見出し画像

わたしは悪い子?

あなたは「わたしって親不孝かも」「わたしってこのまま生きてて良いのかな」と思うことありませんか?

わたしはそう思うことがあります。
先日も家族とご飯を食べている時に感じました。

こういう自分を卑下するような気持ちが出てきた際、どのように整理していくのがよいのでしょうか?

今回は、わたしなりの整理の仕方をお伝えすることで、あなたの参考になればと思いシェアさせていただきます。

わたしは福岡に住んでいますが、わたしの妹は東京に住んでいます。
コロナが落ち着いていた時期に久しぶりに会いたいねということになり、家族で東京まで行ったときの話です。

東京に行って家族で楽しくご飯を食べながら、いろいろな話で盛り上がっている中、わたしの心の中に「わたしって親不孝かも?」と自分を責める気持ちが出てきました。

わたしの妹は明るく活発でスポーツ万能、社会人選手としても、一会社員としても活躍しています。
一方の私はインドア派で大人しい性格。
わたしたち2人は正反対の性格です。
そんな比較をして、妹はこんなに輝いているのに、わたしは普通の会社員、むしろ劣っていると感じていて、わたしの心はどんどんマイナス思考に引っ張られていきました。

その時はそのマイナス思考を振り払うかのように、明るく振舞って乗り越えましたが、後からよく考えると気づいたことがあったんです。

それは、わたしは理想の親孝行像を勝手に作り上げ、それに当てはまっていない自分を責めていたということです。
一般的には、活発で勉強もスポーツもできる文武両道が素晴らしいので、それが良いことだ・目指すべき姿だという認識が私の中にあったわけです。

親からすれば、子どもが楽しく生きていたり、仕事で社会の役に立っていたりするだけで嬉しいんだと思います。
別にすごい功績を納めなくても、ただ健康で生きているだけで良いんです。
実際、わたしの親は「わたしなりの人生を生きているから、それを誇りに思ってるよ」と褒めてくれました。

自分で作り上げた理想像に苦しんでいただけだったんですね。
あなたも同じようなこと、ありませんか?

これは親孝行だけではなく、子育て、仕事、勉強、なんにでも当てはまると思います。
わたしたちは知らず知らずのうちに、いろいろな情報・経験から理想像を作り上げます。
その理想像が自分で能動的に作ったものでありこれから目指していくものであれば良いのですが、社会から作られた理想像だと気づかずそれが自分の理想像なんだと思いこんでしまうと、ひずみが生まれて苦しくなってしまいます。

あなたの理想像は社会から作られたものですか?自ら生み出したものですか?
社会から作られた理想像なら、それを離れて、自分自身の理想像を作って、それに向かって生きていけると楽になると思います!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?