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アクアマンを精神分析する

 アクアマンという映画をご存じですか?
DCコミックスが原作の2018年のアメリカ映画です。
映画としては単純なスーパーヒーロ-映画なのですが、あらすじをおっていくと精神分析的な考えでも理解できるように思います。

映画のあらすじ

 地上の灯台守であるトム・カリーと海底国アトランティスから逃亡した女王アトランナとの間にアーサー・カリー=アクアマンが主人公の映画です。数年後母であるアトランナは海底国に連れ戻されますが、アクアマンは成長し地上人と海底人のハーフとしてたくましく成長していきます。海賊と闘ったりしながら成長していきますが、あるとき地上が大津波に襲われ、そのとき海底人の娘であるメラに救われます。
そのときメラから、大津波はアクアマンの異父兄であるオーム(海底人でありすでに亡くなっている先代のアトランティス王とアトランナの間の子ども)からの海底を荒らしている地上人への警告であり、それをとめるにはアクアマンが王座につかなければならないと伝えられます。
アトランティスに戻りオームと対決しますが、アクアマンは敗れます。その後メラとともに地球の核に近い隠された海にたどり着き、処刑されたと思われていた母であるアトランナと出会います。アトランナの導きもあり初代海底国の王アトランがもっていた伝説の武器とそれを守っていた怪物を従え、オームの軍と対決し、打ち勝ち海底国の王となります。

アクアマンを精神分析的に理解する

ジークムント・フロイト

 ジークムント・フロイトはオーストリアの心理学者、精神科医であり精神分析学の創始者です。彼によってそれまでは心理的な悩みや症状というものは、魂の救済として宗教的な文脈で対処されていましたが、科学的な方法で対処されるようになる道筋をつけたと思います。
フロイトは人間の生活、行動の中で意識していない領域(無意識)からの影響を指摘しました。具体的な治療論については細かく述べませんが、彼が治療の中で重要視した概念としてエディプス・コンプレックスがあります。

エディプス・コンプレックス

 エディプスコンプレックスとは簡単に言いますと、母親を自分のものにしようと思い、また父親に対して強い対抗心を抱くという幼児期においておこる心理的な葛藤と抑圧のことを言います。精神分析的には、通常はエディプス・コンプレックスは克服され、成長の中で母親、父親に対して向けていた気持ちなどを自分自身の周囲の人との関係に向けていくことができ対人関係を築いていくことができるようになります。しかし、この克服がうまくいかなくなれば様々な心理的な問題がうまれてくると考えられています。

エディプス・コンプレックスとアクアマン

アクアマンの対人関係図

 アクアマンに戻って考えてみますと映画の前半ではアクアマンは母が去った悲しみと海底人でも地上人でもない立場の中で、生きる方向性を見失っているように見えます。刹那的に海賊と闘ったりしていますが充実しているようには見えません。その中で母のようなイメージもあるメラと出会い、海底国へと旅立ち、闘いに身を投じます。その中でオーム(オームもメラに好意をもっているように描かれています)と闘い、最終的には実の母からも助力を受けオームを打ち負かし、母の愛を受けながら自身と対等の女性であるメラとも関係を発展させ、王となります。

 エディプス・コンプレックスでいう父親は、通常では地上人の父を指すのでしょうが、映画の中では去ったアトランタを待ち続けるしかない無力な存在でありますし、海底人の先代王はすでに死去しているため、映画の中ではアクアマンが打ち負かすべき父のイメージを持っているの異父兄であるオームということになります。

 父的な存在であるオームを打ち負かし、母的な存在であるメラとも関係を発展させ、実の母の支持も得たアクアマンは映画の中では完全な成功を遂げ期待された王となり地上人と海底人との架け橋にもなります。エディプス・コンプレックスを克服というよりはそのまま願望が満たされたような物語ではありますが、映画としてカタルシスを得るにはこの方がいいのかもしれません。

 ただ異父兄であるオームは、メラも手に入れることはできず、王座も失い、実の母からも支持されず拘留されます。オームとしてみればいきなり現れたアクアマンにすべて奪われる形でありかわいそうに思いますが主人公以外の人生はシビアに描く方が主人公の幸せがより引き立つということなのでしょうか。

