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56歳からの育ち直り④

わたしが好きになったのは、売れているミュージシャンだった。

ライブに通っているうちにスタッフの責任者と知り合いになった。

その人と話している時に、「わたしの地方でも彼女のライブができるといいんですが…」と、言葉にした。

後日、その人から電話があり、「Mちゃん(わたしの好きな彼女)と相談して、企画進めてください」と言われた。

SNS経由で彼女にメッセージを送ると、話しがちゃんと通じていて、彼女も乗り気だった。

わたしは、舞い上がった。文字通り舞い上がり、地に足が付かなくなった。

会場の希望を彼女に聞いたり、集客規模を相談し合ったりした。

候補のライブハウスに足を運び、知らないミュージシャンのライブを見ながら、会場の雰囲気を確かめたり、スタッフに利用料を聞いたりした。

結論から言うと、このライブ企画は露と消えた。

焦点は集客だった。彼女は私に集客を期待していた。当然だと思う。そこは、現実問題として、採算という意味でも、今後の活動展開という意味でも、生命線なのだから。

私に声を掛けてくれたスタッフの責任者は、目標は少人数からでいいと言ってくれた。

しかし、私に集客力が無いことは、何回かのやりとりの中で、彼女に既に見透かされていていた。

「無理はやめておきましょう」

彼女の言葉が、結論となった。


しかしその後も、わたしは、彼女の音楽活動を広げようとした。いくつかの企画を考えて、彼女に提案した。

彼女がかけたブレーキが、わからなかったのだ。

わたしの勢いは、文字通り止まらなかった。わたしには、彼女しかなかったのだ。

そして、彼女からはっきりと言い渡された。

「プロの仕事に口を出さないでください」と、メッセージが来た。

メッセージを読んだわたしは、息が荒くなり、落ち着きを失った。

この件で、彼女の態度がどうだとかは、問題ではない。

「56歳からの育ち直り」を語るに際して、大きかった出来事というのは、「これしかない」と思っていたことを失ったことだった。

わたしは、行き場を失い、何度となく死ぬことを考えた。

しかし、それも実行できなかった。他人に迷惑をかけずに死ぬ方法がわからなかったからだ。


「自分は、たいしたことはできない」
「自分は何ものにもなれない」
「自分なんかどうだっていい」

このような思いが募るばかりだった。

そうこうするうちに、貯金も尽きてきた。月収8万円程度のパートでは、生活が行き詰まる。シフトを多くしてもらう一方、わたしは就活を始めた。

すると、ほどなく、正職員の採用が決まった。介護の仕事だった。

この仕事を契機に、少しずつ、わたしの気持ちは、変わっていった。

<続きます>

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