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「こころ、揺れる」 - 大雑把な自分は、’繊細さん’向けの本を手に取れない

面白いな、と思った。

先日大きな書店でパトロールをしていた際に、繊細な人、繊細さん、敏感な人向けの本を集めたコーナーを見つけた。

数冊では無い、おそらく20冊位はあって、結構売れている様子だった。

これまでの人生で、「繊細な人に対して、もっと自信を持って!時には、鈍感になって良いんだよ。」だったり、「繊細な人間性だから余計に気付いてしまって疲れやすいでしょ、かわいそうだね。無理しないでね」という本やメッセージは良く聞いてきたが、「鈍感な人に対して、もっと繊細になって」という本や話は聞いたことがないな、と思ったからだ。

ちょっと待ってよ、と。

自分自身も含めて、世の中の全ての人は鈍感で大雑把じゃないのって。鈍感過ぎるし、大雑把過ぎるじゃないのって。

少なくとも、自分が適当な人間だというのは良く分かっているので、「私、繊細だわー」って言いながらこんな本を買って帰るまでの鈍感さは、私には無いわって。

聞こえが良い本や、注意・共感を引くタイトルの本が売れ、またこういう類の本を手に取る人は、癒しだったり慰めを求めていることは良く分かってる。そして、そんな人を言葉で支えるライターさんは、それはそれで尊敬する。

ただ、私個人としては面白いな、と感じたのだ。

自分が繊細であること(私としては、繊細な領域について時には過度に神経を尖らせてしまうこと)を自覚することが出来るなら、自分がいかに鈍感であるのかを自覚できないとおかしい、その逆で、自分が鈍感だな(少なくとも、余り敏感で無い領域がある)と自覚している人間の方が、むしろ感覚としては繊細なのではないか、と感じたのだ。

別に、屁理屈だったり禅問答をするつもりもないけど、私個人としては、自分が、人生を取りまく大半の領域に対して興味がなく、自分の性格が大雑把であることをこれでもか、と自覚している。一方で、自分が全ての感覚を注ぐほどうるさい領域があることも分かっており、その領域は家族以外には認識すらして欲しく無い。

だからこそ、自分が気にも留めないことを、他人が嫌だな、という風に感じてしまうかもしれない、そういう領域は尊重してあげたいな、と思うのだ。

純粋な繊細さんや100%鈍感さんがいるのではなく(というか全ての人がその両方)、要は、領域ごとに、それぞれの人が繊細に感じる部分が異なるだけなのだ。

他人が繊細に感じているかもしれない、ということを意識して尊重できない人間にはなりたくないな。

もちろん’鈍感さん’向けの本が、ベストセラーになんてなるはずもない。

でも、鈍感な人向けの注意本こそが、本当は我々にとっては重要なのでは無いか。

・人が乗りこもうとしているのを見ながら、必死に内側でエレベーターの閉ボタンを押す人

・後ろの人が続いているのを気付いていながら(そもそも気付いていないのであれば、まずは周りを見てください)、ドアを支えることすらしない人

・人の気配りに対して、感謝の気持ちを持てない・伝えられない人


子どもの頃に当たり前のように出来ていたことを、どうして人は出来なくなるのかな。いつもお世話になっている周りの方に、改めて感謝の気持ちを伝えよう。

そんなことを思いながら、繊細さんのコーナーの本を指一本触ることなく通過したのでした。


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