フランクリンが麻酔をかけて指を切除したら? 【制約と誓約には“裏”がある】
ダブルマシンガン(俺の両手は機関銃)の念は
強くなるでしょうか? 弱くなるでしょうか?
【弱くなる】と私は思います
ではその理由は
「麻酔じゃ痛みを伴わない!だから誓約(リスク)として弱い!」
と最初は考えました。それもあるでしょう、しかし、
一時の痛みと引き換えにしてはダブルマシンガンは強すぎないか?
一時の痛みで今後の人生ずっとブーストかかるのは違和感があります
そもそも
念能力者が指を失くしたからって何だというのか?
彼らはちょっとしたオーラ操作によって、数字を象ったり、イボクリ自慢できたり
系統的に苦手で未熟なゴンでも、空気砲みたいな念を飛ばせるわけです
指が無いならフォークかスプーンでも象ってパスタでもスープでも食えばいいし、メモリを食うとも思えない
そもそもフランクリンは普段から指を鎖で繋げて補助しているのだから、日常生活における制約なんて無に等しいでしょう
そして戦闘面においても、指が無いのは大した制約とは思えません
フランクリンは放出系で元から遠距離上等、体術とかは本分ではない
現実の戦争においても射程の有利こそ安全かつ最強なのは言うまでもないし
小手先のナイフ捌きが戦局を左右したなんて話は聞きません
デメリット(指を落とす)に対してメリット(高威力・長射程・多連射)が明らかに大きすぎます
ではなぜダブルマシンガンの威力は向上したのか?
どこに重い制約(ルール)と誓約(リスク)がかかってるのか?それは
「なんとなくで指を切り落とすその狂った考え方と生き方」そのものだと
蜘蛛としてのイカれたライフスタイルそのものが、制約と誓約の条件を
“潜在的に”満たして念の威力を向上させているのです
そんな生き方は常人には無理だから、常人以上の念が与えられるわけです
もしフランクリンが病院で麻酔をかけて安全無痛に指を切除したら
理屈としての条件は同じですが、この“裏”の条件を満たせないのです
そう、制約と誓約には2種類あるんです
顕在的なものと、潜在的なものが、そしてその境界線は曖昧です
それがネテロの過去エピソードによってハッキリしましたよね
ネテロの百式観音には顕在的な制約(ルール)も誓約(リスク)もありません
ただその過酷な修行人生そのものがストイックでリスクだらけだ、というのは一目瞭然です、これが潜在的な制約と誓約です
そして最後の一撃(ゼロ)も、あれは
ネテロの人生最後の意地や力や想いのすべてを吐き出しただけ
直感です、制約がどうとか理屈で編み出したモノじゃない
それを後から見れば誓約(リスク)になってたな、と分析する念の研究者がいるってだけです
頭でっかちな念学者はそうやって研究対象にラベリングして整理するんです
弟子や世間(読者)に説明するために、冨樫先生が配慮しただけ
念のシステムではなくまずハンターの生き様が先にある
もし念設定ありきの作品ならば1巻から念の概念が出てくるはずですし、タイトルも念にまつわるモノにしたと思う
しかし念が登場するのは5巻以降ですし、作品名は「HUNTER×HUNTER」です
あくまでハンターの物語(ドラマ)だっていう意思表示でしょう
……と思った方も勿論いらっしゃるでしょう
何なら1番有名なHUNTER×HUNTER考察者の方が「念能力とは生き様と妄執である」と語ってるし何を今更って話なのですが
「制約と誓約」という言葉(ラベル)に振り回されてる考察が散見されたので記事にさせていただきました
百式観音についても同じような勘違いが多いので記事にする予定です
他所様の念能力の考察や発見についてはどれも楽しく拝見させてもらっています
ああいった細かく鋭く読み取る力は自分には無いので、いつも感心させてもらっています
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