母になった私と、本の世界
幼いころから、本を読むのが好きだった。
自分の前で、どこまででも行ける、広がる世界が好きだった。
人とからむのがあまり好きではない私にとって、読書をしていると、人とからまなくても、かっこよく見える感じもいい。
好きな作家が新作をだしたと知ったときの、うきうきする気持ちもいい。
新しく好きな作家が増える瞬間もいい。もっとこの作家の本を読んでみたいと思う気持ちも。
すごくいい本を読み終えたあとの、爽快感。この本を読む前の私に戻って、またこの本を新鮮な気持ちで読んでみたい、と思う哀愁。
私はあまり自分のことは好きではないけれど、本を読むという自分はとても好きだった。
アメリカ留学中、本好きな日本人の友達と、好きな小説を持ち寄り、同じ空間でただ読む、ということをしていたときがあり、そんな時間も貴重だった。
電子本なんてない時代、本を求めてアメリカの都会まで車を6時間走らせて、日本で買うより3倍のお金を払った。
29歳のときに、モラハラ予備軍、のような男と間違えてつきあった。なにもかもが合わなくて、2か月で別れたけど、彼は本が好きだった。
私が読んだことのないジャンルの本を紹介してもらい、彼のおかげで荻原浩の良さを知った。
たったそれだけのことで、モラハラ予備軍との2か月は無駄ではなかったと思える。
ブックオフで、いつもは読まないような本を試しに安く買う瞬間も好きだったし、公共機関で移動するときに本を読むのも好きだった。
特に、飛行機に乗る前に、読む本を選ぶのが至福の時。
山崎豊子さんの、沈まぬ太陽にはまってるとき、ちょうどJALの飛行機が御巣鷹山に墜落するという、生々しいシーンが続く本の箇所を、私はJALの飛行機の中で読んだ。
飛行機の揺れを感じるたびに、臨場感が増した。
妊娠しても、相変わらず本を読んでいた私が、出産してから本を読まなくなった。
赤子と過ごす日々は、本を読む、なんて行為を忘れるほどに忙しかったし、そのときはしょうがない。母になるとはこういうことだ。
そうして、1年が過ぎ、2年が過ぎ、子供が保育園に通うようになり、自分の時間ができても、私は本を読まなかった。
物語の中に入り込むことがどうしてもできない。そして、活字を読むのが苦痛になった。
好きな作家の新作さえ、どんなにレビューがよくても読もうとはせず、私の世界から、本は消えた。
好きな本に出合った時のわくわく感や、好きな文章に出会ったときのあの気持ち。読み終わったときの感情は、捨てた。
そしてなによりも、自分のことが好きになれた趣味を、私は手放した。
母になるってそういうことだと、自分に言いかけながら。でも、本当に?
今年のはじめに、とてもショックな、辛いできごとがあった。
なにか、とてもショックなこと、頭を割られるくらいの衝撃な体験をしたこと、そんなときにはじめて、自分の習慣や、考えを変えることができる、と知ったこと。
私は、また本を読み始めるようになった。
はじめは、知識がほしくて、心理学の本など。そのうち活字に慣れてきて、そうするとまた小説が読みたくなった。
ツイッターを通じておすすめの本を読んで、新しい好きな作家さん、凪良ゆうさんや町田そのこさんの本に出合った。
子供ができてから、1人時間が減った分、本を読める時間は圧倒的に減った。
子供を寝かしつけたあとに、紅茶をいれ、ベッドの上で飲みながら本を読むことはできる。一緒に子供と眠ってしまわなければ。
それでいい。
私は、自分のことが好きになれる趣味を取り戻して、自分を取り戻した。
母になっても、本を広げると、物語はいつでも私の目の前に広がり、私はいつでもそこに行ける。
シンガポールについてのブログもやってます。↓