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予測不能による恐怖

ちょっと、くだらない話をさせてもらいたい。

先日、わたしのゴキブリ嫌いを生物多様性やらヨガ哲学やらに絡めたもっともらしい記事を書いた。そこでわたしはゴキブリが恐いと書いたのだけど、そのことについて昨晩お風呂に浸かってぬくぬくしながら考えていた。

なぜお風呂に浸かるという癒しの時間に考えたくもないゴキブリのことを考えたかというと、お風呂場付近でのゴキブリ遭遇率が高いからだ。気温が上がり活動が活発になってくる季節には、常時ゴキブリを警戒する自分がいる。

しかもお風呂場と言えば裸。まるで無防備なわたしに忍び寄る黒い影を、警戒せずにいられようか。実際には攻撃してくるわけでもない彼らを、なにもそこまで恐れなくてもいいはずなのだけど…。


そもそもわたしは、ゴキブリだけに限らず虫全般が苦手だ。さまざまな種類がいるのにも関わらず『虫』とひとくくりにしてしまって申し訳ないけど、虫という虫が苦手だ。

そんなわが家のお隣さんは昆虫類のブリーダーをしていて、わたしにとっては、彼らが逃げ出してわが家に進出しないかと、それだけが心配の日々だった。お隣さんはわたしとは「まるで逆の価値観を持つんだな」と思うわけだけど、ゴキブリも好きなのだろうか?


こんな話には誰も興味がないとは思いつつ、「わたしの恐怖心ってこれじゃないの?」というのが浮かんできたので考察を述べてみたいと思う。笑

それは『予測不能』という点だ。

足音もなく突然視界に入ってきたかと思えば、どこに動くか予測できないうえに素早い。そしてそれは、突然飛ぶ可能性すらある。とにかく予測不能なのが、なおさらわたしを恐怖に陥れるのだ。

といったくだらない考察をしてみたら、わたしにとって『予測不能による恐怖』は虫に限ったことではないなと思い至った。


これまでの記事の中で何度か、わが家は家庭内別居中だとお伝えしてきた。『父vsわたし&母』という構図で、話し合いがこじれて今は冷戦中といったところだ。

冷戦中にお互いを刺激して無駄な争いを起こさないために、「鉢合わせしないよう気を遣う。鉢合わせしたら挨拶はする。」ということだけをルールとしている。

わたしと母は、父がキッチンに居れば譲るなどするのだが、父はおかまいなしに入ってくるし話しかけてくることすらある。つい先日は、わたしが夜中にお風呂からあがって洗面所を使っていると、ノックもせずに突然扉を開けて入ってきた。

うっかりであれば、「ごめん」とでも言って扉を閉めれば済む。でも父はそのまま入ってきて洗面所のゴミを回収しだすという謎の行動にでた。わたしはあっけにとられ過ぎて言葉もでないどころか、そんな父が恐怖にすら感じるのである。

冷戦中ということ以前に、裸を見られるとか(実際には裸ではなかったけど)の問題がこちら側にはあるのだけど、父はわたしの裸になど興味はない。そのときの興味はゴミを回収するのみで、ゴミのことしか頭にない。

父の足音が聞こえた時点で「目が覚めてトイレにでも行くのかな」とのんきに考えていただけに、予測不能な行動をされたわたしはただフリーズするしかなかった。それはもう、ゴキブリと遭遇した時のわたしと同じ反応である。

まぁ、そのとき父の頭の中がどうなっていたのかは想像がつく。想像がつくようになったのは繰り返し行ってきた家族会議の成果と言ってよいのだが。

そうはいっても父の行動は「今なの?」と思ってしまうタイミングでなされるものであり、父にとっては「今でしょ!」としか思っていないだろうことが悩ましい。

冷戦状態を保つことすらままならないわが家なのだが、これはこれで、仮面家族を演じているより人間味あふれる家族と言えるのかもしれない。


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