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自分の生き方・あり方に責任をもつ

Branding Photographer & Videographer の Kokoro です。


人は常に、言い訳をするための理由を考え
それを、自分の本心だと思い込もうとする生き物である


自分自身の生き方や、あり方に責任をもたず
誰かの性にしたり、何かの性にし続けているかぎり
自分の人生は進まないし、成長はあり得ません。



これまで肚についての話を note で書いてきました。 

自分自身の中に、ブレない自分軸を確立し
地に足をついて、肚を据えて
この不安定で、激動の時代を生きていく。 

それが、すでに始まっている新時代を生きていくために必要なことだと思います。


不安定で、変化の激しい中で生きていると
絶えず、自分自身のアイデンティティを揺さぶられる出来事が起こります。 

心も不安定になり、心が不安定になると
カラダが緊張して固まってしまい、身動きが取れなくなる。

そのような状態になってしまうと
心もカラダも、自分の内側に向かって閉じてしまいます。 

 

自分自身が行動しない理由を考え、
それが正しい選択であるという “思い込み” をつくり出し、その思い込みで自分自身に染めてしまう。

それはある意味、自分自身を守るという “自己防衛反応” ではあるのですが、そのような状態に居続けると

どんどん自分自身が不自由な状態に陥ってしまうのです。 

 


世の中の空気感や雰囲気に影響を受けずに
自分の考え、想いを貫いて生きていくことは
決して簡単なことではありません。

世の中に、世間に、周りに迎合し
自分自身の行動や言動に責任をもたずに生きることは、非常に楽な生き方のです。 

だから、つい周りに合わせた生き方、流された生き方を選択してしまうのです。 

 

その結果、どうなるのかというと

どんどん “自分” という存在を見失っていくのです。 

 

自分の本音を発することなく
自分の中から湧き上がった “想い” を
自分の中で腐らせてしまう。 

そういった残存感情が、自分自身の魂を曇らせてしまうのです。



胸をさらけ出す

肚を割って話をする

それはつまるところ、本音で生きるということです。 

 


自分自身に嘘をつかない。

自分の発する言葉と、自分自身の内側から湧き上がった想いを一致させること。

自分自身の行動や言動に責任をもつこと。

こういった生き方や、あり方をしていくことで
自然と、自分軸が確立され、肚が据わるようになります。 

 

すると、自分の言動や立ち振る舞い、行動にエネルギーが宿るようになります。

言葉でいえば、自分自身の発する言葉に
自分の想いや、これまでの人生経験という背景情報が乗り、情報量が圧縮された言葉になるので

自分の発する言葉が言霊へと昇華するのです。



表面的な、上っ面だけの言葉ではなく
目の前の相手に響く言葉となり、深く入っていく言葉になるのです。 

行動や、立ち振る舞いに関しても
存在感や、影響力を与えるようになるのです。 

 

本音でぶつかる、ということは難しいです。

それは、あなた自身も、これまでの人生において
その難しさを十二分に痛感してきたと思います。 

私自身も、実際そうでしたし
自分自身を殺しながら、自分を封印しながら生きてきました。

だから、自分が生きている実感、リアリティを感じることができなかったのです。 

 

悶々とする中、ずっと自分を表現したいと
長年苦しみ、葛藤し続ける人生でした。

こうして文章を書くのは、自分自身を表現するという、一つの手段だからです。 

自分の人生というものを
自分の言葉で、その言葉の背景に込めて伝える。

そこに、自分自身が生きている実感、リアリティを感じられるからです。 

 

本音で話せない

どうせ話しても・・・

そうやって、多々諦めてきた背景があります。 

それでは、ずっと “逃げ” の人生であり、
自分自身の負けパターンを繰り返す生き方になってしまいます。 

 


ここ最近の出来事として
熱量高く、自分の想いを言葉にのせて伝えたい相手に伝えていく、という出来事がありました。

言葉の表現を変え、視点を変え、熱く伝えましたが、
自分自身の伝えたいことが伝わらないな、と感じたので、そこで自分自身が距離をとってしまったのです。 

「やっぱり、本音で話しても伝わらないんだ」

「いくら熱量高く話しても伝わらないんだ」

という虚しさと諦めの感情を感じました。



いつもなら、そこから諦め、逃げて
関係性をシャットダウンしてしまうのですが

今回は、距離をおいて
少し、自分自身をクールダウンする時間を設けたのです。

すぐに物事を判断するのではなく
少し待ってみる、という選択をしたということです。 

 

その結果、どうなったのかというと
きちんと相手に響いていて、時間差はあったけど
行動を起こして拓く、という素晴らしい反応があったのです。 

本音でぶつかるときに大事なことは
自分の自我、価値観の押しつけであってはならないということです。

相手の能力や可能性を信じるという前提があり、
それがあるからこそ、相手も自分が蓋をしているものを取っ払い、一歩踏み出すという行動ができるのです。 

 

何よりも、相手の能力や可能性を信じる。

その観測者効果が、相手の “良さ” や “魅力” を引き出す手段となるのです。 

私が写真や映像を撮る際に、重要視しているのは
まさに、この観測者効果であり、相手の中にある “闇” と “光” に焦点を合わせるということなのです。 



ようやく、本音でぶつかり合える仲間との出逢いがありました。

これまでずっと、自分自身の魂に火を灯すことなく、腐って生きてきました。

生きることに熱くなれない。

全てに冷めたものの見方をしてしまう。 

だから、切望していたのです。

熱く生きることができるように、と。



で、自分自身の魂に火を灯すことができたけど

一人で熱く生きていても、それは周りにただ “熱苦しい” 存在にしかなり得ません。 

同じように、熱く生きる仲間がいてこそ
お互いの熱量が、さらに増幅して
より熱量高く、エネルギーに満ち溢れた状態をつくり出すことができます。 

 

行動するにはエネルギーが必要です。 

人と本気で、本音でぶつかるにはエネルギーが必要です。 

莫大なエネルギーをもって、関わる人を感化し
目の前の人の魂に火を灯せたなら、
どんどん人を巻き込んで、面白い、クリエイティブな人生を創造していけると思うのです。 

 

何よりも、目の前の人の能力や可能性が開かれる瞬間に立ち会える喜び。

それの感動体験が、私自身にとって
人と交わることの喜びを感じる最大の理由となっています。



一人一人が、それぞれの魂を輝かせ

自分軸の確立と、肚を据った生き方を体現する。

そういう人が一人でも増えていくと
世の中はどんどん面白くなっていくと思います。 



そのために、自分の “生き方” や “あり方” に責任をもつ。

めちゃくちゃシンプルではありますが、
難しいことです。 

でも、そういった生き方やあり方ができる “場” があれば難しくないのです。 

そういったコミュニティを創造し、実際に日々本音でぶつかり合いながら、それぞれの人生のテーマをみんなで乗り越える日々を送っています。

どんどん循環が起こって、それぞれが成長していく姿をみることができる。

自分がどういった環境、コミュニティに所属し、どういった仲間と生きていくのか。


誰と、どこで、何をするのか

ということが、あなた自身の人生を創造していくのです。


ということで、今回の note は以上になります。

最後まで、読み進めていただきまして、ありがとうございました。

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