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なぜ「幻影」旅団と名付けたのか 【HUNTER×HUNTER 考察】


結論から言うと、クロロ達が

「悪党を演じてる」ことを忘れないようにするため

「俺たちは幻影(ニセモノ)の悪党だ、本物ではない」と

ちゃんと罪悪感に苦しんで、悪事の快感に溺れないため

溺れた瞬間に、サラサを裏切ったことになるから

です


悪党を演じきるためには、罪悪感を捨て去る必要があります

クロロ達が悪趣味なグロサイトを作って悪党を釣っているとき
そこに集まる動画像にはサラサに似た子供達の悲惨な姿がいくつも写ってたでしょう
それらを扱うたびにサラサの事を思い出して
吐き気を催したり怒り狂ってたら仕事になりません
人殺しだって初めた時はクロロ達には多大なストレスだったでしょう

そうすると人間は、発狂しないように
いわゆる“悪堕ち”することで精神のバランスを保とうとします
善の人格を隅に追いやって、悪の人格を引っ張りだす
シチュエーションとキャラクターを一致させようとする

そうやって脳内の矛盾や葛藤のストレスを解消しようとするのです

もともと自分が無くて、演技力と分析力の高いクロロが、これを行った場合

精神分裂に近いレベルで“悪堕ち”することが可能でしょう

その結果が「冷徹なる団長 クロロ=ルシルフル」の人格なわけです

しかし、そうなると困ったことが起きます

「どこの引き出しに自分(少年クロロ)をしまいこんだか忘れてしまう」のです

これはつまり、どういうことか

悪事の快感に100%溺れたことになるのです


身も心もマフィアと同じ、サラサへの魂からの裏切りです

クロロ達はそうなるわけには絶対にいかなかった

だから看板に「オレ達は幻影(ニセモノ)です」とハッキリ書いた

これによって悪堕ちを防いでいた、つまり
善人(少年クロロ)のまま殺人を犯していたのです
罪悪感に苦しみながら罪を繰り返す、という地獄を選んでいたのです

そのまま堕ちて悪を楽しんだほうが絶対に楽なのに

よくよく考えたらクロロが完全な二重人格なわけ無いのです
入れ替わる時に記憶を失ってないのだから
(幽遊白書の仙水はそこをしっかり描いていたから意図的な差異)
ちゃんと少年クロロの人格を残しつつ団長を演じているということ

だとしたらまさに生き地獄でしょう、でも
サラサが味わった痛みと苦しみに比べたらなんて事ないし
その罪悪感によって魂が汚れないでいられると考えている

幻影(ニセモノ)の悪党を名乗ることで
悪党(ホンモノ)との間に一線を引くことができる

人殺しの罪悪感にちゃんと苦しむことで
少年クロロの魂は汚れても拭き取ることができる

団員(みんな)と一緒に苦しめば、もっとキレイに拭き取れるはずだ

(HUNTER×HUNTER 396話「結成②」)

どんなに旅団の看板が血に塗れても、サラサを想う心だけは汚れないぜ
上等だ、何回でも罪を犯せばいいぜ
そのたびに私達は罪悪感に苦しんでみせる
犯した事は仕方がないさ、悲しいのは悪党でいいと開き直ってしまうこと
自分1人で罪悪感に耐えられないなら、皆で苦しみを分かち合えばいい

旅団で力を合わせればどんな汚れでもキレイに出来る


例えそれが目に見えない魂の汚れだとしても

みんなの魂が完全に汚れきる前に

サラサに頭を下げにいかないといけないのだから


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