見出し画像

【 白菜がジューシー過ぎて…。生きている喜び~神の国と神の義~】



11月になったばかりの
最初の金曜日でした。

スケジュールを来なそうと
この月は気持ちも張っていた私ではありましたが、

何故か

第一金曜日から
身体の違和感を覚え始めていたのです。



喉が痛みだして
悪寒がする…。




熱はないけれど
じわじわと汗ばみ
夜中には
ぐったりしてしまうのです。


抗体検査は陰性…。

オフィスでの

コールセンターのお仕事は
勿論
声がでなければ仕事には
成り立たない。

また
その後の夜のバーの仕事も掛け持ち
ところどころ
シフトを組んで数時間程度
真夜中まで仕事をしていたのです。

夜も会話が出来ない様では
しらけてしまう…。


昼も夜もどちらにしても
お仕事は

言葉を交わして成り立っていく
コミュニケーションですから


咳がでていては
お仕事にはなりません。

そんな中、
イレギュラーなスケジュールが
途中で組み込む事があり
幾つか減らしても
それでもやることは

多くあったのです。

優先順位をみながら


19日は楽しみにしていた
イベントもあり

私は少しでも体力をつけて
早く咳もおさまるようにと
病院の
苦手な薬も服用し

ローフードとタイルアートの
自宅教室も準備を着々と進めて
色々を同時進行しておりました。

無事に14日には
教室は終えることができて
感謝でした。



また
出逢いが更にまた
出逢いを引き寄せ
拡がる事を知っています。

この時は
やり遂げて本当に良かったと
思っておりました。  


このお話も切り抜いて
分けて語らせて頂けたらと思っています。


過去にも実際何度か
やめようか、やりきろうかと
信じられない出来事がこのタイミングで?と思わされることが

実際に起こるのですが

そういうときこそ
祈ってどの道へ進めていくのかを
神様との対話の中で静まるという事の
大切さを
この齢になっても
日々新しく
幾度となく噛み締めています。



ところが
18日の金曜日の夜

とうとう高熱を出してしまいました。

もしやコロナの熱かもと

病院に向かい検査したところ
陽性と判定。


お仕事はその週は
お休みしておりました。
本当なら無理して
予定を組むところでしたが
なんとなくもう
限界にきていたので
やめました。

一度もなくしたことのない
お家の鍵を初めて 12日頃には
落としてしまったり…


色んな事がスケジュールが
自分だけではなく
他人の都合を

自分が全て合わせないといけないような
不利な
スケジュールへと組み込んでいく
そんな時間の使い方が
あまりにも多かったのです。

例えば
夜のバーは
⚪曜日⚪曜日を基本としていても

蓋を開けてみると
予約状況もあるために
結局はバラバラなのです。

すると昼間のコールセンターは
自由にシフトが組めるということでは
ありますが

私のエネルギーが高い時間帯というのが
必ずあって

最も集中できる時間帯
パフォーマンスが
高い時間帯に
どうしても仕事をしたいわけです。

しかし
何かひとつが変更や
時間帯が定まらないならば
全てが調整が必要となります。

それは家族の用事においてもそうですが
急に車をこの日は借りていくからとか
この日は出かけるから
送迎が必要とか

些細なことかも知れませんが
そんな突然なスケジュールは
1人や2人でない場合は
積み重なると当然ではありますが
心の負担にも
身体の負担にもなってきます。


娘には
必ず空白時間はところどころ
作っておきなさいと
十代の頃には既に伝えていましたが

娘は
キレイに隙間なく時間を有効に使うのが
好きなタイプであり
色んなグルーブの友達と
日替わりで遊ぶ性格の持ち主でしたから

それはそれは
とても充実しているけれど

詰め込みの予定に
お家の中は
当時は片付けられないままで

嵐の様に大きく玄関を閉めて
出掛けていく者でした。

(今はキレイにしております )



そんな助言をしておきながら
現在の私と言えば

ここまで
時間を管理できない者に
なってしまったのかと

徐々に歯車がずれてしまったような
時間の使い方に

多くの情報に
管理が出来ない自分に
腹ただしく思うのでした。


倒れても朦朧としても
LINEでの仕事へのお詫びも
返信も沢山あり
心配しているからと
とりとめなのない
LINEが送られてきます。


お心遣いは
感謝はしますが

朦朧としている私へのLINE

果たしてそれは優しさと
言えるのか?

