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小1まで会った事の無い父親と3人で住み始め、1週間で家庭崩壊した話。【パート3】

お疲れ様です。春風冬子です。
前回の続きです。
前回はこちら↓


家族経験値0の両親と始まった新生活。
無事に入学式が終わり、小学生としての生活が始まりました。

実はこの時点で学校でも問題が発生しているのですが、これは別の記事にて書き残します。

父は当時無職。(理由は後日記事にします)
母は昼職と夜職の兼業をしていました。
当時、小学校から帰ると父だけが家のリビングに居ました。

南向きで日当たりのいいはずのリビングは、カーテンが固く閉じられたせいで非常に薄暗く、父がふかすタバコの匂いと母の趣味である甘ったるいルームフレグランスが混ざり、嗅覚の鋭い子供の鼻には耐え難いものでした。

父はいつもゲームばかりしていて、私が帰宅しても何も反応を示さないので、むしろ気付かれないように自分の部屋がある2階に足早に逃げ入るような生活をしていました。

正直、この辺の記憶はほぼありません。
何故なら特に何か、私に影響があった訳では無いからです。
話したくない人と話さない。
これがいつもの光景、日常として過ごしたので記憶は残っていません。

一番印象に残っていた問題は夜中です。
私は小学生さながら夜の9時になると寝床に潜っていました。
元気の有り余る子供ですから、まだまだ起きていたい所ではありますが、私は自主的に寝るようにしていました。

理由は夜中に必ず始まる、両親の夫婦喧嘩です。
母が夜職から帰ってきたタイミングなのか、夜中の2時ごろになると決まって両親の怒号が聞こえてきます。
二人が争っている内容は覚えていませんが、怒号だけではなく、何かが壊れるような音や母の悲鳴、激しく閉まるドアの音が今でも私の耳の奥に残っています。
今でも大きな音や怒鳴り声などが聴こえると無意識に冷や汗が出てしまいます。

当時はもちろん怖くてたまらず、最初の頃は布団をかぶって凌いでいました。
それでも容赦なく騒音が耳に届き、短時間に起きては寝てを繰り返していたため、当然深くは眠れません。
9時に寝ているはずの子供の瞼には深いクマができていました。(学校で友達によくいじられていました)

家族で住み始めた初めの頃、喧嘩は私の目の前では起こりませんでした。
朝方になると必ず落ち着き、私が家を出る時間に父と母は起きて来ることは無かったので、喧嘩後の機嫌の悪い2人に出くわす事がないように注意を払って家を出ていました。

2人を起こすことのないように、買い置きされた食パンと牛乳を急いで押し込んでは、足早にランドセルを担いで外に出るようにしました。

一度だけ母に「夜はちゃんと寝れているか」と聞かれた時がありましたが、私は2人が喧嘩していることを知らないかのように振舞っていました。
恐らく2人は未だに、同居し始めた頃から毎日喧嘩していたことが私にバレていないと思っているのではないでしょうか。

ここまで私が注意を払っていた理由は、2人が家に居るタイミングに居合わせたくなかったからです。
また、私が起きている時に、2人の夫婦喧嘩に巻き込まれたくなかったからです。

激しい喧嘩を目の当たりにしてしまっても、誰にも助けを求めることは出来ません。
私に直接影響が無い現状を保たないと、私の居場所を見失ってしまうと恐れていたからです。

両親は当初私に対して、いい意味で腫れ物に触るようにに接してくれていました。私の前でも形だけでも理性的に居続けてくれるのであれば、保護者としては全うしてもらえると思っていたので、そのまま6年間、いや、中学卒業までの9年間を何事も無く過ごせればいいと考えていました。

高校生になったらバイトをして、貯めたお金で祖父母の家に戻り、実家の家業である農業を継ぐ。

それだけを考えて日々を耐えていこうと強く誓いました。

続きます。

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