56歳からの育ち直り①
わたしの名前は、九井(ここのい)リノという。
1965年生まれの、56歳だ。
昨日(2021年11月7日)、
「わたしは今、心療内科に通って、育ち直しているのだ」
と、気づいた。
名詞で言うと、「育ち直り」だ(たぶん)。
子どもが4歳の時に、離婚した。わたしは30そこそこだった。
それから、親子2人の生活が、ずっと続いた。結婚はこりごりだったから、再婚はしなかった。
再婚はしなかったけど、付き合いはあった。約10年で4人と付き合い、うち3人とケンカ別れ、1人と円満別れした。
円満別れというのは、お互いの事情を分かり合った別れで、その後も仲は良いというやつなので、さておき、ケンカ別れは3回もすると、もう恋なんてしない! という心情になる。
というか、だいぶ凹んだ。かなり凹んだ。「なんで自分ばっかりこんな目に!」と、今どきドラマでも言わないことを独りで本当に言った。
もともと持っていた精神的な不調もあり、方や仕事のストレスも大きく、どん底になった。
どれくらいどん底かというと、職場で動けなくなった。文字通り。緊張が極限に達し、体のこわばりが行くところまで行ってしまったのだ。
職場で固まって微動だにしない九井さんを見た同僚が、上司に連絡。職場内のベッドにとりあえず横にされた。
1、2時間して動くようになったので、そのままかかりつけの精神科へ行き、帰宅した。上司からは「診断書をもらうように」と携帯メールがあった。
「統合失調症」と書かれた診断書を届け、後日呼び出されると、「働いてもらうわけにいかない」と言われた。クビである。人様の世話をする仕事だから、大げさでなく、会社としては誰かの命にかかわることなのだ。
実際、働ける状態ではなかった。
文字通り、職場で倒れてしまった自分を省み、もうダメ、休もう、と思った。上司の言葉に、素直に従った。
ちなみに、子どもは既に結婚して家を出ていたから、一人暮らしだった。誰に気兼ねすることもなかった。
退職し、休んだ。
貯金を200万円くらい取り崩せば、1年しのげるだろう、と、皮算用した。
もう、貯金どころではなかった。体が動かず、物理的に、働けなかった。
結果として、ちょうど1年、無職で過ぎた。
好きなだけ、眠り続けた。
お腹がすいても、料理なんてできなかった。
スーパーへ行き、総菜コーナーでお弁当や丼ものを3つくらい買った。
そうすると、3日外出しないで済んだ。3日目の天丼は御飯が冷や飯過ぎて、パラパラになっていた。それでも食べた。おいしいかどうか、あまり関係がなかった。
外食は、店を選ぶ気力がなかった。週に1回くらい、近所の同じラーメン屋に行った。そのうちポイントが満杯になって、1000円券と交換した。
夜となく、昼となく目が覚めて、おなかがすいていたらご飯を食べて、また寝た。
テレビでやっているドラマを、再放送を含めてほぼ全部録画した。ドラマを見たら、また寝た。
ネットで金八先生シリーズが見れたので、全部見た。金八先生は飛び飛びで見たので、通し見したかったのだ。全部見終わったら、また寝た。特別な感慨はなかった。
退職したての一番しんどい時のことはよく思い出せない。ただ、生活は、不衛生だった。寝ることと、食べることと、ぐったりすること以外、何もできなかった。
掃除はしないし、ふろにも入らないし、歯も磨かない。着替えはしたが、洗濯をしない。
記憶が正しければ、最初の2カ月、お風呂に入らなかった。お風呂に入らなくても歯を磨かなくても、不快ではなかった。たぶん、汚れを出す体力さえ無かったのだ。汚れも全部、体の回復に回さないといけなかったのだ――どん底を抜けてから、この時のことをそう思い返した。
退職してほぼ1年後、「貯金が減ってきたし、そろそろ働かないと…」と考えて、ハローワークへ行った。
頑張って働くつもりは、もうとっくに、捨てていた。ただただ、気楽に毎日を過ごしたかった。
だから、給料は求めなかった。月給16万円の会社に応募したら、正社員で採用された。
会社に入った自分を鑑みて、「あ、元気になったんだ」と思った。
ホントに、元気になった。実感を言葉にすると、「1年間眠り続けて元気になった」。
その会社は1カ月でやめることになるのだけど、それはさておき、ここまでで「どん底の時期」に、一旦区切りがついた。
付き合っていた人との関係と、もともと持っていた精神的な不調、仕事のストレスの3つが原因で倒れて、1年間の無職休養。社会復帰が、49歳だった。
なんでこんな人生になったのか、その根源にあったものが、56歳の今、少しずつ分かってきて、タイトルの「育ち直り」につながる。だけど、話の順序があるので、もう少し身の上話を続ける。
採用された会社の社長の態度に嫌気が差して、1カ月でやめた。ある日、プッツン切れた。もう、何かに我慢して勤めるというのが、できなくなっていた。
何もいらない、ただ、気楽な生活が欲しかった。
ということで、最低限の生活ができれば良いと思い。スーパーのパートに納まった。週3日午前だけ、週2日はフルタイムで、月収手取り8万円程度。
公営住宅だったので、家賃は確か1、2万だった。残り6、7万で、切り詰めた生活をした。食費が3万、光熱費が5000円、整理したけれどまだ掛けていた保険が1万円…そんな支出だった。1人なので、何とでもなった。
経済的には切り詰めたけれど、精神的には、すっかり解放された。
人を好きになることもやめた。仕事に精進することもやめた。立派になろうとすることを、すっかりやめた。
昼前にパートが引けて、帰宅して、お菓子を食べながら、録画したドラマや好きなアニメを見て、眠くなったらそのまま眠り、夕ご飯を食べて、お風呂に入って、夜も寝た。
文字通り、霧が晴れたような、トンネルを抜け出たような解放感でいっぱいだった。
明るい日差しの下で、何の気兼ねもなく、大の字に寝ころんでいる気分だった。パート先ではガヤガヤ言う人もいたが、いい人になるのをやめて、好きなことを言い返した。
そんな生活が、ある日突然、変わった。
突然、恋に落ちたのだ。50歳だった。
恋なんて、十数年していなかった。
本当にそれは、足元がガックンと落ちたみたいな、ドッキリでよくある、大きな落とし穴にドッカンと落ちたみたいな、びっくり仰天の、恋だった。
<続けます>
56歳からの育ち直り②
56歳からの育ち直り③
56歳からの育ち直り④
56歳からの育ち直り⑤
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