どう相手に知ってもらえば良いのかと
思いました。


仕事のやり取りを
死にそうな状態で返信している自分がいて

何故
こんなに苦しんでいるのに
もう
このまま死ぬかも知れないのに

時にはいたらないために
注意や
お説教されたり
自己管理のなさに
謝罪したり

または

熱どうですか
元気ですかと
何故か
毎日毎日心配という建前で
暇潰しにくるLINEに

私の人生は終わってしまうのだろうか…


そう
思えたほどに
今回はとてもしんどくて
悲しかったです。


水も飲めず
食べられず



気がついたら体重は37キロ…


母が
癌で最後の最後に
呻き声をあげていたあの苦しみのように


私も苦しみながら死ぬかも知れない…。


どんなに人が

美しく飾ろうとも
最終的には

もがき苦しんで死ぬのだと
いつも思っていますから

惨めとか切ないとか
普通の人よりかは
あまり落胆するところはないかも
知れませんが


それはやはり
イエスキリストの十字架を知ったことが
心境の土台に
大きな意味をもっていると思っています。

それでも
臆病であり
のたうち回る様な
苦しみは
隠しきれません。


しかし
病の苦しみや
不自由さの中に

見いだしたもの

生きている事の喜びや
感謝が湧き出てきたことには

ただただ
感謝でした。

その一つとして

今回は


愛知県産の柔らかな白菜をまるごと
頂きましたが

この
旬の食材によって救われました。



お鍋にしたり

生でしゃきしゃき
囓ったりしたのですが

本当にジューシーで
甘くて


ゆっくりゆっくり
咀嚼する
音を聞きながら
食べました。

私は正直白菜は好きではないのです。

しかし今回の白菜はとても
柔らかくて甘くて
本当に美味しかったのです。

または

グリーンサラダを頬張ったり

ルイボスティーに檸檬を絞って
飲んでみたり…。


味覚が敏感になってしまい


ジュース
甘いものや市販の塩分高いスープ
グルタミン酸ナトリウム
香料のきつい食品


今回は
エネルギーの低い食べ物が
合わなくて


農家さんの柔らかな白菜が
唯一
身体にあっていたのか

一枚一枚はがして丁寧に洗って
それを口に含んだ時…

生きている…と

思わされたのです。


涙が嬉しくて溢れて来ました。


美味しい


美味しい…



そう

忘れていました。


ゆっくり咀嚼して食べること。

ゆっくりお料理すること。

お野菜のそのままの素材を
生でまるかじりすること…。


良い珈琲を
少しだけでいいから
ゆっくり珈琲を淹れて味わうこと。


いつか

倒れると思っていました。
過去の若かりし頃

同じ状況で無理をして
倒れてしまったことがありました。


年齢ではなく
その時の年齢にある
体力以上に頑張りすぎたなら

物理的にも
生物学的にも

倒れて当然です。


神様は私に

早朝

床の上の賛美を与えてくださいました。


時間の使い方も


あの頃のように戻りなさいと
ひとつのみことばを与えてくれました。





神の国と神の義をまず求めなさい





たとえ全世界を得ても
命を損じたら
何の得になりましょう。



しかし
主よ

現実は
そうは言ってられないでしょう。

あの頃の私とはもう違うわ…。



きっと私のように
現実的に考える人も多いかと思います。

ですが
不思議なものです。

神様の法則は本当に
不思議です。




あのジューシーな白菜を食べたあと

咳が薬では
おさまらなかったのに

薬を服用せず白菜で身体を温めた翌朝には
楽になっていたのです。


我慢していた思いや
偽っている心


食べない生活や
エネルギーの低い食べ物を手にして
移動中に
済ませてしまったり

自分を大切にしない
言動をしていたり…


そんな自分をもう続けるのを
やめてみては…

もう少し自分という存在を
大切にすることを
見直してみては…



そう神様が
私に教えてくれたようです。


柔らかな
ジューシーな
白菜を口にして


食べたくないもので
お腹を満たしてしまわないで


あの有名なお話のように
瓶の中に詰めていくのは
大きい石から…。





本当に生きているを喜びにできる
一口を
今の瞬間、瞬間を

感じていきたい…



今回は
とても辛い病にあって
そんな朦朧としてキッチンで料理した

たったひとつの白菜から

教えられていく事が沢山ありました。


病床にある
人々のことも覚えて
祈っています。


小さな喜びを沢山携え
希望としていきましょう。




今日は

主日礼拝です。



心より感謝
致します。


とりとめもない独り言…。





































この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?