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【連載】家族会議『背徳感がはばむもの』

「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。

前回の記事はこちら。

家族会議5日目#4|背徳感がはばむもの

――偏見を、いかにも正しいと見せかけ植え付ける。偏りがあることを隠し、もしくは偏った考えであることに気づかないまま、親は子供に教えを説く。

だけど子供は、いずれ偏見だと気づくときがくる。



田舎であることとか。そういうのもずいぶん、意識が何か。育ち方もあるけど、田舎で育ったところが、なんかすごく昔は、発達についていけない。昔の頭みたいな。


――閉鎖的な田舎で育つと、確かに価値観の偏りが起きやすい。とくに母が育ったころは、今のように情報が満遍なく行きかう時代ではなかった。田舎と都会とでは、大きな隔たりがあったかもしれない。

でも・・・。


わたし
田舎だからってだけでもないよね。きっと。

都会にも同じような家いっぱいあると思う。文化の遅れとかは、確かにちょっとあるかもしんないけど。


洗脳されてたからな。ある意味やっちゃうか、なんの疑問もなく。


――親から植え付けられたものが偏見だとは気づかずに、何の疑いもなく信じていた母。そこに多様な価値観が入り込む余地はない。

子供のころに嫌な思いをしたことにも疑問を持たず、わが子にも同じ思いをさせてしまったのである。

洗脳されるほうが無意識なら、洗脳するほうも無意識だ。


わたし
お母さんもよく気づいたっていうか、よく受け入れられたっていうか。すごいショックだったんじゃない?気づいたとき。


どっちかっていうとね、苦しかった。

わたし
それまでが?


それまでが。

何だかわかんないけど、自分の中で矛盾みたいなのが行ったり来たりして。その矛盾を押しあってこうするんだ!みたいな。
お姉ちゃんに対してのこともそうだし、なんかすっきりしてやってたわけではなかったら。なんだかモヤモヤしつつ。

でも、こうでこうだからこうだよな。みたいな、そんなところがあった。


――社会に出て、結婚して子供を産んで、子育てをする最中、母は親の教えに矛盾を感じつつあった。でも、「こうだからこうだよな」と親に教わったものを再確認して突き進む。

そこで、親の教え自体に疑問を持つという発想にはならない。

親が偏見を植え付けることの怖さはここにある。子供は大人になると、さまざまな価値観に触れる機会がある。その中で、親の教えを正当化するために生きていくことになるのだ。

親を否定することなど、道徳に背く行為だと言わんばかりに。



だからなんか、お姉ちゃんがカウンセラーの人から聞いてきた話を聞いたときに、「そうかあ!」みたいな。「そうだったんだ」みたいな感じ。
なんかちょっと明るくなった感じっていうか、なんか自分のモヤモヤとかが。

わたし
霧が晴れた感じだったんだね。


そういう考え方してるとこうなんだって。そしたらなんか、すごく理屈も合うよな、とかさ。すっきりしたっていうか。

一瞬にして全てがすっきりしたわけではないけどね。

いろんなことを言われたけど、とくに「人の気持ちがわからない」っていうのはさ、言われても「あ、そうなんだ。はいわかりました」とはならない。

わたし
そうだね。そうかも。


人の気持ちわからないんだって言われたんだけど、言われたんだけど、そこはなんていうか、なかなかわからないっていうか。今もそうだけど。

ただ、わからないんだなっていうことは、何回も言われてるうちにとか、いろんな例を出されてるうちに…。どっちかっていうと、そういうことの方がショックっていうか。

わたし
「まだわかんないんだ」っていう自分にショックみたいな?


わかってたつもりだったから。人一倍、人の気持ちを考えたつもりだったわけよ。それまでずっとずっと、人の気持ちだけを考えて生きてたくらいの感じだから。

なのに「人の気持ちがわかんない」って言われて。そこのところがショックだった。

その、人の気持ちっていうのが、自分が好かれるようなことを考えて、人の気持ちを読んでるみたいなところが今までだったんだなって。
自分がどう見られるかっていうことを。自分がよく見られるようにとか、そういう感じで人の気持ちを慮って何かをやる、喋る。

でも人の気持ちをわかるってそういうことではないんだってことを言わて、「そうなのか」。理屈はね。

わたし
自分視点でしか考えてないってことだよね。


そうそうそう。そういうことなんだと思ったけどね、思ったけど、すぐそれはわかるものではない。なかった。

そう言われたから、「今まではそういうことだったのかあ」とか。
だからおばあちゃんも、人一倍人の気持ち考えてるつもりだと思うよ。自分視点でね。

わたし
そうだね。おばあちゃんはわかりやすくそういう感じかもね。自分視点でめっちゃ人のことを考えてて、めっちゃ人のこと考えてるって思ってる感じだよね。


自分もそうだったから、すごくわかるし、その感覚が。


――人の気持ちを考える。考えて考えて、気をつかって生きている。そのことと、「人の気持ちがわかる」というのはイコールではないらしい。

この勘違いに気づくのは、とてつもなく難しいことである。


- 今日はここまで -


背徳感が親を否定することを阻む。親の価値観に偏見があり、その教えには矛盾があっても。

でも母はようやく受け入れた。きっかけは、姉がうつになったことだった。

矛盾を感じつつも「間違いないはず」と信じてきたものによって、娘が苦しんでいる。そこでハッとなったのである。

今までやってきたことは間違っていたんだと。

そしてそのやり方も考え方も、親の影響が大きいのだと。


それを知ってしまった母は、親の罪も自分の罪も、娘の苦しみも過去の自分の苦しみも、ぜんぶを受け入れなければならない。それほどに苦しいことはないだろう。

<次回に続く>


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