「愛ある対話で、必ず道は開ける」と信じる

「愛ある対話」って、"主張"と"配慮"を、お互いに出し合いながら、歩み寄って、納得解を生み出すプロセスだと思ってる。

一方、「駆け引き」は、騙し合いとか、出された条件を飲むか飲まないか、みたいな、契約文化に起因してるように思う。

理解してほしいなら、まずは自分が相手のことを理解してあげよう。

対話を試みても、お互いが「自分の主張」をぶつけ合って、うまく話がまとまらないときもある。

みんな、「自分の主張」を分かってほしいのだ。「私の主張」を聞いてほしいなら、まず「相手の主張」に耳を傾けることである。

相手の見ている景色や、それに伴う感情を理解して、きちんと受け止めること。

相手が「わかってもらえた」「伝わった」と感じてくれて初めて、「私の主張」を伝え始めるといい。

すると、驚くほどすんなり、話を聞き入れてくれたりする。

だって、「わかってもらえた」と感じた瞬間、相手は安心や信頼を感じて、心が緩むから。

「愛ある対話」とは

率直に、自分が感じた違和感などを、主張したいとする。

でも、まず行うべきは、相手の真意を汲み取ることだ。相手にも必ず「肯定的な意図」があって、その言動をしている。

対話とは、フラット かつ 双方向であるべきだ。そうでないと、納得解は生まれない。

また「自分の主張」は、何重にもオブラートに包んで、相手が受け取りやすくすることが大切だ。

この梱包をミスすると、受け取った相手は「非難するつもりか!?」と警戒心を露わにしてしまい、安心安全の対話が成り立たなくなってしまう。

日頃の感謝を伝えつつ、相手の立場に立って、この言葉を投げかけられたら、どう感じるか、想像力を働かせてみる。

そのように、色々な配慮を行なった上で、対話の土壌を整えた上で、相手に対話を持ち掛ける。

それこそが、「愛のある対話」であり、納得解が生まれるプロセスだと思う。

対話には失敗もあるし、相手が応じてくれない場合もある

もちろん、それに相手が応じてくれなくて、交渉決裂になることもあるだろう。

だが、成功率は格段に上がるはず。

そして、自分がどんな世界で、どんな人たちと関わりながら過ごしていたいか、理想の世界を考えたときに、

もし目の前の相手が、愛ある対話に応じてくれないならば、それは自分にとっての理想の世界を実現する上で、その人間関係は断捨離してもいいのかもしれない。

「愛ある対話」を習得して、爽やかな自己主張(アサーション)ができる人になりたいね。

ではまた!

しゅんたろう

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