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「こころ、揺れる」 - 「全力を出し切ったので、悔いはないです」の凄み

あなたは、全力を出し切れた経験がありますか?

あなたは、負けたのに、悔いがない、という感情をもった経験がありますか?


トップレベルのスポーツ選手のインタビューを見ていて、凄さを感じたこと。

彼らは、自分の全身と精神を全部使って、より早く、高く、遠く、強く、きれいに、止まって、正確に、等といった評価基準に従って、ライバルと、そして自分自身と競争をし続ける。

ピアニストが、自分の指のわずかなタッチに繊細なように、そして、文章を書くことを生業にする人が、ふと感じたことを表現するために最適な言葉を紡ぐように、アスリートは自分の経験と感覚を頼りに、心身の感覚を研ぎ澄ませる。

そんな彼らが、「持てる力を出し切ったので、悔いはないです。」という言葉を口にする時、それは負けた直後のインタビューが多かったりするが、プロとしての凄みを感じる。

・己の能力の限界をまず知るには、基礎的なトレーニングを積み重ねることが必要。

・その上で、どの地点に現在の自分の限界があるのかを正確に認識することが必要。

・競技当日というタイミングに、自分の体調やメンタルのトップ状態を合わせるという調整に成功する必要がある。

・その上で、自分が想像しうる最上の演技を行う必要がある。


これらの極めて困難な条件を、クリアーした上で、それでも、自分が到達しうる最高のゾーン(もしくはそれ以上のところ)に足を踏み入れることが出来たのに、それでも勝利という結果を得ることが出来なかった。

こういう時に、初めて、「持てる力を出し切ったので、悔いはないです。」という言葉を口にすることが出来るのだと思う。


ふと自分に立ち返ってみる。

自分の人生の中で、それだけ持てる力を出し切ろうとした経験がどれだけあるだろうか。

そんな調整や挑戦を、どれだけ試みただろうか。

それでも結果が伴わなかった悔しさの中で、負けを素直に認められるだけの、そしてライバルを敬うだけの精神の強さを得ようと努力してきただろうか。

更に、誰よりも悔しい状況で、次の試合に向けてまた努力を更に重ねていきたい、という前向きな考えを持ち続けることが出来るだろうか。


競争や勝ちに拘らない方が良い、という考え方は、聞こえは良いが、突き詰めると、自分自身の全てのかける努力をする機会・目標をセットしないことにつながる可能性もある。他人はともかく、自分自身への挑戦すらもしなくなるのではないか。

やはり、何かに向けて、挑戦をする、そして周りと、さらには自分と向き合い、競い合うことで、到達し得ない領域も視界に入り、さらなる高みを目指すことにつながるのではないか。

自分自身も挑戦をし続けよう。そして、挑戦する人を自分も一緒になってサポートしよう。

自分のこころを震わせ、自分のこころを奮い立たせよう。

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