自然を見つめ、全身で言祝ぐ
8月の終わり、大気の状態が不安定な日が増えている。
先日の読売新聞の『人生案内』に、60代女性からの相談が寄せられていた。
「雷が異常に怖い」という内容だった。
この相談への回答者は、作家のいしいしんじさん。
普段は人間関係の悩み相談が多い『人生案内』。
「雷とどのように向き合えばいいか」という、あまり見られないジャンルの相談に、どのように答えるのか…。
回答は、興味が沸いたわたしの期待を裏切らない内容だった。
いしいしんじさんは、雷の相談に、神話や歌集を引用して答えたのだ。
昔の人は雷を、「神鳴り(カミナリ)」「厳ツ霊(イカツチ)」と呼んだらしい。
大河ドラマ『光る君へ』でも、ごく自然に人智をこえた存在と共存し、畏れ、信仰する姿が描かれているように思う。
今や雷が起きる仕組みは科学的に解明され、雲の中で起こる放電現象であると知られている。
人智をこえたものではなくなったのだ。
しかし人の知識が及んだ雷を、止めることはできない。
未だに雷は人間を「恐怖」に陥れる。
それを単なる現象と割り切ることはできない。
線状降水帯、地震、津波…。
結局、自然は人智をこえた存在ということなのだろう。
昔の人は、自分も自然の一部であることを、もっと当たり前に捉えていたのかもしれない。
それは科学的な視点とは異なる。
先日読んだ『「むなしさ」の味わい方』でも、著者の北山修さんが、神話や浮世絵から日本人の心の背景を考察をしていた。
昔の日本人にあった、「はかないものを美しい」とする美意識。
移り行き消えていく「はかなさ」は、むなしさにも通じる感情だ。
今のわたしたちが忌み嫌い、なにかで埋めようとする心の空洞、むなしさを、受け入れ、その切なさの中に美しさを見いだしていたのだ。
そういう感覚が、わたしたちには本来、備わっている。
いしいしんじさんの回答の、〆の言葉も素敵だった。
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