。どうしたって無理があるんだよなぁ。

だって、こちらがいいところだけを見ようとしていても、相手はこちらを傷つけてくるんだから。

「こちらが大人になって受け流せばいい」のだけど、それは不公平すぎるだろう。と、思ってしまう。


でも最近わが家では、あるひとつの考えにたどり着いた。あるがままを軸として、「相手や状況に合わせて演じる」という考えだ。

これをやるときの注意点は、「相手のために演じてあげている」という意識で行うこと。相手に翻弄されるのではなく、「本当は嫌だけど、あなたとの良好な関係のために我慢して合わせてあげる」という心持ちで行うということだ。

そして相手のために合わせてあげた自分を、自分で褒めてあげるのを忘れないこと。

もちろん、どうするかは相手にもよるし、自分がどうしたいかにもよる。「客観的に生きる」という意味でも、個人的にはおすすめの方法である。




明日のブログも、『人生案内』のまとめを書こうかな…。アウトプット大事なんだなぁ。

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