お金の価値や使い方=「ありがとう」の気持ちを循環させること

「お金」って、ツール(道具)だよね。

スマホやゲームと一緒で、使われる側になってはいけない。

正しく使うべきだし、そもそも、いつ・どの程度使うかの主導権は、ちゃんと自分で握ってないと、自分を破滅の道にいざなう怖さもはらんでいる。

今日は、それについて、考えてみようかな。

結論としては、タイトルの通り、お金の価値や使い方は『「ありがとう」の気持ちを循環させること』だと考えている。

お金の価値観が変わった瞬間(しゅんたろうの場合)

私は、ライフコーチとして起業する前は、システムエンジニアでした。

比較的、負荷の高い仕事が多く、終電帰りや土日出勤が常態化していましたが、「家族を養うため」に、なんとか踏ん張って働いていました。

"うつ病"という転機

その結果、あるタイミングで、うつ病になってしまいます。

その時に、たくさん本も読んだし、勉強して、いっぱい考えました。
「自分は何のために生きてるんだろうな~」って。

「家族を幸せにしたい」と思って、一生懸命働いていたのに、家族との時間が取れない。しかも、一生懸命働いてしまったことで、家族をさらに悲しませる結果になってしまった。なんという皮肉。

"自己犠牲マインド"からの脱却

何がいけなかったのか考えた結果、「自己犠牲マインド」だったからだと、あるとき気付きました。

「自分を大切にしてこそ、誰かを大切にできる。」

その言葉の意味を、深く心に刻んだのでした。

”拝金主義”からの脱却

さらに、なぜ"自己犠牲マインド"に陥ってしまったのかを考えました。

すると、自分の中に巣食っている「拝金主義」の考え方に気付くことになります。

「拝金主義」とは、言葉の通り、「お金を拝む(おがむ)考え方」のことです。「お金を絶対視する価値観」であり、「お金と自分に上下関係を敷いてしまう考え方」です。

「お金がないと、生活していけない。」
「働いてないと、社会的脱落者の烙印を押される。」
「お金を手に入れるためには、自己犠牲しなくてはならない。」

これらの表現をポジティブに言い換えることもできますが、根底に流れているのは、お金がない・働いてないという「恐怖」から逃れるために、働くことに縛られてしまっている考え方です。

生き方のモデルチェンジ

「自分の好き」をモチベーションに働いてる人って、生産性も高いし、結構大胆なことにもチャレンジする。そして何より、楽しそうなんですよね。

「あー、そもそも自動車を動かす燃料が、ガソリンか電気か、くらい大きな違いがあったんだなー。」ってことに気が付きます。

そして、「"自分の好き"ってなんだろう?」という探究の旅が始まる訳です。(その話はまたどこかで)

お金の価値・使い方に話を戻すと…

「拝金主義→自己犠牲マインド→うつ病」というルートにハマって、そのカラクリに気がついた自分は、これからの人生を、違う世界線で生きようと誓います。

で、「拝金主義」から脱却しようと思うんだけど、けっこう根が深いんですよね。しかも、周囲に話しても「霞でも食べて生きていくの?」とか、「理想論じゃ、メシは食っていけないよ。」とか言われる。

そのときに、出会ったのが、お金についての捉え方の話だった。

いまの私の「お金」に対する考え方

お金を「コスト」だと考えない。
お金は「感謝の量を具現化したもの」だと考える。

これが、いまの私の「お金」に対する考え方だ。

最初にも触れた通り、「お金=ツール(道具)」だから、自分が主導権を持って、上手に使ってあげないといけない。

お金は「コスト」?

「コスト」って「支払わなければならない代償」っていうネガティブなニュアンスがある。これって、言い方を変えると「受け身」なんだよね。極端に言えば、「自分の人生の選択」に対して。

さらに言えば、今の生活を維持することが「当たり前」だと考えていて、そこに対する「ありがとう」の気持ちが欠けている。本当は、電気も水もガスも食料も、なにひとつ「当たり前」のものなんてないはずなのに。

人間は慣れることで、いつしか「そういうもの」としか捉えなくなって、本当の意味や価値に蓋をする。そして、なくなったときに、その価値のありがたさに初めて気付く。

自分で意志を持って選択する

今の生活を維持するにしても、電気も水もガスも食料も、そこに「ありがとう」の気持ちを持って接する。受けている恩恵に対しての感謝を、お金という形で渡す。

すると、「自分の人生の選択」に対して、主体的になる。

主体的になると、「自分でその選択をした」という自覚が生まれて、その価値をきちんと味わえるようになる。

すると、「受けている恩恵(私が感じている価値)」に対して、「支払っているお金(感謝の量)」が見合っているかを常に考えるようになる。

そうすることで、だんだんお金の使い方が変わってくる。

お金の使い方が変わると、どうなるか。

自分がトキメクことにどんどんお金を使うようになっていき、自分の周りが好きなもの、私の心を満たしてくれるもので、増えてくる。

私は、人間の意思決定には「心で判断」と「頭で判断」の二種類があると考えている。

「頭(理屈)で判断」だけに頼ると、合理的だけど疲れる。世間軸で判断するので、"自分"というものがなくなり、無味乾燥なものとなってしまう。

一方、「心(感性)で判断」すると、自分の感情が動く(トキメク)ので、心が満たされる。周囲の人からは「変わってるね」と言われるが、”自分”を一番に大切にできている証拠でもある。

こんな感じで、「受けた恩恵に対する感謝」としてお金を使うことで、自分の人生を主体的に選択し、自分の心をトキメかせながら生きることができるのだ。

さいごに

私は、幸せな人生を送るためには、3つの道徳が必要だと考えている。

それが「①お金観」「②仕事観」「③家族観(人間関係)」だ。

「①お金観」は、お金と自分の上下関係を逆転させること。

「②仕事観」は、自分の好きを探究する方が、はるかに社会のためになるということ。

「③家族観(人間関係)」は、近くの人ほど関係を丁寧に整えていくべきということ。

今日は「①お金観」について触れたので、②③についても、どこかで記事にしたいなー。

ではまた!

しゅんたろう

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