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私に必要なもの。

こんばんわ。第4回目のノートになります。
金曜更新とははるか昔のことです。かなり空きました。
今回は自粛期間に手をだしたことや考えたことを書きたいと思います。

私は今回のコロナによる自粛騒動により、自分は暇である状態に耐えられないことに気がつかされました。これは多くの人に当てはまるかもしれません。というのも原因は明らかです。そうSNSそれはいつでも人とつながりあえることを可能にしてしまいました。常に繋がっている状態が日常になるということは常に何かやることがある状態であるともいえます。

大学生という目的をもたない生き物(偏見)にとって自粛期間というのは何もやることがない→話題がない→SNSで発信することがない→SNSをしない→やることがない。とつながります。

実際私は相当暇で暇で暇でした。どんくらい暇かと言われたら、noteを書くくらい暇なんですね。母に哲学の話をしても感心してもらえないし、友達とはもっと頭の悪い話がしたい。しかし頭は動くのをやめないんですよね。

いくら私が暇でも頭は働いていて、ボーとすることは許されないような気分になるのです。実家に帰り犬の散歩をするようになりました。散歩というのは古くから哲学者や作家や数学者など柔軟な思考を必要とする人に愛されてきました。私もその一人になろうと意気込みます。

しかし、まったくと言っていいほどアイデアは出てきません。携帯は家において何も持たずに歩くのですが、信号待ちでやることがなく辛いという始末です。この思考に至っている自分に嫌悪し、負のスパイラルです。
ああ、今日も何も成すことなく終わった。振り返ると何をしていたかわからない。もう鬱です。人肌が恋しくなります。恋人がいないことを嘆きます。

そもそも恋人というのは暇を埋めるためにあるのではないかと思うまで来ました。結局依存できる相手を探しているのです。友達には受け止めきれないことを話したり、常に味方でいる存在が誰しもほしいものです。そういった存在が恋人だと思います。

最近noteの更新がなかったのは学校の授業が始まり想像以上に課題が多くて慣れるのに2週間ちかくかかったからです。そして思考の時間が減り、課題を考えている時間が増えました。課題というのは向き合っているときだけでなく、課題があるという事実が常に頭の一部を占領するものなのです。

支離滅裂な文章になってしまいました。なにか自分は求められているという感覚が欲しくてnoteを書いているのかもしれません。ああ、恋人はそういう役割もするのか。

話は変わりますが、暇なときにVtuberなるものに手を出しました。美少女になれて気分がいいです。Zoomとかで顔をだしたくないのでもう苦になりません。youtuberになって楽に儲けたいなぁ。プログラミングもハマれそうですpythonの本を一冊読んだときには何も感じませんでしたが、Instagramを自動化したいという思いでいろいろ勉強したら実際に動いてるとこなどみてちょっと感動しました。やはり何か目標をもって勉強しないとやる気がでないタイプなのかもしれません。

目標。これは常に更新されるべきものであり、常に設定しなければならないものなのかもしれません。(私にとっては)

最後に私の拙い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
実はいままでは結構推敲してました笑 今回は思うがままです。

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