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他人を攻撃せずにはいられない人生は辛い

8月になりましたね。

ただでさえ暑くて疲れやすいのに、暗いニュースが絶えなくて気分が落ち込みます。先日Twitterのニュースを見ていたらある卓球選手に送られている「誹謗中傷」が話題になっていました。こうした問題に発展しないまでも私たちの周り「他人を攻撃せずにはいられない人」は多いのではないでしょうか?もしくは自分自身かもしれません。

人は誰しも怒りを感じる生き物です。完璧な人間などいません。ただ、その「攻撃」があまりにもエスカレートすると、犯罪になってしまう可能性があり、そういう人は非常に生きにくい人生を歩んでいかねばならないと思うと辛い気持ちになります。攻撃したくて攻撃しているわけではない、自分を守るための手段が"攻撃"となって現れてしまった。のかもしれない。

今回はそんな「他人を攻撃せずにはいられない人」がどういう人なのか。また、攻撃する・される人はこの問題にどう向き合ったら良いかを取り上げたいと思います。※あくまで個人的な意見です

①自己肯定感が低い(自己否定感が強い)

自己肯定感が低い(自己否定感が強い)人は、過去に何らかの形で自己肯定感を奪われてしまった・あるいは育てられなかった人たちだと私は考えている。例えば両親に常に"いい子"にしないと怒られたり、失敗を笑われたり、傷ついたときに無視された人が多いのではないだろうか。

自己肯定感が養われなかった人達は、自分に自信がないので人との比較(マウンティングなど)で自尊心を保つようになる。「他人と比べて私は優れている」「他人よりステイタスをたくさん持っている」と考えるようになり、自ずと上下関係を作り上げていく。私はこれを「タテの関係(またはタテ社会とも言える)」と心の中で呼んでいる。

もしこの「タテの関係」に疲弊しているのであれば、ぜひそこから抜け出して「ヨコの関係」に行く方に意識を向けてほしい。まずは「タテの関係」を意識して抜け出す・離れることである。

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自己肯定感がある人は他人の評価に関係なく「自分はこの世界に生きてて良い」という自信を持っている人である。そのため他人から攻撃を受けてもそれが意味のある批判なのか、単なる中傷なのかが判断できる。そして反省すべき部分は完成し、改善しようと思えのである。心理学でいう"レジリエンス"の力である。

レジリエンスとは?
レジリエンスとは,困難で脅威を与える状況にもかかわらず,うまく適応する過程や能力,および適応の結果のことで,精神的回復力とも訳される。(コトバンクより)

②自分の中にある"怒り"を相手に投影している

■本当に他人のせいなのか?
誰かに対して怒りを感じるとき、実は自分でもわからない本心や実態が隠されていることがあります。その怒りは相手が原因なのではなく、相手の行動に自分のトラウマや嫌な感情が反応している可能性があるかもしれません。

■怒りの根底には何がある?〜体験談〜
私も相手の行動にすごく怒りを感じたことがありました。誹謗中傷はしないまでも、その怒りを消化できずにずっとイライラしていました。でも、その怒りを深掘りしてみると、怒りの根底には不安や恐怖がありました。相手の行動に自分が不安を感じた過去の記憶が蘇っていたことに気がつきました。相手に怒りを感じることで自分を守っていたんですね。

③自分の中にある"否定の声"に囚われている

■私はどうせ何もできないと思ってしまう
あなたの中に"〜しないやつはダメだ!"、"〜できるわけない!"と言う心の声はありませんか?こうした考えはほどほどなら問題ないが、度が超えると自分自身の首を絞めることになると私は考えます。

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よく仕事を辞めるときに「お前は他でやっていけるわけがない!」「お前はどうせ何もできない!」などと言われて傷ついた経験はありませんか?

アスリートに誹謗中傷を送ってしまうのも、もしかしたら言う側の心の中で「できるわけがない」と言う自分自身を否定する声が存在するのかもしれません。でもそれを自分の問題だと気が付かずに相手に"投影"しているかもしれません(勝手な予想ですが)。だから他人が出来ていると、自分の抑圧した感情が怒りとなって沸き上がってくるのではないでしょうか。

投影とは?
心理学で、考え方や行動に心の内面が表現されること。自分の性質を他人の性質にしてしまうこと。投射。(コトバンクより)

■心の中の"否定の声"は自分が作ったもの
否定の声
を心に取り込んでしまったのはいつなのか。①に戻ってしまうが、そう言う価値観を幼少期から家庭で刷り込まれたのではないかと個人的には思っている。

もしくは学校でのいじめや会社のパワハラが原因になることも大いにありうる。でも家庭が心の安全基地になっていれば、学校のいじめも会社のパワハラもある程度乗り越えられるし、メンタルが安定している人にはそもそも他人をいじめる(あるいはパワハラする)人間は攻撃してこれないだろう。

幼少期から大人になるまでに癒せなかった心の傷が"否定の声"として自分の心の中に留まり続けていたとしたら、その"否定の声"にずっと過去を思い出してしまうことでしょう。それに怯えて自分を守るために相手を攻撃する。そして自己肯定感が育たずに他人との距離感(つまり境界線)がないために、常に他人の評価や視線に敏感になる。自分が攻撃の対象にならないように先に他人を貶めることで自分は相手より優れていると安心感・優越感を感じる。

それを永遠に繰り返すのである。本人がその環境を変えたいと心の底から願わない限り。

この問題から抜け出すためのヒント

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①他人に攻撃される側
まずは心の安全基地を育てて「自己肯定感」を育ててほしい。個人的にはカウンセリングを受けるがおすすめだ。「なぜ他人の攻撃にこんなに振り回されるのか?」「なぜ攻撃を避けられないのか?」これをテーマに自分の心の中の感情を深掘りし、傷ついた感情があれば早めに癒してほしい。

②他人を攻撃してしまう側
正直①より②の方が難しい。そもそも自分が他人を攻撃しているなんて自覚している人は少ないだろう。今までずっと自己否定していた人間が、自分の間違いを認めると言うのはあまりに辛すぎる。

だから痛い目にあったときに自分で気がつくしかない。

こうした決意ができるは、窮地に追い込まれたひとであり絶望のどん底にいるような人間である。少し前にオリンピックの関係者が障害者をいじめたことが世間を賑わせた。また少し前で言えばある納豆関係の飲食店社長もそうかもしれない。そう言う人は、自分を変えるチャンスなのではないだろうか。ここで現実と向き合わずに誰かのせいにしたり、嘘をつき続けてしまうとまた同じことの繰り返しとなってしまう気がします。

もし誰かに攻撃したいほどの怒りを感じた時、「なぜ私はこんなに怒っているんだろう?」「私がどう変われば、この怒りを感じ続けずに済むだろう」という視点を持ってみると、もしかしたらそれは怒りではなく悲しみだったのかもしれないし、怒るべき対象は違う人物だったりするかもしれない。

私の個人的な意見
私は"他人を攻撃する人"に対して「人格」は否定しない。でも行動や言動に対しては批判的な意見を言うことはある。でもそれは相手への攻撃や名誉を傷付けることが目的ではないし、相手を見下して優越感に浸りたいわけではない。あくまでメンタルに関する悩みを持つ人に向けて自分の意見を発信したいと思っています。

さらに突き詰めて言えば、他人を攻撃するような人にも人生を変えるための新しい考え方を見つけてほしいと思っています(無理かもしれないけど)。

他人を攻撃せずにはいられない人生は辛い。
でもそうすることで自分を守ってきた。
自分の本当の感情を否定せずに、労ってあげてほしい。

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