もう一つの見方としてのユング

カール・グスタフ・ユング

 先ほどまでは精神分析の創始者であるフロイトの見方であらすじをおってみました。しかし娯楽作品である映画では、いろんなイメージ、シンボルが用いられていると思います。アクアマンの映画でも後半にカラゼンという怪物が登場し最後の闘いでも活躍します。
フロイトと同時代の人であるユングも、フロイトと並んで精神療法の歴史の中では重要な人物です。当初はフロイトに師事していましたが、フロイトのエディプス・コンプレックスなどの性欲を中心とした概念を基盤として人間の発達を理解しようとする方向性と距離をとるようになり、独自の立場を発展させていきます。現在では分析心理学として知られる領域の創始者になっていきます。
 人間の心の成長のためにフロイトと同様に無意識を重視しますが、内面を知る際に、個人を超え人類に共通している集合的無意識(イメージやシンボルの集まったようなもの)を視野にいれていきます。心の中をまるで旅をするかのように様々なイメージと出会い自身の中に統合していくことが人の成長にとって重要になると考えます。

アクアマンをユング的に整理してみると

 人間の内面をいろいろなシンボル、イメージと出会っていくことが成長にとって重要であるとするならば、アクアマンはどのようなイメージと出会っていくのでしょうか。

影との闘い


 アーシュラ・K・ル=グウィンというアメリカのSF作家、ファンタジー作家がいますが、この人の代表作として、ジブリでも映画化されたゲド戦記という作品があります。主人公はゲドという魔法使いですが、この主人公が一巻目において自らの影と闘い勝利します。この影が自らの暗黒面であることを知り、それを受け入れ一体となるという形で描かれています。
 この影という概念は、ユングが提唱した概念で、個人の意識によって生きられなかった半面や受け入れがたかった心的な内容を意味しますが、それを知り出会い受け入れること(逃げだしたり攻撃したりするのではなく)が成長につながると考えます。ル=グウィンは意識的にユング心理学の要素を自らの作品の中に取り入れています。創作の中で心理学的な知見を取り入れることは小説がそうであるように映画でもなされていることだと思います。

 アクアマンは当初から三叉矛として知られている武器を持っていますが、オームとの闘いの中ではその武器では不十分であり敗れてしまいます。 
アクアマンはそのため、初代の王が持っていたといわれている伝説の武器を求めて、地球の核に近い隠された海へと旅します。ここの描き方も自らの内面深く潜っていくというイメージであり、ユング的なイメージにもあう(治療過程を心の旅とか地図とかで表現します)と思います。
 内面深く潜っていたところに待っていたのは、幼小期に生き別れた実の母であるアトランタであり、アトランタの支援のもと恐るべき怪獣と闘い伝説の武器を手に入れます。

 この恐るべき怪獣カラゼンはおそらく女性、メス?として描かれています。
ゲド戦記では影というユング心理学の概念を紹介しましたが、もう一つ有名な概念として、グレートマザー(太母)として知られるものがあります。グレートマザーはすべてを慈しみ、包み込んでくれる母というイメージと同時にすべてを飲み込み死に至らしめる母というイメージの両方を持ち合わせた概念です。アクアマンでは、カラゼンとアトランタが合わさりグレートマザーとして心の奥底(地球の核に近い隠された海)でアクアマンを待ち受けていて、それぞれと出会い協力を得ることができたことにより伝説の武器(三叉矛)を手に入れています。
ユング心理学的には自らの知らない側面(否定してきた影や希求していると同時に恐れている母など)を自らの中に統合していくこそが成長であり回復であると考えます。
アクアマンも自らの心の奥底を旅し、母と出会い統合し、最終的にはオームと闘います。オームはユング的に考えてみるとアクアマンが生きる事が出来なかった側面、海底人の王子としていき王となる側面を代表しており影を象徴していると思われます。最後の対決ではオームを倒しますが命をとることまではせず心情的には和解し(おそらく続編では仲間になるのでしょうか)、アクアマンが王になります。
このように見てみますと、アクアマンは地上人と海底人の狭間に悩んでいる人物が、心の内面を旅することにより、グレートマザーと出会い統合し(その力を手に入れ)、影であるオームとも対決の上統合しいていく成長物語としても読む事が出来ると思います。

最後に

 アメリカ映画は、精神科医である斉藤環氏が「心理学化する社会―癒したいのは「トラウマ」か「脳」か」で指摘したように、主人公は必ず心的なトラウマを抱えて登場しそれを克服する形で物語が進んでいきます。
映画を見る私たちも主人公の行動する理由を心理的なものに求めてしまうようになっているのかもしれません。
巨大産業としてのアメリカ映画界は、意識的にいろいろな心理学的な知見をとりいれて物語を作り出しているのかもしれません。


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