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マッサージを「仕事」にしなければよかった。と思った日

私の悩みが爆発した

私。。困っている人を助けているだけなのに
お金をいただくのはなんか違う!

ずーっともやもやしていたものが頭の中ではっきりして
もう、マッサージはボランティアにしようか
でも生活費はどうする。。。現金がなければ家賃や光熱費が払えない。
生活のために仕事をして、休みの日にマッサージするか。 
…そんな時間は今さら作れない。

ん-
ボランティアだけで生きている人はいるのか?どうやって生活しているのか?調べよう、と考えていた。

ちょうどその日、患者さんとそんな話になって

私、困っている方からお金をもらうのが抵抗があって…
という話をしました(みっともない)

この仕事は、私にとって、とてもやりがいのある仕事です。それはわかっているし、何年も何十年も悩んでいた痛みや痺れ、その他の不調が、1回の施術でラクになったと、とっても喜んでもらえることもあるのです。それだけで十分、と思っている。と
 私なんか、お金をいただく価値はない、というのとは違います。

すると、「それで法外なお金をもらうならともかく、施術してもらった側は感謝の気持ち、お礼として対価を支払うのは当たり前のことです」と言ってもらえました。

そもそも人を騙して受け取るお金ではないし
私のしていることは「ただの人助け」で、
迷っている人に声をかけたりするのと同じ
=誰もがすること、誰にでもできること
と思っていたけれど

助けるための専門知識や技術を身につけてきたのだから「特別な人助け」
で、価値が違うんだ。と教えてもらえました。


治してやってる、と思ったら終わり。決して傲慢な治療家になってはいけない。治させていただいていると思いなさい。そう教わってきたので、これくらいの金額をもらって当然、とは思えません。

ただ、「感謝の気持ち」としてありがたく受け取ろう。と思いました。

世の中の仕事、サービスのほとんどは
自分でできないことを代理で叶えることによって成り立っている。
自分で作れないものを作って売ってくれる
自分でできないことをしてもらう
一人ではわからないことを教えてもらう

そういうものだと、わかってはいる。

でも対象が、身体が悪くて困っている人となると…いや、
「困っている人」を下に見ているということになっているのかも。と思ったら、それも失礼な話だなと気付きました。
それに。医療だって全国民に平等なわけではない。

自分がサービスを買う時には当然と思ってお金を支払うのに、サービスを提供して対価をいただくことに抵抗がある、というのもおかしな話。
こじらせていただけだと反省しました。


ふと。身近なところに。。そう、noteでは、いただいたお金は〇〇に使います。の文化があるではないか。
知識を増やし、技術を磨くために使います。
そしてもっと多くの、心やからだの不調でツラい思いをしている方を、ラクにして差し上げられるようにがんばります。
でいいのだ。
そう思いました。

*救うとか助けるとかも、なんか上からっぽくて抵抗ありますが。どうでもいいことに固執しているだけのような気もします。
させてもらっている、そう思っています。

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